Liana Aleksanyan(リアーナ アレクサンヤン(アレクサニャン))はアルメニアのソプラノ歌手。
2000年に音楽院に入学しているようなので、年齢は現在37~40歳といったところでしょうか?
この人は、キャリアの初めはモーツァルトのリリックな役、フィガロの結婚の伯爵夫人、コジ・ファン・トゥッテのフィオルディリージ、ドン・ジョヴァンニのアンナといった役を中心に歌いながら、椿姫のヴィオレッタも歌っていたようで、
現在では、蝶々さんやアイーダを歌いながら、ヴィオレッタは継続して歌い続けているようです。
しかし、驚くことに、キャリアの途中でルチア、愛の妙薬のアディーナ、リゴレットのジルダといった役も歌っており、意図的に軽い役を歌うことをライフワークとしているのであれば、恐るべきキャリアプランと技術を持った歌手と言う他ありません。
なお、今は蝶々さんが一番の当たり役らしく、今年はイタリアとドイツで蝶々さんばっかり歌う予定になっているのはどうなんだろう?とは思いますが・・・。
ヴィオレッタを歌うタイプの歌手は、殆どの場合若い内はレッジェーロな声でコロラトゥーラを売りにしていて、歳を重ねてヴィオレッタに手を出すケースが多いですが、この人は、リリコ~リリコスピントの声質でずっとヴィオレッタを歌っている。という意味で稀有なキャリアだと思います。
ある意味これが正統派ドラマティコ・ダジリタとも言えるのかもしれませんが。
なお、当人のHPはコチラ
パート1
パート2
恐らくこの演奏は2007年のものなので、2005年のデビューからわずか2年後です。
ということは、20代半ばでこの質の演奏をしているということ。
全くもってとんでもない才能です。
中低音は籠って飛ばない傾向にありますが、
高音のポジションや響きは深さがあり、そこらのレッジェーロからちょっと重くなりました。みたいなソプラノでは逆立ちしても出せないような音色で見事としか言えません。
まだトスカは全曲歌っていないようなので、今後レパートリーとしていくことになるのでしょうが、こういう曲を歌うとまだまだ未熟な部分がでます。
まず、プッチーニの音楽に必要な言葉に即したリズムの振幅がないこと。
それこそメトロノームで刻んだように淡泊な歌に聴こえてしまうのはその為でしょうし、高音の完成度に比べて、やっぱり中低音でのレガートにしろ響きにしろが釣り合っていない。
こういう部分は身体の成長との関係もあるので、単純に技術的な部分だけでなく時が解決してくる問題でもあるでしょうから、焦ってトスカには手を出して欲しくない。というのがこのアリアを聴いた感想でしょうか。
バリトン Peter Danailov
詳しい年代はわかりませんが恐らく2009年のハンブルクでの演奏です。
このジルダは絶対公爵の身代わりになって暗殺なんてされないだろうな~。
と思わせる強さがあり、この重唱も娘に聴こえない声なんですけね(笑)
でも、持ってるテッシトゥーラがハイソプラノなんでしょうね。
声質は合っていないようでも、音域はピッタリで役として相応しい声かどうかを考慮しなければ上手い!
何が凄いって、これだけ強い声なのに全くズリ上げることなく高音がスパスパ決まること。
完璧なアクートってこういうこと言うんでしょうね。
アレクサンヤンの歌唱からも、強い声=重い声、ではなく、
強い声でも軽いポジションで瞬発力を持って歌えることがわかります。
蝶々さんが当たり役なのだそうですが、
個人的には全く可憐さを感じないのですが・・・。
蝶々さんのルーツは諸説あって、プッチーニの書いた音楽だけでキャラクターを判断して良いのかは難しいところだけど、それでも、プッチーニの音楽に準じた表現をしてもらいたいのは誰もが思うことでしょう。
何を言いたいかと言うと、プッチーニのアリアって同じ音で喋るように歌う部分が結構多いのですが、そういう部分の表現に全然可憐さがないのですね。
そこに加えて、プッチーニ自身がやたらポルタメントを付ける歌唱を好んだとのことなので、ポルタメントの付け方のセンスは重要です。
こればっかりは声質によって、付けるとくどくなったり、発声的に崩れたりする人もいれば、かなり執拗にやってもしつこくなく、間延びもせず、逆にしっくりくるような演奏もありますから、適量なポルタメントが存在しないように思います。
参照のため楽譜も添付しておきます
カバリエって本当に凄いと思うんですけど、容姿は全然蝶々さんじゃないかもしれませんが、声や表現の付け方は半端なく上手い。
Montserrat Caballe
https://www.youtube.com/watch?v=pm0r3mMZP6k
※リンクが上手く貼れなかったので、上記URLよりご覧ください
歌詞で言えば例えば下記の部分
(アレクサンヤン 3:15~)
(カバリエ 1:50~)
「E … uscito dalla folla cittadina
un uomo, un picciol punto
s’avvia per la collina.」
「Chi sarà? Chi sarà?
E come sarà giunto
che dirà? Che dirà?
Chiamerà “Butterfly” dalla lontana.」
(そうしたら 町の群衆から出てきたわ
一人の男が それは小さい点のよう
(そして その男が)丘に近づいてくるの)
(誰なの?誰なの?
ここに着いたら
何を言うの?何を言うの?
遠くからバタフライと呼ぶの)
大事な言葉やアクセントはついつい強く発音したくなってしまうのですが、
そればっかりでなく、逆に緩めることによって表現する。
カバリエのピアノの表現に於ける言葉の出し方は本当に素晴らしいです。
単純に音量を落としたり、響きを集めたりというのではなく、母音を決して硬くせずに緩めることで長く音を保つ。(長短アクセントをつける)
こういうのを現代の歌手はもっと参考にすべきだと思います。
アレクサンヤンは低音だと声が胸声に落ちて、響きも言葉もメゾっぽくなってしまうので、余計に言葉が出ない。
そこで強く発音すると硬くなったり、横に広がった母音になってしまったりとバランスが更に崩れてしまうという悪循環です。
口のフォームを見ても、明らかに低音では開け過ぎなように見えます。
その結果、唇が使えてないので余計に発音も前に飛ばない。
勿論、深くて太めの低音が必要な場合はこの歌い方でも良いと思いますが、蝶々さんの言葉として考えると適した表現手段でしょうか?ということですね。
このように聴いていくと、
持っている楽器は歴史に名を残すような名歌手になれるのでは?
と思えるくらい超ド級ですが、まだまだその声を操る手段が貧しい。
単純なディナーミクや発音のような問題だけでなく、
どのような役として演じたいかが今ひとつ伝わらず、どの演奏もアレクサヤン役に聴こえてしまうので、作品解釈の面でも声を持て余している印象を受けます。
とは言え、ハイソプラノとしてのテッシトゥーラを持ちながらも、ドラマティックな声とアジリタをこなす技術は、今活躍してる歌手で太刀打ちできる人はそういないようなレベルですから、やっぱり今後の活躍に期待せずにはいられません。
どうか蝶々さんばっかりでなく、ドイツ物なんかをやって、発音のポイントを前にもっていくようなレパートリーも作って欲しいなぁ。
というのが個人的な願望です。
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