現代に現れた真のジークフリート Andreas Schager

Andreas Schager(アンドレアス シャーガー)は1971年オーストリア生まれのテノール
日本にも何度か来日して圧倒的なジークフリートを演じて多くのワグネリアンを熱狂させたのは記憶に新しい。
底なしの体力、圧倒的な声量、芯のある明るい響き、どれを取ってもジークフリートを歌うために生まれたとしか思えない。

映像はワーグナー ジークフリート 1幕フィナーレ

はっきり言って、この人の歌い方は他人が真似できるものではない。
本来、ここまで上の歯を見せてたり、高音をのけ反るようにして出したりすることはマイナスである。

 

実際、来日して歌ったヴェーゼンドンクリーダーでは、そのマイナス面もかなり出ている

往々にパッサッジョと言われる音域(E~G辺り)はことごとく鼻声っぽくなっているし、
時々声が揺れる。
こういう歌い方では繊細な弱音のコントロールは難しく、アクセントの語尾で音が上がった場合に不自然に明るい音色になって、
言葉のアクセントに合わない表現になってしまう。
特に1曲目の(天使)、3曲目の(温室にて)は顕著。
4曲目も歌詞に反して響きが明る過ぎる。身体があるので浅いとは感じないだろうが、
日本人がこのフォームで歌ったら確実に浅い響きになる。

要するに、深さとか陰影といった表現には適さない歌い方だけに、
例えばトリスタンなんかを歌うとどうしても物足りないのだが、ジークフリートは逆にそれがプラスになる。
ミーメがどんな陰謀を巡らせようが、大蛇と相対そうと、炎が燃え盛る山があろうと決して恐れてはならないのだ。
この無尽蔵の明るさこそ恐れを知らぬ声に相応しい。
冗談でも何でもなく、彼はジークフリートを歌うためだけの声なのである。

ちょうど今年のローエングリン全曲の録音が公開されている。

3時間10分10秒辺りから、有名なアリア(In fernem Land)遥かな国に
立派な声なのだがフォークトとは違う意味で無感動に響いてしまう。
それは指揮のシモーネ ヤングの責任もあるのだろうが、原因は当然それだけではない。
彼が今後改善しなければならないことは、全ての言葉(音節)をはっきり歌い過ぎないことだ。
単語の中でどこにアクセントがあるのか、文の中でどこに重要な言葉があるのか、曲の中で一番大事な部分はどこなのか。
彼の演奏からそれを聞き取ることは難しい。
発音は明確であれば良い訳ではない。
それが彼の発声フォームとも大きく関係しているということだ。

往年のローエングリン歌い。ショーンドル・コーンヤの演奏と聴き比べて欲しい

彼の声には多少の癖がある、それでも説得力がある。
この映像は口元のアップが見れるので、彼の発音の際の動きがよく見えて良い。
無駄な身体の動きが一切なくいのも特筆すべき点だ。

 

今後シャーガーがジークフリート歌いから真のヘルデンテノールになるためには、
”動”ではなく”静”の歌唱を身に付けなければならない。
あまりに恵まれた楽器を持って生まれてきたからこそ背負う難題だが、
これを乗り越えて立派なヘルデンテノールになって欲しい。

ジャーガーのCD

彼のCD録音はなんと東フィルとの第九のソロしかない!
しかし、これはこれで悪くはない。
日本人ソリストはともかく、日本人の合唱は世界基準でも上手い方だと言って良いでしょう。

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