Andrè Schuen (アンドレ シュエン)は1984年、イタリア生まれのバリトン歌手。
南チロル地方生まれで、3か国語ができるというのですが、それがイタリア語とドイツ語と、地域言語のラディン語というもののようです。
名前からしてイタリア人っぽくないと思っていましたが、音楽を学んだ場所もオーストリアで、
指導を受けたのも、 Wolfgang Holzmairをはじめ、Sir Thomas Allen,、Brigitte Fassbaender、Marjana Lipovsek 、 Olaf Bärといった完全にドイツ系の名歌手達です。
ウィグモアホールでのリサイタルでドイツリートを歌うイタリア人というのは今までいたのでしょうか。
強い声でありながら重過ぎず、ドイツ語の発音のピントにしっかり合った響きです。
なるほど、これは確かにトマス アレンのようではないですか。
声的にはモーツァルトもヴェルディも歌えてしまうだろうし、ワーグナーのそれなりに強い声が求められるような役でもそのうち歌えそうな雰囲気があります。
この深みのある歌唱でまだ30代半ばとは、楽器も感性も非常に早熟な歌手ですね。
折角なので1曲目に歌っている”Auf der Bruke”を詳しく見てみましょう。
<歌詞>
Frisch trabe sonder Ruh und Rast,
Mein gutes Roß,durch Nacht und Regen!
Was scheust du dich vor Busch und Ast
Und strauchelst auf den wilden Wegen?
Dehnt auch der Wald sich tief und dicht,
Doch muß er endlich sich erschliessen;
Und freundlich wird ein fernes Licht
Uns aus dem dunkeln Tale grüßen.
Wohl könnt ich über Berg und Feld
Auf deinem schlanken Rücken fliegen
Und mich am bunten Spiel der Welt,
An holden Bildern mich vergnügen;
Manch Auge lacht mir traulich zu
Und beut mit Frieden,Lieb und Freude,
Und dennoch eil ich ohne Ruh,
Zurück zu meinem Leide.
Denn schon drei Tage war ich fern
Von ihr,die ewig mich gebunden;
Drei Tage waren Sonn und Stern
Und Erd und Himmel mir verschwunden.
Von Lust und Leiden,die mein Herz
Bei ihr bald heilten,bald zerrissen
Fühlt ich drei Tage nur den Schmerz,
Und ach! die Freude mußt ich missen!
Weit sehn wir über Land und See
Zur wärmer Flur den Vogel fliegen;
Wie sollte denn die Liebe je
In ihrem Pfade sich betrügen?
Drum trabe mutig durch die Nacht!
Und schwinden auch die dunkeln Bahnen,
Der Sehnsucht helles Auge wacht,
Und sicher führt mich süßes Ahnen.
<日本語訳>
元気よく駆けて行くのだ 休まずに
わが良き馬よ、夜と雨の中を!
なぜ恐れるのだ 茂みや枝を
荒れた道にどうしてつまづく?
森が広がっていようとも どれほど深く 暗く
いつかそれは開けるはずだ
そして親しげに 彼方の光が
われらに暗い谷間から挨拶してくれるだろう
私は山と野を飛び回ることもできるだろう
おまえのほっそりとした背に跨って
そして世のさまざまな営みや、
美しい姿を楽しむこともできるだろう-
多くの瞳が僕に優しく笑いかけ
安らぎと愛と喜びを贈ってくれる
それでも私は休むことなく
私の苦しみのもとへと帰って行く
なぜならもう三日間も私は離れていたのだ
彼女のもとを、永遠に結ばれた彼女の
この三日間、太陽も星も
大地も空も私からは失われていた
あの喜びと苦しみ この心を
彼女のそばで癒したり引き裂いたりするものの代わりに
私はこの三日間ただ苦しみだけを感じていた
そしてああ!喜びはなしで過ごさなくてはならなかったのだ!
遠くわれらは見る 陸と海を越えて
暖かい平野へと飛んで行く鳥
それなら一体どうして 愛が
自分の道で迷ったりすることがあるだろうか?
だから 力強く駆けろ この夜を抜けて!
