フランスバロック音楽界に現れた新星メゾソプラノEva Zaïcik

Eva Zaïcik(エヴァ ザイシク)は1987年フランス生まれのメゾソプラノ歌手。
2018年のエリザベート王妃国際コンクールで注目を集めた歌手でもあるが、
その歌唱は若さに見合わず大変端正で、フォルテでも8割以上の声は出していないのではないか?
と思われるような、常に余裕のある響きの中で絶妙にコントロールされた声を聴かせている。

 

 

 

Queen Elisabeth Competition 2018  ファイナルから(0:38:29~)

 

Georges Bizet: Carmen – Près des remparts de Séville
Henry Purcell: Dido und Aeneas – When I Am Laid In Earth (Lamento der Dido)
Modest Mussorgsky: Lieder und Tänze des Todes – Lullaby (Wiegenlied) (Колыбельная)
J.S.Bach: Matthäus-Passion – Erbarme dich, mein Gott
Gioachino Rossini: Die Italienerin in Algier – Cruda sorte amor tiranno… Qua ci vuol disinvoltura (Hartes Schicksal)

まず一曲目のカルメンからザイシクのらしさが全開で、おおよそ情熱とかエロスといったものとは縁遠い、
清涼感すら漂う歌唱。
どこか可愛らしさすら感じさせる解釈だが、それでいてしっくりくるのが不思議だ。
漂白剤入りで個性が感じられない演奏ではなく、端正さがかえってこの曲に関しては強い個性となっているようにすら感じる。
そしてマタイ、この人が古楽歌いとしての本領が発揮されるのがコレだ。
メゾソプラノとは思えない透明感のある細く美しい響きで歌う。
パーセルを歌っている時より明らかに響きに透明感がある。
コジェナーと比較すれば、その響きの高さはよくわかるだろう。

 

 

Magdalena Kozena

ザイシクが素晴らしいのは何と言っても順次進行(2度の進行)でのレガートの技術。
確かに伸ばしている音が全くブレない、揺れないのも特筆すべき点ではあるが、それ以上に、
単純な音の進行、要するに音階をいかに音楽的に処理できるかがイコールで歌の上手さと直結してくる。
コジェナーのように、下行音型で響きが落ちたり、音程の変化で声に段差ができてはいけない。
アマチュア合唱団でも言われるようなことかもしれないが、
突き詰めればコレができてるかどうかが最も重要と言っても良いのではないだろうか?
最後のロシーニはちょっとテッシトゥーラ的には低い気がするが、それでも低音を決して押さず、
過剰な表現もしない。
ただ、恐らくこの声だったら日本ならソプラノと言われるのではないかと思う。
なぜなら、リリックメゾの代表格ベルガンサの声と比較してもザイシクの声は軽く低音も細い。

 

 

TERESA BERGANZA

とは言え、ベルガンサの録音が大体55歳の時で、ザイシクは30歳か31歳なので、
このまま歳を重ねればもっと深み、線の太さがついてくるだろう。

 

 

 



 

 

Cantates baroques par Eva Zaïcik, Justin Taylor & Le Consort

 

モンテクレール、ルフェーブル、クレランボーといったフランスバロック音楽を集めあ演奏会
※ミシェル・ピニョレ・ド・モンテクレール Michel Pignolet de Montéclair (1667-1737)
※ルイ・アントワーヌ・ルフェーブル Louis Antoine Lefebvre (1700-1763)
ルイ=ニコラ・クレランボー Louis-Nicolas Clérambault (1676-1749)

どう聴いてもソプラノにしか聴こえないのだが、
時々低音の響きでメゾらしい音色ではある。
本当に美しい歌唱なのだが、少々淡泊過ぎるのでは?
という意見も出てくるだろうが、このアンサンブル”Le Consort”はチェンバロ奏者のJustin Taylorが中心となって結成されたようなので、
彼等全体の意志として、どちらかと言えば言葉より音楽的な流れを優先した表現を目指しているのかもしれない。
そういう意味では、比較的何でもありになってきた最近の古楽演奏の中では随分と保守的(という表現が正しいかはわからないが)
なスタイルで演奏している印象を受ける。

 

 

 

グルック オルフェオとエウリディーチェ J’ai perdu mon Euridyce

こういう作品を歌うと、声がまだ出来上がっていないことや、
言葉による表現の浅さが目立つ
グルックはヘンデルなどのオペラで用いられたダ・カーポアリアに反旗を翻し、
過剰な装飾音や、カデンツァがドラマや言葉を台無しにする。と考えてオペラ改革を行った人。
オペラ改革についてはコチラをご覧頂ければ大雑把だがイメージできるかもしれない。
だが、私はこのアリアが形式的にはA-B-AーCーA(短いコーダ)というロンド形式で書かれている以上、
実は声を聴かせることが大きな目的になっている部分は抜け出せていないと考えている。
そんな訳で、やっぱりこういう曲を歌うには声の使い分けが重要で、「A」に当たる部分を同じように歌っていてはいけない、
そういう意味でもテノールのフローレスが歌った演奏と比較して頂けるとザイシクとは正反対の演奏で面白い。

 

 

Juan Diego Flórez

フローレスの演奏解釈が優れているというつもりはないが、
オペラセリアのアリアとしてドラマ性を追求するならば、個人的にはこういう演奏の方が作品の意図にも合致しているのではないかと考える。

 

大変美しい響きと安定した発声技術を持つザイシクであるが、
演奏には良い意味でも悪い意味でも若さを感じない。
勿論勢いで歌えという訳ではないが、声の響きだけでなく、感情と言葉が連動してくれば、
もっと素晴らしい歌手になるであろう。
とは言え前述の通りまだ30代半ばである。今後の活躍が楽しみだ!

 

 

 

 

CD

 

 

 

コメントする