Christine Schäferの歌唱に於ける決定的な問題点

 

Christine Schäfer (クリスティーネ シェーファー)は1965年ドイツ生まれのソプラノ歌手。
オペラ歌手としても高い知名度を誇るが、
フィッシャーディースカウのマスタークラスを受けている映像がYOUTUBEにあがっていることでもわかるように、
リート歌手としても高い評価を得ており、録音も沢山残っている。
声質はリリコレッジェーロ~リリコで、決して重過ぎる役には手を出さず、
歳を重ねても理性的、知性的な歌唱を続けている。

だが、シェーファーの歌唱、と言うより発声的な問題はかなり致命的である。
今回はそれを解説していきたい。

 

 

 

ヴェルディ リゴレット Caro Nome

学生時代に、このジルダが可愛いと友人と盛り上がったのをふっと思い出したが、
残念ながら声はあまり可愛くない。
口のフォームや響きのポジションはそこまで気にならないのだが、
どこか声が硬い。
昔はその程度にしか思っていなかったが、単純にこの人は一々舌根を固めて声を出している。
シェーファーより暗めの声でジルダを歌っているペレチャッコとの比較

 

 

オルガ ペレチャッコ

今回比較するのは声をや口のフォームではなく、
ひたすら喉を見ていてもらいたい。
シェーファーの喉の動きはかなり異常、と言っては失礼だが、
変な力を入れないかぎり、こんな風にはぜったい喉は動かない。
このことは以前、砂川涼子の発声の問題点について書いた時も似たことを書いたと思うが、
砂川は特に高音で下顎に力が入るのに対して、
シェーファーは下顎と言うより、発語で喉が上下している。

 

 

 

シェーファーが高音を出している状態

 

 

 

 

シェーファーが中低音を出している状態

 

 

 

 

ペレチャッコが高音を出している状態

 

 

 

ペレチャッコが低音を出している状態

 

 

因みに首筋が引っ張られる動きは、高音を出すのにある程度必要な筋肉なので、
音域によってある程度動くのは全く問題ないのだが、
問題は喉が上下すること。
画像だけでもペレチャッコとシェーファーで随分喉の状態が違うことが伝わると思うが、
動画を見ていれば、発語に連動して常に喉が動いているのがわかる。
恐らくこんな歌手は一流と呼ばれる人にはまずいないだろう。

 

 

 


 

 

 

シューマン 詩人の恋(全曲)

それでも、ドイツ語だとかなりマシになる。
言語の特徴として、イタリア語ではドイツ語より深さが求められることで、
余計喉を下げてしまうのかもしれないが、
ドイツのソプラノ歌手がイタリア物を歌うとフォームが変になることは珍しくない。
Diana Damrauはイタリアオペラを歌うべきではない理由とその証拠
でも書いたことが、同じドイツ人ソプラノのシェーファーにも当てはまると言えるかもしれない。

この詩人の恋だが、
ネイティブのはずだが、早口が下手である。
それも恐らく発声的な問題が大きいと思われるが、結局響いているポジションが良くても、
自ら息の流れを喉の動きで遮ってしまっているので、レガートで歌えず、
結果的に言葉も飛ばず、最終曲のような言葉の強さが必要なところで、
学生っぽい可愛らしい声になってしまっている。
ただ、シェーファーは無駄に太い声にしたり、響きを落として無理やり鳴らしたりしないので、
聞き苦しい演奏にはならずに済んでいる。

 

 

 

モーツァルト ドン・ジョヴァンニ Non mi dir

さて、上記に書いたことを踏まえてこの演奏を聴いて欲しい。
明らかに発音が奥になり、全く言葉が聞き取れない。
詩人の恋で聴かせた繊細さは影を潜め、低音は逆に響かず、
リズムは遅れ勝ちになる。
確かにドンナ・アンナ役はシェーファーには重過ぎる部類に入るかもしれないが、
問題は役柄以上にイタリア語による影響と見た方が妥当だ。

逆を言えば、
一般的にイタリア語が発声には一番良いと言われるが、
その人の癖によってはイタリア語が悪い癖を増幅させてしまうこともあるということだ。

聴いての通り、シェーファーの音楽性は確かに優れているし、
レパートリーもバロック~現代作品に至るまで幅広く、持っている声そのものも美しい。
だが、それ故に最も解決しておかなければならなかった問題を克服できずにキャリアを重ねてしまった。
私にはそう思えてならない。

そういう意味ではとても個人的に惜しい歌手である。

 

 

 

CD

 

 

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