少々体調を崩しており、久々の更新になります。
Edith Wiens(エディス ウィーンズ)は1950年カナダ生まれのソプラノ歌手。
主にドイツで研鑽を積み、オペラよりもコンサート歌手として活躍したこともあり、
あまり日本では馴染みのない歌手かもしれませんが、無理のない自然な歌唱と緻密な解釈で味わい深い録音を残しており、
楽器の強さや声量に恵まれない私達日本人が参考とするにはとても良い歌手だと思っている。
この人のシューベルトは独特な世界観があって面白い。
全体的に遅めテンポで、聴いた感じちょっとリズム的にも遅れ気味にすら聴こえる場合があるのだが、
そこも含めて聴いてるうちに味わい深くなってくるのが不思議だ。
アーメリングの演奏と比較すると違いがはっきりわかる
Elly Ameling
ウィーンズより軽快な演奏で、切れ味の良い歌唱である。
一般的にはアーメリングのような演奏になるのだが、
だからといってウィーンズの解釈が間違っている。とは言えないだろう。
個人的な感じ方ではあるが、
シューベルトを古典派に近い感覚で演奏するか、
あるいは中期ロマン派に寄せて演奏するかでもテンポの揺らし方や伴奏との絡みも変わってくるだろう。
そこは、ベートーヴェンの後期作品をロマン派に片足突っ込んでるので、解釈も古典派ではない。と言う人もいるようなので、
何をもって正しいと言うかは難しい。
ウィーンズの素晴らしいところは、声の美しさや発音の明瞭さ以上に、
母音の音色の使い分けが上手いことだろう。
”a”や”o”母音の深さや明暗を丁寧に使い分けており、時々”a”母音が詰まったような感じに聴こえなくもないが、
発声的な問題と言うより、表現として使い分けているので特に違和感はない。
母音の音色の使い分けをこれほど丁寧にやっている歌手は中々いないのではないかと思う。
この曲はシュトラウスの歌曲の中でも演奏機会の多い曲なので、比較してみるとよくわかる
Christiane Karg
クリスティアーネ カルクは現代リート演奏で高い評価を得ているソプラノ歌手だが、
「Gib mir die Hand~süßen Blicke」までの部分などはウィーンズの傑出した音色の使い方がよくわかる。
ウィーンズ(1:05~)
カルク(1:10~)
「Hand」の発音なんかは、カルクがやや被せ気味の音色で揺れてしまっているのに対して、
ウィーンズは本当に愛おしい手をそっと握っている様子が浮かぶような感じがする。
他に、男性歌手ではどおか。
Jonas Kaufmann
カウフマンのリート演奏は、恐らくオペラより専門的に見て評価が高いと思うのだが、
まさに発声的な硬さにより、ウィーンズのような色彩感のある母音がカウフマンには決定的に欠けている。
ディナーミクや言葉の扱いは上手いし、歌そのものは上手いのだが、
理屈では上手い歌として捉えられても、詩の情景が浮かんだり、共感して上手い以上に特別な感情移入をすることは難しい。
参考までに歌詞の訳の全文を載せるので、実際に歌詞を見ながら聴き比べて頂きたい。
<歌詞>
Stell’ auf den Tisch die duftenden Reseden,
Die letzten roten Astern trag herbei,
Und laß uns wieder von der Liebe reden,
Wie einst im Mai.
Gib mir die Hand,daß ich sie heimlich drücke
Und wenn man’s sieht,mir ist es einerlei,
Gib mir nur einen deiner süßen Blicke,
Wie einst im Mai.
Es blüht und duftet heut auf jedem Grabe,
Ein Tag im Jahr ist den Toten frei;
Komm an mein Herz,daß ich dich wieder habe,
Wie einst im Mai.
<日本語訳>
テーブルに香り高いモクセイを置き、
今年最後のアスターをこちらへもってきて
そしてまた愛について語り合おう
あの時の五月のように
手を貸して そっと握るから
もし誰か見てたって、僕にとっては何もかわらないね
甘美なまなざしでもう一度でいいからみつめて
あのの五月のように
どのお墓も花々で飾られ、良い香りで満たされている
年に一日の死者達に自由が与えられる日
また君を捕まえるから、僕の胸へ飛び込んでおいで、
あの時の五月のように
因みに、アスターの花はコチラ
もっと技巧的で伴奏がガチャガチャしたシュトラウスの歌曲でも、この通り
全く雑になることなく、誇張表現もなくあっさり歌ってしまう歌唱技術もある。
この人の演奏は、もっと広く日本で認知されてほしいものである。
ただ派手に高音や技巧を振りまくだけがシュトラウスの歌曲ではないのだが、
残念ながら演奏会でもコンクールでも、Rシュトラウスの歌曲は高音自慢、技巧自慢のタネに使われる傾向が強いように感じるので、
ウィーンズのような切り口でシュトラウスの歌曲を歌う歌手がもっと現れて欲しいと願うばかりだ。
[…] ブラームスは声質との親和性でかなり上手くいっているように聴こえるが、 一方のシューベルトはそうはいかない。 声だけ聴けば、しっかりしたフレージングとディナーミクのコントロールができているように聴こえるが、 やはり子音の処理が甘々なのがシューベルトでは露呈してしまう。 曲のリズムと子音のリズムが計算して作曲されているので、そこが出てこないとドラマを表現するところまではいかない。 先日の記事でも取り上げたウィーンズとの比較 […]