Agostino Lazzari(アゴスティーノ ラッツァーリ)1919年~1981年はイタリアのテノール歌手。
リリコ・レッジェーロの声質で、スペインの名テノール、アルフレード クラウスにそっくりな発声と歌い方をする人で、勿論歌唱そのものも大変素晴らしい人なのだけど、
あまり知られていないと思うので、久々に古い歌手を取り上げてみようと思います。
リリコ~ドラマティックなイタリア人歌手の全盛期で、
逆にレッジェーロ寄りのテノールはあまり劇的な歌唱を好まない傾向にありました。
タリアヴィーニもヴァッレッティも過剰な表現は決してしません。
しかしこの人は軽い声にも関わらずとにかく熱っぽい。
それでいて決して勢いだけ歌う訳ではなく、確かな技術と、やや鼻の裏の響きが強めときている。
Alfredo Kraus
クラウスの録音は50年代の若い時のものです。
ラッツァーリの方がピアニッシモを存分に駆使して冒頭に挙げたロドレッタの演奏とは別人のような歌唱を聴かせている。
Alfredo Kraus
ウェルテルと言えばクラウスと言われ、彼以上の演奏は存在しないと思って生きてきたわけですが、ラッツァーリの演奏はイタリア語歌唱であることを除けば決してクラウスの演奏に劣りません。
個人的な感覚ではありますが、クラウスが言葉一つ一つを詩的に表現しているのに対して
ラッツァーリの演奏はベルカントオペラの延長線上にあるかのような、どこまでも繊細なレガートがまずあって、その上でこのアリアを歌っています。
興味のある方はウェルテル全曲の演奏も聴いてみてください。
マスネ ウェルテル(全曲)
Werther: Agostino Lazzari
Carlotta: Magda Olivero
Sofia: Nicoletta Panni
Alberto: Saturno Meletti
il podestà: Carlo Badioli
Schmidt: Gino Pasquale
Johann: Gerardo Benedetti
マスネがワグネリアンであり、ドニゼッティやベッリーニの音楽より、ワーグナーに近いのは間違えないことではありますが、歌唱においては、ヘルデンテノールとベルカント作品を得意とするテノール、どちらが上手く歌えるかと聞かれれば大抵の方は後者と答えるでしょう。
他にも、ウェルテルという役に絞って言えばバリトンで歌われる場合もある。
ただし、当時のテノールの高音がファルセットに近い声だったことと、
テッシトゥーラがワーグナーのテノール役よりウェルテルの方が高いことを考えると、マスネがワグネリアンだからといって、ワーグナー作品に求められる言葉による表現が正しく、ベルカント作品に求められる母音をレガートで歌うことを追求した唱法ではマスネの作品には合わない。ということにはならないだろう。
ラッツァーリのどこまでも言葉に感情をぶつけることなく、一本の旋律線を途切れることなく美しく描き出すようなウェルテルの演奏には新鮮な発見がある。
オリジナルのドイツ語歌唱をカウフマン聴いてみましょう。
Jonas Kaufmann
Hab’ ein blaues Himmelbett t
最初に断っておくと、私は別にアンチカウフマンではありません。
実際、高音のピアニッシモは悪くないと思うのです。
少なくとも、道化師とか歌ってる時に比べれば、本来の彼の声はこっちだとわかるでしょう。
しかし、ラッツァーリと比較したら決定的にダメな部分がある。
それは中低音で不自然に喉を鳴らす声になっていること。このせいでポップス歌唱のように聴こえて、折角の高音も台無しです。
低音~高音まで同じ音質のラッツァーリとは対照的にカウフマンの低音は高音と完全に分離しています。
もしかしたら、高音がファルセットで低音が実声のように聴こえる方もいるかもしれませんが、
そうではありません。。
ラッツァーリの歌唱を聴けばわかる通り、全ての音域をファルセットか実声か区別できないような軽いポジションで処理するのが正解です。
少なくともカウフマンは本来そんなに重い声ではありませんからなおさらです。
それにしてもラッツァーリは録音が少ない。
以下に紹介したものを除いては
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