美しい息の流れを聴かせるソプラノMaria Kostraki

Maria Kostraki (マリア コストラキ)はギリシャのソプラノ歌手。

ドイツで歌を学び、名ソプラノチェリル スチューダーに師事していたようで、
その歌唱も、師匠譲りの繊細な息遣いで美しく旋律を歌い上げる技術を継承しているように見えます。
他にも、レナート ブルゾン、マリエッラ デヴィーアといったイタリアオペラの巨匠からも指導を受けており、もっと注目されても良さそうな歌手なんですが、派手さや、圧倒的な美声、声量といったものを持ち合わせている訳ではためか、演奏そのものは地味と言って良いかもしれません。
ですが、イタリア的なレガートとは違った、繊細で真っすぐに旋律線を描く柔らかいレガートな歌唱は実に魅力的です。

 

 

 

マノス ハジダキス(Manos Hadjidakis) Magnus Eroticus

キリル文字はなんとなく読めるけど、ギリシャ語はさっぱりなので、この曲について調べることすらできない有様なのですが、初めて聴いた時になぜか泣けてしまったのです。

またYAMAHAのピアノの音がいい味出してるんですよね~。
コストラキの柔らかく、それでいて一点の曇りもない真っすぐな響きは、
スペインのメランコリックな感じと、ロシアの鬱屈した内向的な情熱の狭間にあるような哀愁を感じさせます。
個人的にこういう歌を歌える歌手には魅力を感じてしまいます。

 

 

 

ロッシーニ 湖上の美人 Tanti affetti … Fra il padre

この演奏はConcorso Internationale ArteInCanto 2012でのものなので、20代半ばの演奏と思われます。
コストラキの響きは、悪い意味ではなく低いポジションの響きがとても安定しています。
響きのポジションって高ければ良いという訳でもなく、頭部しか鳴っていないような声はダメで、
しっかり胸から繋がった高い響きがないとキンキンした響きになってしまいます。
コストラキの声は、上手いメゾソプラノ歌手のように、胸の響きと、いわゆるマスケラの響き(顔面の響き)がしっかり良いバランスで鳴っているんですよね。
まだまだ声自体は若いですが、それでも響きの奥行と声の軽さのバランスが良く、
アジリタも無理やりコロがしていると言うより、自然に息が通るに任せて低音~高音へ抜けていく感じがあります。
こういう歌い方を聴いていると、なるほど、確かにスチューダーの歌い方に似ています。

 

 

 

 

モーツァルト コジ ファン トゥッテ Temerari … come scoglio

細い響きでしっかり低音が鳴るというのがコストラキの強みですね。
高音にはまだまだ硬さがみられるものの、中低音が安定していて、
モタつくことのない清潔感のある音楽作りのため、アリア全体を聴けば良く歌えていると思います。

聴かせ処だけはりきって良い声が出たとしても、低音がスカスカとか、広い跳躍ではズリ上げたりテンポがモタつくといったことがあると、モーツァルトの音楽として良い演奏には中々なりません。
コストラキは、部分的に切り取って声を聴けば素晴らしい美声の持ち主という訳ではないかもしれませんが、曲を通して聴くと説得力のある演奏ができる。そんな歌手だと思います。

 

 

 

 

モーツァルト Nehmt meinen Dank, ihr holden Gönner!

素朴な曲であるが故に、変な癖があるとバレ易い曲とも言えますね。
シェーファーの演奏と比較してみると、中低音で喋る=高音とはポジションが変わる。が良くないことだとわかります。

 

 

 

Christine Schäfer

シェーファーの方がコストラキより軽い声のはずなんですが、太く硬い声に聴こえますね。
声楽を勉強していると、高音では声を被せる(コペルト)する。という表現をすることがありますが、シェーファーの声は一々被せているようで、もっと明るく軽やかに歌えるはずなのに、一々単語ごとに音楽が切れてしまって、発音は明確でもフレーズ感がなく旋律美を味わうことはできません。
コストラキのように胸の響きと連動した上で、高いポジションで喋る。こういう歌唱法の良さがもっと一般的に認知されると良いのですが、派手さがないので、ただ上手いとか、良い歌手だね。という反応で終わってしまう。
歌の上手い下手を分かり易く文章で表現することは何と難しいことか・・・!

 

 

 

 

 

ドヴォルザーク ルサルカ Mesicku na nebi hlubokem

日本人ソプラノもなぜかこの曲だけはよく歌うのですが、とりあえず高音張り上げる歌手が多くて残念な気分になることがよくあります。
この曲以外にスメタナとか他のドヴォルザークの作品とか、マルティヌーの曲なんて絶対歌わないのに、なぜこの曲は日本でも人気があるのか不思議に思うのは私だけなのでしょうか・・・。

それは置いといて、
空間を満たすように、凛とした真っすぐな響きが広がっていくような高音と、語りかけるような低音、これほど穏やかな息遣いを感じられる演奏は中々ないと思います。
こういう演奏を聴くと、喉を押さない。ということが如何に良い歌を歌う上だ大事かが改めてわかる気がします。
わかっても実践するのは並大抵のことではないんですけどね。

 

このように、とても魅力的な歌を歌うコストラキですが、
本人のHPを除いてもスケジュールがないので、どこで歌っているのかは今一つわかりません。
ですが、一流劇場と言われるようなところで主役を歌っているような感じはありませんし、日本語の記事も見かけませんでしたので、日本では全くと言ってよいくらい知名度のない歌手だと思います。

英語の記事ですが、コストラキのインタビューの内容なども書かれたものを見つけたので、興味のある方は詠んでみてください。

 

Women’s History Month: Maria Kostraki – Greek Soprano

 

上記の中で気になったのを紹介すると

 

「A voice on its own is not enough to ‘build’ an artist!Technical vocal studies are also necessary, studies on the styles of every era in music, theater, and dance as well as general studies in literature, poetry, and philosophy—the lyric singer is an amalgamation of artists」

テノール馬鹿、ソプラノ馬鹿の皆さん、いくら高音や超絶技巧ができてもアーティストではないということで、私もそうですがちょっと耳が痛い(笑)。
それにしても、劇作品とダンスに関する知識・・・、バロック音楽は確かに舞曲を知らないと正しいテンポすら判断できないのですが、ここに哲学を持ち込むところがギリシャ人らしいですね。

 

「She stated that the latest economic conditions in Europe have generally not helped artistic professions」

ちょっと待て、ヨーロッパがアーティストを十分に支援していないのならば日本はどうなる?
こういう文面を見ても、日本で音楽に限らず、芸術を学ぶというのが如何に大変かが分かってしまうのですが、実態価値しか生み出さない芸術家がもっと尊重される国になれば、必然的に良い歌手も出てくることは間違えありません。

歌を聴いて、絶対インテリ系だなと思ったら、やっぱりそうでした。
押しつけがましいのは嫌いですが、やっぱり歌には知性が求められる。
コストラキの演奏を聴いたり、彼女のことを調べていて改めてそう実感しました。

 

 

 

 

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