かつてはヨーロッパにも引けを取らない素晴らしい歌手(特に女声)を沢山排出した米国ですが、
現在は全く様相が変わっている。
特にソプラノ歌手の質は酷いと個人的には感じているのだが、
それを裏付ける結果を紹介したい。
Lyra New York 2018 International Vocal Competition
こちらがそのコンクールの様子。
そして順位はコチラを参照
オペラ部門、オラトリオ部門、歌曲部門がそれぞれあるが、
調べたところオラトリオ部門の1位になっているMichael McAvoyという歌手はテノールと表記されているが、
動画ではバリトンとなっているので、その地点でオラトリオ部門の扱いは適当なのが伺えることもありココでは受賞者につて触れないでおく。
<オペラ部門>
2位
プッチーニ トスカ Vissi d’arte
出だしの”Vi”がまともに発音できていない。
全部喉で押した声で、典型的な勘違いドラマティックソプラノである。
トルコ人ではあるが、この演奏が2位である
1位
Rシュトラウス ナクソス島のアリアドネ Es gibt ein Reich
もはやいかに強い力で喉に負荷を掛けられるかを競っているのではないか?
と思いたくなるほどに、全ての音が揺れており、全く響きで歌えていない。
よくこの歌い方でシュトラウスが歌えるものだと、持っている楽器の強さには関心するが、
歌には全くレガートがなく、こんな美しい旋律をどうやったらこれ程力んで歌えるのか不思議でしょうがない。
そして何より驚くのが、こういう演奏が評価されるというニューヨークの現状である。
この結果だけで米国の惨状が十分伝わると個人的には思っているのだがいかがだろうか?
なお3位のデンマーク人のバス・バリトンは上記2人に比べればまだ良いが
それでも、傍鳴りであることは想像がつく声である
3位
マスネ エロディアード Vision Fugitive
良い声だが言葉が飛んでいないし、高音もオケを突き抜けるほどの力量はなく、
広がりのある響きとは真逆。
やはり判断基準は楽器のポテンシャルなのか?と思わずにはいられない。
<芸術歌曲部門>
1位
バシュレ Chère Nuit
ここの出場者の中では一番歌が上手い歌手だったかもしれないが、
歌曲を歌う上で中音域が揺れてしまうのはまずい。
コンクールの映像では56:40辺りから同じ曲を歌っているが、
こちらの動画の方がヴァイオリンのオブリガートが入ることもあってか、出来はこちらの方が断然良い。
響きがやや奥に入ってしまっているために発音があまり明瞭ではなく、フランス語らしい色彩感には欠けるが、
高音の響きやフレージングはしっかり押さえられているので、聴いていて違和感がある演奏ではない。
2位
Wooju Kim, Baritone, South Korea
チャイコフスキー don juan’s serenade
この人だけの演奏動画は見つからなかったので、
コンクール映像の(1:05:10~)を参照
韓国人の割には鳴りの良くない楽器と言える。
詰まっている声で、低音も鳴らないし、そもそも歌が上手くない。
こういう歌を聴くと、歌詞の意味を分かって歌ってるのか甚だ疑問に思ってしまう訳だが、
声とか発声以前に一体何が表現したいのかがわからない歌を歌う歌手である。
因みに英国のコンクールでは
Glyndebourne Opera Cup 2018 1位
モーツァルト ティトの慈悲 Parto, parto
この人も米国人メゾで、同年のドミンゴオペラコンクールでも2位入賞をしている若手有望株
という位置づけになるのだろうが・・・やっぱり響きが全部落ちている。
モーツァルトだから分り難いかもしれないが、もう少し重い曲を歌うと顕著になる
チャイコフスキー オルレアンの少女(ジャンヌダルク) Орлеанская дева
低音で時々ガリガリいってる音がするのがわかる。
こういう歌唱がスタンダードになっていることに危機感を感じてしまう。
参考までに、同じモーツァルトでも響きが上がっている声で歌われているのが以下になる。
Marianne Crebassa
クレバッサについては過去記事でも紹介しているので、そちらも未読の方はどうぞ
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癖のない希少なロッシーニを歌うメゾ Marianne Crebassa
コンクールというのは持っている声を競う場所なのか、
歌唱技術や総合的な解釈も含めて評価する場所なのか、
こういうのを聴いているとわからなくなってくる。
もう歌を数字化することが無理なら、何デシベル出せるかを競う大会とか、
ハイC難病伸ばせるかとか、そういうのやってれば良いと思う。
そっちの方がよっぽど誰の目にお明らかな結果が出る。
歌唱芸術とは何なのか?どうあるべきなのか?
コンクールの結果を見ながら考えさせられるし、
真摯に音楽と向き合って研鑽を積んでいる演奏家が檜舞台で活躍できる世の中にするためには、
そういう部分を評価できる耳を持たないといけないと常々思ってしまう。
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