オート コントルと呼ばれるフランスバロック音楽を歌うテノール Cyril Auvity

Cyril Auvity(シリル オヴィティ)はフランスのテノール歌手。
フランスのバロック音楽を歌うテノールは、オート コントルと言われるようで、
実際はカウンターテノールとテノールの中間、声もミックスボイスのようなところで常に歌うような声種のようだが、
オート コントルという声種を明確に定義している記事は日本語では見当たらない。
そんな訳なので、とりあえずそういう呼び方もあるのか~
程度の認識で良いのではないかと思う。
ランベール  Vos Mépris chaque jour

Michel Lambert (ミシェル ランベール)フランスバロック音楽を得意としているオヴィティだけに、
このランベールは十八番としている作曲家である。
柔軟性のある声でありながら、決してファルセットではなく、発音も明瞭。
ただ、この発声は私の感覚では本来の意味におけるベルカントなテノールの歌唱なのではないかと思う。
もうドニゼッティやベッリーニの生きた時代のテノール歌手の声を再現するすべはないので、正確なことはわからないが、
1800年代中旬までは高音をファルセットに近い音色で歌うことが普通で、
胸声で出したハイCをロッシーニは批判している。
本当に鶏を絞め殺したよな声だったのかもしれないし、ロッシーニが単純に嫌っただけかもしれない。
そこはどんな文献を読もうと真実は分からないが、
はっきりしているのはベルカント作品と呼ばれるオペラのテノールは高音をファルセットに近い音色で出していたことだ。
そう考えるとオヴィティの発声はその歌唱に符合する。
モンテヴェルディ ウリッセの帰還 Del mio lungo viaggio

他の歌手とは比較のしようがないので、この人の歌唱を評価するのは難しいが
低音の鳴りは意外としっかりしており、純粋なレッジェーロテノールではない。
というのが大きな特徴かもしれない。
歌い方は非常に軽やかだが、声その物は決して軽い声ではない。
モンテヴェルディ Tempro la cetra

この曲では胸声~高音まで滑らかなミックスボイスで移行している様が伺える。
このように高音をファルセットに近い音色で出すことは現代のテノールではまずやらない。
例えばボストリッジの演奏
モンテヴェルディ オルフェオ Possente spirto

ボストリッジは声その物が軽く、
そもそも、あまりファルセットと実声の境目がない。
それに比べてオヴィティは、歌い方次第ではバリトンもできるかもしれないような太さをもっている
そういう意味において、軽いテノールではなく、本来は太い声のテノールがこのような歌唱をしていることが斬新なのである。

 

 

 


 

 

 

MAシャルパンティエ  Triste déserts

中音~高音にかけてのピアニッシモは実声ではできない、繊細で柔らさがあり、
それでいてファルセットには出せない芯がある声だ。
その一方フォルテで高音を出すと、途端に機械的な倍音の貧しい硬い音になってしまうのはやや気になる。
これは完全なノンヴィブラートなのだと思うが、バロック=ノンヴィブラートというのは正しくないだろう。
実際、現代最高のカウンターテノール、ジャルスキーは機械的に長い音符をノンヴィブラートで伸ばしたりはしない。

 

 

 

Philippe Jaroussky
ヘンデル リナルド Cara sposa

ジャルスキーと比較すると、響きの高さは一枚も二枚も上手
ジャルスキーとオヴィディは同じフランスの歌手で、レパートリーも同じなので共演もしているので、
重唱をしている映像を聴くと、もっとはっきり響きの質の違いがわかる。

 

 

 

 

 

モンテヴェルディ ポッペアの戴冠 Or che Seneca è morto
カウンターテノール Philippe Jaroussky

この演奏でのオヴィティはミックスボイスを使わず、胸声で張って高音を出しているので、
他の演奏では聴けないテノールらしい高音も聴くことができる。
ただ、問題はピアノの表現で、実声でピアノの表現をすると響きまでなくなってしまい、
ジャルスキーのように、ピアノでもフォルテと同じような芯の強さがある声とは全く違ってしまっている。

アジリタの技術については文句なしに素晴らしい。
とりあえず無茶苦茶器用な歌手であるのは確かだが、その分本質が見えない。と言えば良いのか、
現代の多くのテノール歌手とは比較できない歌唱をする人である。
後は生で聴いてみないと、声や発音がどの程度飛んでいるのかがわからないので、判断が難しいところだが、
映像で聴いた限りでは、あまり声が飛んでいないように聴こえる。

 

 

 

 

 

ラモー SOUVIGNY L’YRIADE

この演奏なんかは、へたしたら鼻歌の延長線上のような歌い方だ。
「高音は息を回して~」とか
「もっと支えて!」とか歌を習うと誰でも言われると思うのだが、
そういうものとは一切対局にある、
口先だけで高音はファルセットになっても構わない。というスタイル。
日本で声楽を勉強したら絶対こういう演奏は許されないだろう。。。
その一方で、ジャルスキーと一緒に歌っている時のような張った声も出せるのだから、
オヴィティという歌手の本当の声がどれなのか、聴いていてわからなくなってしまう。
一般的にカッチリしたイメージの強いルネッサンス・バロック音楽だが、
声楽的には表現の許容範囲がとても広く、発声的にも実は古典派以降に比べれば自由度が高いのかもしれない。

 

 

 

 

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