Josephine Barstow (ジョゼフィーネ バーストウ)は1940年、英国生まれのソプラノ歌手。
サロメのタイトルロールやオランダ人のゼンター、イタリアオペラでもマクベス夫人や仮面舞踏会のアメーリアといった完全にドラマティックな得意として人だが、
その歌唱には常に気品と風格がある。
声そのものだけを聴けば多少癖があるものの、その演奏には鬼気迫るものがある。
やや響きが奥まってはいるが、それでも変太く作らないために、
低音~高音まで響きの質が大きく変わることなく響かせることができている。
アリアでは力みの方が目立つ感じはあるが、レチタティーヴォの表現には存在感があり、役の言葉として歌われているところは素晴らしいの一言
Compositor: Strauss (R) (Munique, Alemanha, 11/06/1864 – Germich-Partenkirchen, Alemanha, 08/07/1949)
02. L. Cherubini: Medea 20:23
Compositor: Cherubini, Maria Luigi Carlo Zenobio Salvatore (Florença, Toscana, Itália, 14/09/1760 – Paris, França, 15/03/1842)
03. Leos Janacek: Vec Makropulos 38:20
Compositor: Leos Janáček (Leon Eugen) [Hukvad; Morávia do Leste, 03/07/1854 – Moravshá Ostrava, 12/08/1928]
04. Puccini: Turandot 57:42
Compositor: Puccini, Giacomo (Antonio Domenico Michele Secondo Maria) (Lucca, Itália, 22/12/1858 – Bruxelas, Bélgica, 29/11/1924)
1曲目のサロメの迫力と、ピアニッシモでの美しさは見事。
声だけで聴けば、母音の音色に多少のバラツキはある。
閉口母音”o””u”の響きに比べて、開口母音”a””e”がやや平べったくなりやすかったり、
高音では抜けいるが、中音域でのフォルテでは特に必要以上のヴィブラートが掛かってしまう傾向にある。
ただし高音のピアニッシモや、サロメの恍惚とした表情が浮かぶような後半の声色などは見事で、
そういう意味では、ヴィブラートがまだ気になり難いフランス語のケルビーニの演奏は劇的表現の狂気の中にも
無駄なポルタメントを一切使わず、リズム感の無駄な揺らしもない歌唱には品格がある。
これだけ良い面があればこそ発音の不明瞭さは本当に勿体ない。
響きが奥まっているためにどうしても言葉が聞き取れない。
Morrò, ma prima in grazia(1:35:30~)
発音が奥まっているというのが明確に分かる比較をすればこんな感じだ
Ljuba Welitsch
ヴェリッチュの演奏はイタリア語としてはちょっと深さが欲しいのだが、言葉のレガートは見事で、
逆にバーストウの演奏は響きの深さは素晴らしいのだが、発音が奥過ぎる。
このバランスが本当に難しいのだが、両者とも共通しているのはドラマティックな曲を歌っても決して太く重い声にならず、
繊細なピアニッシモの表現にこそ彼女達の良さが現れている。
Angela Gheorghiu
こうして二人と比べれば、ゲオルギューは明らかに響きが低く、喉声に近いことがわかる。
響きで歌えることと声で歌うことの差がここにあり、どんなドラマティックな役でも、
声で歌ってはいけない。
それどころか、このアリアだけをとってもわかる通りフォルテよりピアノの表現の方が求められる部分は多い。
それはアメーリアだけでなく、例えばドラマティックテノールの代表的な役であるオテッロでも、ピアノで書かれた部分が多いし、
アイーダも然りである。
テノール Arthur Davies
こういう曲を歌うと、バーストウの悪い癖がよくわかると思う
中低音の開口母音が特に詰まった響きにり易いこと。
高音のフォルテで声が揺れること。
テノールのアーサー デイヴィスの発音が明確であるため、余計にバーストウの発音の不明瞭さが目立つこと。
などなど・・・。
されでも、曲の雰囲気、役としての音楽の捉え方やピアノの表現は見事で、
強い声を持っている歌手ではあるが、実に歌の上手さを感じさせる歌手でもある。
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