Marina Comparato(マリーナ コンパラート)はイタリアのメゾソプラノ歌手。
何年生まれかはわかりませんでしたが、1996年がオペラデビューのようなので、1970年代と思われます。
得意なレパートリーはモーツァルトとロッシーニですが、
技巧が得意というより、言葉の明瞭さにこそ特徴があるように思います。
その他のレパートリーではカルメンやウェルテルのようなフランス物から、RシュトラウスやCウェ-バーの作品のようなドイツ物までこなしているようなので、やはり一般的なロッシーニメゾとは違うタイプですね。
低音と高音で声のチェンジがはっきりわかってしまうのが気にはなりますが、リリックでとにかく母音が全て明るく、
イタリア語が明るい母音の響きで歌われることで生き生きと聴こえる言語なのだと気づかされます。
確かに、ディ・ステファノなんかは、
「アペルトな歌い方だ」と声楽に詳しい人ほど批判的な言われ方をしますし、実際その歌い方が喉に大きな負担を掛けることを彼のキャリアが証明してしまいました。
その一方で、イタリア語の美しさでは中々ディ・ステファノに太刀打ちできる歌手がいないのはスルーしてはいけない部分でしょう。
要するに、イタリア語が美しく聴こえるには、母音の明るさがポイントになるのではないでしょうか。
時々喉を押すような硬さや、不自然なヴィブラートが気になることもありますが、曲の構成力と言えば良いのか、
どこに向かってフレーズを歌っていくかがしっかりしているので、
とりあえずフォルテで歌いました。楽譜に書いてあるからピアノにしました。
というような音楽ではなく、
後半の技巧を聴かせる部分も含めて、自然な表現として処理できているのが素晴らしいですね。
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上で紹介したものは5年以上前の演奏ですが、
これは恐らく昨年のものです。
低音が決して鳴るタイプの歌手ではありませんが、
前に響きが集まっているので、あまり大きい声でなくても、
発音が非常に明確に聴こえます。
ここでは各母音の響きも均一になっています。
例えば、「ミゼレーレ」のような言葉、
これは、最初が”i”母音で、後が全て”e”なので、
「ミジリーリ」位の意識で歌わないと、「ゼ」で響きの質が平べったくなり易いのですが、
逆に、”i”母音が正しいポジションにハマらない歌手は、
全部開いた「メゼレーレ」のように歌います。
しかし、これは解決策にはなりません。
そんな訳で、同じイタリア人メゾのディンティーノと比較してみましょう。
LUCIANA D’INTINO
分かり易い部分の比較は
コンパラート(7:00~)
ディンティーノ(6:39~)
ディンティーノの方が声は立派なんですが、
上行音型の時に、どんどん母音が平べったくなって、
最後の「ノービス」は完全に「オービス」になり、それ以後は何を言っているかわかりません。
これ宗教曲なんですけど・・・と突っ込みたくなるような、まるでヴェルディのアリアを歌うようにロッシーニの宗教音楽を演奏していますね。
コンパラートの方が、少々高音で喉を押すような力みがみられますが、
母音が一つ一つ的の真ん中を射抜くように響いています。
こういうティンブロのある母音は一番前で発音する”i”母音から作っていかなければいけないのですが、コンパラートの歌唱を聴いてもわかるように、喉や口内の空間が狭くなり易いので、豊な響きと芯のある母音を両立させるのは大変難しこともわかると思います。
言葉より声を優先したディンティーノの歌唱と、
言葉をあくまで重視したコンパラート、対照的な演奏だと思います。
3:30以降は別の歌手が歌っていますが、
カラっとした歯切れの良い歌い方はバロックとの相性が良いですね。
音の入りが鍵盤を叩くように決まるのが何と言っても素晴らしいです。
機械的な超絶技巧もそれはそれで凄いのですが、コンパラートは引き締まったリズム感の中でも人間味のある歌唱ができることで、発音が奥まっている歌手には絶対にこのような歌唱はできません。
Serena Malfi
マルフィもイタリアのメゾソプラノですが、全ての母音が奥まっていて、スラヴ系の歌手のような歌い方です。
これでは、いくら技巧がしっかりしていても、イタリアバロック音楽の生き生きしたリズム感はまるで感じられません。
このように、発音のポイントを前にもっていくということが、音楽に表情を与える上でいかに重要かが分かるのではないかと思います。
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