Dorothy Kirsten (ドロシー カーステン)1910年~1992年は米国のソプラノ歌手
兎に角理想的なリリックソプラノとしての条件を備えていたのがこの人。
透明度の高い響き、
軽さの中に芯の通った強さを内包した声
無駄なヴィブラートがなく真っすぐ届く言葉
これを65歳を過ぎても維持し続けたという意味では、
ルチア ポップ以上にリリックソプラノらしいリリックソプラノだったかもしれない。
言葉で説明するより、聴いて頂くのが一番速いので、
まずは65歳~70歳頃の演奏と思われる映像を紹介する。
タイトルは71歳となっているが、どうも1975年の映像(65歳)という書き込みもあるので、
正確な年齢はわからないが、少なくとも65歳以上の時の演奏であることは間違えなさそう。
こんな美しくて可愛らしい声で歌うおばあちゃんがいたら惚れてしまう(笑)
声の張りがどう考えてもそこらの歌手の40~50代のもので、
どんなケアをしたらこんだけ維持できるのか知りたいくらいだ。
一生懸命口を動かして発音しなくても、最小限の動きできっちり言葉が聴こえるというところが本当に素晴らしい。
当たり前ではあるが、口や舌の動きが大きいほど響きがブレ易くなるので、
子音の発音をあまり必要としないイタリア語が歌に一番適していると言われる所以となっている訳だが、
如何に空間を維持したままで、言葉を客席の最後部まで聴こえるように飛ばすかを突き詰めていけば、
このような歌唱が可能ということだ。
それが残念なことに、
[ハッキリ発音する】ということ、【言葉を飛ばす】ということが同義として指導の現場で用いられる傾向があるため、
フレーズのレガートと、言葉のマルカートが相いれない要素のような誤解を招く結果となることがあり、
極端な場合は、特にイタリア人の発声こそ正しいと信じて疑わない人達の間で
「ドイツ語は発声に良くない」という誤った認識を持つ人まで現れるのである。
現代を代表するリリックソプラノのペレチャッコと比較すれば、カーステンの響きがどれほど純度が高いかがわかる
オルガ ペレチャッコ
ペレチャッコも十分素晴らしい歌手だと思っているが、
カーステンの歌唱の響きは比較にならないほど純度が高い。
この要因の一端が上記に書いた口の動きが広過ぎるということ。
ペレチャッコの高音は良いが、低音域で言葉をハッキリ発音しようとするがあまり響きが落ちる。
更に低音も鳴ってしまう歌手であるが故に、この曲では災いして不釣り合いなドスの効いた音色になってしまい
結果として響きの統一性のない、プッチーニには必要不可欠なレガートが失われている。
逆に高音が続く(1:16以降)は響きに言葉が乗っているので、それ以前の響きと比較して違いがよくわかると思う。
個人的なことを申し上げれば、このアリアは好きではない。
このアリアとヴィオレッタの性格が一致しないような気がするためだ。
しかし、カーステンの歌唱を聴いたら納得してしまう。
大多数の歌手はどこの狂乱娘だ?と突っ込みたくなる歌唱で、
とにかく必死に高音張って、低音はドスの効いた声を出すか、
全く何言ってるかわからないかのどちらかが殆ど。
最悪なのは伸ばしている音が全て揺れ揺れでトゥリルなのか、ロングトーンなのかすらわからないやつ。
そんなアリアと後々の重唱やアリア(addio del passato)とが相いれるハズがない。
一方、カーステンの歌唱は、声にも歌っている姿勢そのものにも無駄な動きがなく気品と知性を兼ね備えている。
そういう意味でも、このアリアで最後ハイEsは全く必要ないと私は思うのだが、
世の中の多くのオペラファンは、ハイEsを出さない=ダメな演奏。
という見方をするのが非常に残念。
こちらが現在活躍中の同じく米国人歌手のシエッラ
ナディーネ シエッラ
全部100%の力で剛速球を投げるだけのシエッラと、
緩急を使いながらも、常に余力を残して歌っているカーステン
シエッラの方が明らかに一生懸発音しているのだが、
言葉が繋がってハッキリ聴こえるのはむしろカーステンの方、
まとめれば
言葉を綺麗に繋げる = 口や舌の動きを最小限に抑える = 歌うポジションを音程や強弱に影響されず一定にする となる。
もし、歌う時に、
口は大きく開けるべきなのか、あまり開けないべきなのか?
ということで悩むことがあれば、結論はシンプルに響きが安定する範囲内で広く空間を確保する。
というのが妥当な回答となるだろう。
これは個々の癖や課題によって違うので、一概にどちらが正しいと言うのは軽率に書くことはできないが・・・。
まだお読みでない方は下記の過去記事も参考にして頂ければもう少し分かり易いかもしれない。
最後の音直前のハイCを出しているところの画像比較
カーステン
シエッラ
カーステンの表情がアップではないので、単純に比較は難しいが、
カーステンの方が明らかにリラックスしているのは確かだ。
(Un bel dì 5:10~)
カーステンは最高のプッチーニソプラノとも言われることがあるようだが、
確かにこんな蝶々さんにピッタリな声もそうない。
アリアの最後は少し力んで微妙に音が低い気がするが、それを差し引いても余りある演奏
こういう人から学ぶべきことは沢山あるはずなんだが、
今になっても『私は、マリア・カラス』なんて映画が上映されてそこそこヒットしている現状を考えると、
この歌手の存在によってもたらされた弊害を真剣に考えることも重要だと思うが、そういう風潮はないんだろうな。
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[…] MilanovやDorothy Kirstenといった歌手を紹介しているが […]