Julie Fuchs (ジュリー フックス)はフランスの若手ソプラノ(何年生まれかは不明)
既にドイツグラモフォンからCDを出すなど、若き日のネトレプコのような注目度を感じるのがこの人
フランスには素晴らしいソプラノが沢山出ているが、
その中でも確かにこの人の歌唱には華があり、大変滑らかなコロラトゥーラにも魅力がある。
だが、大手レコード会社DG( )が総力を挙げて売り出す程の才能か?
と問われると個人的には疑問がなくもない。
コロラトゥーラの技術は見事ではあるが、最後の出さなくても良いハイEsを出して決まらない。
というのはちょっと残念。
そして、何より問題は響きの質が高音と低音で変わってしまっていること。
一世を風靡したドゥセイの演奏と比較すると違いは明らか
Natalie Dessay (6:30~)
この演奏は2007年なので全盛期は過ぎている時、要するに喉を一度痛めた後のことだが、
注目すべきは低音の音質。
完全なハイソプラノのはずのドゥセイだが、低音で音を絞ったように響きが軟弱になることがなく、
それでいて当然胸に落としたような太い声にもなっていない。
一方のフックスは、上手く処理はしているが、奥で抜いたような響きになってしまい、
音が低いと発音も曖昧になってしまう。
このことが表現にも表れる。
全曲と演奏会でアリアだけ歌うのでは。演技の有無や前後の流れなんかもあるので、一概にどっちの表現が優れている。
という比較をすることは難しいが、こういうアリアでも、低音域をどのように歌うかで表現に違いが出ることは伝わると思う。
超絶技巧や高音のピアニッシモがいかに素晴らしくても、当たり前に誰でも出せる音域が平凡ではやっぱり一流とは言えない。
ガチガチのクラシック作品ではないが、とても中途半端な印象を受けてしまう。
歌い方はクラシックだが曲がそうではない。と言うか・・・。
あえてDGからこういう作品を出さなくても良いのでは?と思わなくもない。
なんせ声が全体的に硬く、もっとどちらかと言えば息交じりの声とかを駆使した方が合いそうなのだが表現が単調なため、
フックスという歌手は超絶技巧をやってこそ価値のある歌手だ。ということを逆に印象付けられてしまった。
こういう曲は全く誤魔化しが効かないので、歌手を実力を計るのには最適だ。
まず、殆どの音が喉声で非常に浅い。
出だしの
「Deh, vieni, non tardar ,Oh gioia bella!」
という部分だけ聴いても、「 non tardar 」という部分が完全に鼻声なのがわかる。
同じようなレパートリーで活躍しているペレチャッコとの比較
Olga Peretyatko
ペレチャッコも時々詰まったような声になることがあるのだが、
それでもどの音域で歌っても響きに高さがあり、鼻声にもならないので結果的に喉声にはならない。
響きが鼻に入ると結果的に喉声になってしまう。
一番最後の伸ばしている時のヴィブラートなんかも、フックスの場合かなり不自然に揺れている。
このように、フックスにはまだまだ発声技術的な問題が沢山ある。
ロッシーニになるとフックスの良さが出る。
高音は低音に比べれば無理のない歌い方だが、それでもまだまだ楽に出せるようになるだろう。
詳しい年齢はわからないが、まだまだ30前後と思われるので、
まだまだこれからの成長も期待できる。
全然関係ないのだが、このオリー伯爵のアリアと、
ランスへの旅のアリアが私の中では区別がつかなくなることがある。
セッラとの比較がてら聴いて頂きたい。
luciana serra
ロッシーニ ランスへの旅 フォルヴィル夫人のアリア
ロッシーニやドニゼッティは旋律の使い回しが沢山あるのだが、
他に有名なのだと、セビリャの理髪師のテノールアリアと、チェネレントラの有名なフィナーレのアリアなんかは完全にそうなのだけど、
これは両方ソプラノアリアということもあって、どっちがどっちのアリアかわからなくなる時がある。
それにしてもセッラの技術があまりに高過ぎて笑えてくる。
次にブレイクする歌手を紹介するはずが、
気付けばダメ出しばかりする記事になってしまった。。。。
まぁ、こういうところからも、
有名レーベルからCDを出したからと言って一流歌手という訳ではない。
ということが分かるのではないだろうか?
ただ、そうは言っても歴史あるレーベルから目を付けられるような歌手なので当然素晴らしい才能を持った歌手であることも確かで、
今後本物の一流演奏家になれるのか、注目するには十分価するだろう。
[…] 次にブレイクするコロラトゥーラの最有力候補 Julie Fuchs […]