正統派のイタリアンなバリトンの声でドイツ物が歌える逸材Giorgio Caoduro


Giorgio Caoduro(ジョルジョ カオドゥーロ)は1980年イタリア生まれのバリトン歌手。

古典派~ヴェルディあたりまでのイタリアオペラのスペシャリスト的歌手ですが、
モーツァルトのドイツ語の作品、魔笛のパパゲーノもしっかり歌えるあたり非常に柔軟性ももった歌手だと思います。

 

 

 

 

ヴェルディ リゴレット Cortigiani, vil razza dannata

こちらは2014年の演奏なので34歳でしょうか。
声は立派ですが、リゴレットを歌うには早すぎる印象を受けますね。
具体的には、変に泣きを入れるような歌い方だったり、感情を直接的に声にぶつけ過ぎて、ヴェルディの歌唱ではなく、ヴェリズモオペラのようです。
こういう歌い方をする歌手は個人的にはあまり好きではないのですが、
ブッファを歌うと、まるで別人のように端正で切れ味の鋭い歌唱をします。

 

 

 

 

ロッシーニ アルジェのイタリア女 二重唱Ai capricci della sorte
メゾソプラノ Cristiane Stotijn

レチタティーヴォの緩急の付け方や、やわらかい声でも抜いた声ではなく、芯のある響きを維持できている点、
イザベラ役のStotijnが伸ばしている音で一々ヴィブラートが掛かるのとは対照的に、カオドゥーロは真っすぐな響きでありながら柔軟性がある。
このメゾソプラノが全部響きが低くて詰まった声なので、カオソゥーロとは響きの質が全く違うことが直ぐにわかると思います。

 

 

 

 

モーツァルト 魔笛 Papagena! Weibchen! Täubchen!” “Pa-Pa-Pa”

伸びやかで明るいいかにもイタリア人バリトンらしい響きながら、ドイツ語の発音もシャープで、この人、下手したら歴史に残るパパゲーノになるんじゃないか?
と思わせる演奏です。

パパゲーノ役はリート歌いみたいなバリトン~ワーグナー歌いみたいなバスバリまで、様々なタイプの歌手が歌っていますが、ヴェルディバリトンみたいな声のイタリア人がちゃんとしたドイツ語で歌っているのを聴いた記憶がありません。

カオドゥーロの声はしっかりティンブロがあるのですが、
押したような響きではなく、軽さがあって、ドイツ語の”i”母音が理想的に響くポジションです。
それでいながら、咽頭や口腔の空間も広く使えていて深さのある豊な響きを維持していることを考えると、唇や舌の使い方がとても上手く、ブレスコントロールも間違えなく上手い。
歌い回しとか演技で良い演奏のように聴こえるのではなく、単純に歌の実力だけここまで聴かせるパパゲーノの演奏はそうありません。

 

 

 

 

ロッシーニ チェネレントラ Come un’ape ne’ giorni d’aprile

リゴレットを歌っていた時とは対照的に、無駄な力みがないので、
アジリタも軽々こなせる程楽に歌っているにも関わらず、声はリゴレットを歌っていた時より豊な響きで声量も増しているように聴こえます。
この事からも、如何に軽く歌えるポジションが大事かが分かると思います。

ビルギット ニルソンがイゾルデを歌った後、舞台裏で夜の女王を歌っていた。
みたいな逸話がありますが、それは大げさにしても、ドラマティックな声でも、そういうことができる位に軽いポジションを維持して、絶対声が重くならないようにしなければなりません。

なので、これはあくまで持論ですが、
テノールだったらネモリーノのアリア、ソプラノだったらジャンニ・スキッキのアリアみたいなのはどんな声質でもそれなりの演奏ができないといけないと思っています。

そういう視点で見ると、カオドゥーロは軽く歌う技術が十分に備わっているので、
単純に歳を重ねれば素晴らしいヴェルディバリトンになれる可能性は十分にあると考えます。

 

まだ動画がそんなに多くない歌手ではありますが、
編に感情が前のめりにならない時の声は特筆すべきところがあります。
ドイツ語の歌唱でも、パパゲーノを見事にこなしているところを見ると全く問題なさそうなので、ワーグナーを歌っても不思議はありません。

とにかく今は持ち前の明るい響きを存分に生かしたベルカントオペラの喜劇的な役柄で存在感を見せて欲しいと思う一方で、
オペラセリアでの歌唱は、感情を爆発させるだけでなく、押し殺した内向的な表現を身に着けるために、コンサート歌手としての活動もして欲しいという想いはあります。

何にしても、大変魅力的な声を持ったこれから更なる活躍が期待できるバリトン歌手であることは間違えありません。

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