たとえこの暗い道が消えてしまっても
憧れの明るい眼が見張ってくれていて
甘い予感が私をしっかりと導いてくれるのだから
タイプが似ていると感じるキーンリーサドも同じホールで同じ曲を歌っている映像があったので比較してみましょう。
Simon keenlyside
キーンリーサイドに比べればシュエンの声は若いですが、高音に余裕があり、
表情も豊です。
例えば、1番の歌詞では
終始勇ましく疾走していくように歌いながらも、
「Und freundlich wird ein fernes Licht Uns aus dem dunkeln Tale grüßen.」
(そして彼方の光が親しげに、暗い谷から挨拶してくるだろう)
で柔らかい響きを使って上手い具合に表情を作っています。
一方のキーンリーサイドはずっと同じような感じで歌いながら、高音になると更に力を込めて、テンポも落としてより劇的に歌っています。
このようなアリア的な表現の方が聴き映えはするかもしれませんが、リートとしての完成度はシュエンの演奏ではないかと思います。
ただ、伴奏をしているピアニストはリーサイドの伴奏をしているマルティヌーの方が上手いですね。
まぁ、この人は伴奏ピアニストで世界トップクラスの実力者なので当然と言えば当然ですが・・・。
あまりイタリア人の歌には聴こえませんが、硬めな声で、伴奏も殆どペダルを踏まないキリっとした音楽作りは総合的に完成度が高いですね。
リート歌いのアリアといった感じで、自分の声のことだけ考えて歌っているのではなく、伴奏との絡みをよく計算した演奏になっているので、オケで聴くのとは随分趣が違って面白いです。
以外と外し易い最後の最高音(Fis)も余裕があり、部分若いのに安定感も抜群です。
シューベルト Im Frühling
こちらは去年の演奏のようです。
テンポが遅過ぎて違和感があるのですが、柔らかい表現にはまだまだ物足りなさがあります。
これだけ遅いテンポで歌うからには、一つ一つ言葉の意味に即したスピード感や音色で歌わなければ間が持ちません。
短調に転調してからテンポを速めていますが、基本的な表現スタンスに変化はなく、長調と短調の変化にどのような意味があるのかが歌からはあまり伝わりません。
彼の歌の決定的な問題点を具体的に指摘するなら、例えばこの曲の最後のフレーズ(4:09~)
「Dann blieb ich auf den Zweigen hier,Und säng ein süßes Lied von ihr,Den ganzen Sommer lang」
(そして私はこの條々に止まり、夏中彼女に一つの甘い唄を歌っていたい)
という部分。
「Zweigen」の”ei”で喉を押します。
「ganzen」の”ga”で不自然な膨らませ方をします。
高音のピアノ「 ihr」は完全にファルセットです。
このように、まだピアノの表現では響きに言葉を乗せることができきれていないので、
言葉のアクセントで喉を押して強調してしまう傾向があり、特に低音ではそれが顕著です。
この曲は少なくともそんな感じです。
何にしても、高音では響きが薄くなり、低音では太くなるということは、やっぱり響きのポジションがまだまだ正しい所にハマっていないということは確かですね。
よって声の良さと、言葉さばきの上手さ、伴奏と歌のバランスを考える知性を持ち合わせているので完成度の高い演奏ができていますが、発声的には課題があり、そこを克服しないと、まだまだピアノの表現には粗が目立つということですね。
Siegfried Lorenz
この比較で、まだ声で歌っているシュエンと、響きに言葉を乗せて歌っているローレンツの根本的な発声の違いが分かると思います。
シュエンは聴いての通り、大変魅力的な声と知性を持った素晴らしい歌手ですが、
まだまだ発声的には開拓の余地があるので、その意味では伸びしろがあるとも言えます。
ただし、この歌い方の癖を治すのは簡単なことではないと思うので、周りや当人がいかに問題に気付いて修正できるかが今後の歌手人生を左右するとさへ言えると思います。
是非ともシュエンの完成された声がどんなものか興味がありますし、まだ30代半ばなので、ここから更に人の伸びしてくれることを期待して已みません。
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