Sergio Bologna (セルジョ ボローニャ)は現在イタリアの劇場を中心に活躍しているヴェルディバリトンだが、
スカラやメトといった一流劇場には出演している痕跡がなく、Wikiも作られていないためプロフィール詳細は不明。
しかし、その声は現代でもトップクラスのヴェルディバリトンであることが間違えないと確信させるに十分なものだ。
言葉で説明するよりまず聴いてみるのが一番早い。
十分な深さがありながら、言葉が明確で高音に余裕がある。
音楽作りも丁寧で、声をひけらかすようなルバートやポルタメントも一切ない。
このレベルのバリトンなら一流劇場に引っ張りだこでもおかしくないと思うのだが・・・
なぜか出ているのはカルロ フェニーチェやパルマなどがメインのようだ。
暖かさがありながらも強くて深い響き。
これ程ジェルモンに合う声質もそうはないだろうに。
これが一番最近の演奏のようで、2019年のもの。
少し声が重くなった印象を受けるが、役的な問題もあるかもしれない。
それでも発声的な部分で他の売れてるバリトンと比較すると違いは明らかだ。
例えばキーンリーサイト
サイモン キーンリーサイド
リーサイドは広いレパートリーを誇り、ヴェルディも得意とする英国の人気バリトンだが、
やはり本職のヴェルディバリトンの声、と言うより発声ではない。
ボローニャに比べるとリーサイドは響きが明る過ぎる。
これは響きのポイントが前過ぎることによって、奥の空間が狭くなってしまっているのが原因なのだが、
もう少し正確に言うと、響きと言うより発音のポイントが硬口蓋の方まで来てしまうと
ヴェルディバリトンに求められる執拗なレガートができない。
子音は口先、舌先だけが触れる程度で、
あたかも母音だけであるかのように息の流れが遮られないようにしなければならない。
違いが分かり易い部分の比較としては
「non siede che l’odio e la morte nel vedovo cor!」の歌詞
ボローニャ(5:20~)
リーサイド(3:14~)
「non siede」の「sie」でリーサイドは響きが浅くなってしまっているのに対して、
ボローニャは全く変わらない。
一度響きが浅くなってしまうと、後の下行音型は 正しいレガートで歌えないため、
特に下の”c”の音は全く鳴っておらず、
「nel vedovo 」の「dovo」のオクターヴの跳躍なんて完全に声が抜けてしまっている。
オクターヴの跳躍というのはとても大切で、全く同じ音を歌っているかのような響きの緊張感でないといけない。
オクターヴの跳躍で声質が変わってしまうような歌い方はまず間違っているので、
それこそレオ ヌッチなんかはオクターヴの発声練習を大切にしていると言う。
テノール グレゴリー クンデ
数々の歴史的な名歌手の演奏が残っている重唱だが、
この演奏はピアノ伴奏で残っている映像としては最高かもしれない。
二人とも凄い声だが、決して良い声を出すことが目的になっているのではなく、
言葉で見事にドラマを表現した結果として声があるということが伝わる。
クンデの圧倒的なティンブロ(芯のある響き)と
ボローニャの深みと広がりのあるバリトンの高音は対照的で、
この大河がどこまでも川幅が狭くなることなく流れ続けるかような響きこそ、
ヴェルディバリトンに求められるものである。
間違っても太くてデカい声で叫ぶのがヴェルディバリトンではない。
テノール グレゴリー クンデ
運命の力と同じ演奏会からの映像だが、こちらは特にイヤーゴの節回しに連動したピアノ伴奏が本当に上手い。
歌い手に合わせて弾くのではなく、一緒に伴奏者も歌い手と同じ呼吸をしていないとこうは合わない。
Roberto Moretti という人がピアノ伴奏をしているのだが、
オケでは中々分り難い動きがピアノ伴奏で聴くと色々見えてくる。
演奏に関しては運命の力同様、現代を代表するオテッロ歌いとヴェルディバリトンなので、
クンデの声質の好みを除けば名演と言って良いのではないだろうか!
このところのヴェルディバリトンを見ていると、
ガザーレ、グエルフィ、ガッロ、ルチッチと冴えない歌手が一流劇場に出ており、
以前としてヌッチの一人勝ちのような印象を与えているが、決してそんなことはない。
ボローニャや過去の記事で取り上げたフランコ バッサッロなどは十分素晴らしい。
現代は良いヴェルディバリトンがいないのではなく、いても有名になっていないだけである。
[…] 大劇場には出ない素晴らしい高音を持ったヴェルディバリトンSergio Bologna […]