Leo Nucci(レオ ヌッチ)は1942年イタリア生まれのバリトン歌手
現代最高のヴェルディバリトンとして、75歳を過ぎてもリゴレット役では他者の追随を許さない。
だが、ヌッチは本来テノールの声でバリトンではない。と言われており、
本人も「テノールはやりたくない」と言ったとかいう噂を耳にした。
ニコラ マルティヌッチの弟子である私の師匠は、
「高音が苦手だからテノールになれなかった。」などと言ってますが、
本当のヴェルディバリトンの高音は、カプッチッリやザンカナーロのような高音を言うのだそうな・・・。
そうは言っても、若い頃は声が軽過ぎて本当のバリトンじゃないと言われたとしても、
75を過ぎて本物のバリトンやってるならどっちが息が長く幸せな歌手人生なのか考えてしまう。
前置きはこのくらいにして、早速若い頃のテノール声から、どうやって本物のバリトンになったのか、
その遍歴を追ってみよう。
1967年にオペラデビューしているが、
若い頃の録音はあまりなく、なんとか見つかったのが80年だった。
1980年(38歳)
ロッシーニ セビリャの理髪師 Largo al factotum(私は町のなんでも屋)
第一印象は声より、痩せて引き締まった身体なんだが(笑)
それは置いておいて、響きが滅茶苦茶高い。
全部前で発音して、言葉が明確で全く深くしようという意図がない。
彼は決して若い頃から、無理やりバリトンっぽい声を出そうとしていなかった。
これが声が今まで維持できている最大の要因だろう。
1982年(40歳)
レオンカヴァッロ 道化師 Si puo (トニオのプロローグ)
ロッシーニではあまり気にならなかったが、ヴェリズモを歌うと声の軽さ、
レガートの未熟さが垣間見える。
高音での当たりは良いが、ピアノの表現では深さ、息の長さ、言葉の歌い回しがまだまだだ。
全体的に速いテンポにもかかわらず間が持たない。
1984年(44歳)
ヴェルディ 運命の力 Ivano, Alvaro, ti celasti (アルヴァーロよ 隠れても無駄だ)
テノール ジュゼッペ ジャコミーニ
どっちがテノールでどっちがバリトンかわからない演奏として名高いのがコレ
ジャコミーニは声は線で音楽を捉えているのに対し、
ヌッチは点の音楽だ。
更に言えば、この時は普段より少し奥めに声を作っているので、
本来のヌッチの声ではない。
そのため二人のちょっとした響きのズレが最後同じ音を出しているのにぶつかって聴こえてしまうのだ。
それにしても、これはレヴァインの指揮だったと思うが、オケが見事過ぎる。
1985年(43歳)
ジョルダーニ アンドレア・シェニエ Nemico della patria(祖国の敵)
前の運命の力とは違って明るい声、これこそがヌッチがヌッチたる由縁である。
ヌッチが他のバリトンとは違うところは
”i”母音の当たる位置。
EsやEより上の音は、大抵のバリトン歌手は”hi”のような奥から回す感じになるのだが、
この人は、最短距離で完璧な”i”母音に当たる。
このポジションに全ての母音を揃えているので、全ての言葉が前に当たる。
ややレガートに事欠いても音楽の緊張感が持続できる理由がコレだ。
この技術を可能にしているのは、彼がテノールを歌える楽器を持っているが故であろう。
1991年(48歳)
ヴェルディ 仮面舞踏会 Alzati!…Eri tu che macchiavi(お前こそ心を汚す者)
本来のアタックの強さが徐々に弱くなり、バリトンぽい深さが出てきた分、
逆にヌッチらしい輝かしさが失われてきた。
この辺りから停滞期、という言い方は正しくないにせよ、
テノールのようなバリトンから、ヴェルディバリトンへの道を模索している様子が伺える。
1996年(54歳)
ロッシーニ セビリャの理髪師 Dunque io son (それじゃあ 私の番ね)
95年、96年でセビリャの理髪師や、愛の妙薬といった役を改めてやるようになった。
声が再び軽くなったが、年齢を重ねて声が良い意味で太くなり、
点だった音楽が線になってきた。
ここまでくればテノールの声でバリトンをやってるようには聞こえなくなってくる。
2000年(58歳)
プッチーニ トスカ Te Deum(テ デウム)
この曲は、バリトンと言うより、バスバリトンが歌う役で、
ヌッチの声にはあわない。
この曲と、ヤーゴ、エスカミーリョはハイバリではなく、バスバリが歌わないと決まらない。
どちらかと言えば、ワーグナーのオランダ人や、ヴォータンを歌う人がやるべき曲である。
2003年(61歳)
ヴェルディ 2人のフォスカリ O vecchio cor(いまも鼓動する年老いた心臓よ)
少しずり上げるような歌い方がより強くなってきたのだが、
60を過ぎて、ヌッチの声はバリトンとして完成してきた。
実に25歳でデビューしてから35年以上のキャリアを得て声が成熟したのである。
現在は何でも歌える歌手が一流の証のようになってきているが、彼は限定的なレパートリーを歌うために、
声を作り上げてきたのだろう。
2007年(65歳)
ヴェルディ ルイーザ ミラー カバレッタのみ Ah fu giusto il mio sospetto
歌い方は完全に若い時のままで、声だけがしっかり成熟した感じだ。
65歳とは思えない言葉の切れ味と高音のノビ。
アジリタも言うことなし。
ヌッチの全盛期はいつか?と聞かれれば、私はこの2007年を挙げたい。
2010年(68歳)
ヴェルディ リゴレット 2重唱 Si, vendetta (アンコールあり)
ソプラノ ニノ マチャイーゼ
もうここまでくれば言葉は意味をもたない。
マチャイーゼがややテンポが遅れるのに対し、ヌッチは完璧テンポ通りにハマっている。
70歳手前ともなれば、名歌手も骨董品のように扱われ、演奏の良し悪しは二の次で、
ただ歌うだけで価値が出るものだが、
この人はパフォーマンスが落ちるどころか、若い時より確実に良くなっている。
一つ人間の可能性を示してくれているようにすら思えてしまう。
2014年(72歳)
ヴェルディ 椿姫 Di Provenza (プロヴァンスの海と陸)
70を過ぎても声が揺れない。
それ所か、アンコールまでやってしまうとは!
ヌッチは間違えなく”i”母音の響きを生命線にしていることを確信した。
跳躍で上に上がるとき、”a”や”o”母音は時々ずり上げたり、響きが奥に入ったりするのだが、
”i”母音は確実に正しいポジションに決める。
例えば最後の歌詞
Dio m’esaudì!
「神は私の願いを叶える」
”di”の響きから”e”や”a”を作っているのがよく分かるので、カデンツァの前辺りに注目して聴いて頂きたい。
2018年(76歳)
コンサート
76歳になっても、響きのポジションは全く落ちないし、声も殆ど揺れない。
ここまできたら生涯現役でいけるんではないか?とすら思えてしまう。
ヌッチは確かにテノールの楽器だったのかもしれないが、
辛抱強く鍛錬を重ねた結果として、本物のヴェルディバリトンとしての声を手に入れたのではないだろうか?
彼のレパートリーは殆ど変わらないながらも、
その中で最初はあまりできていなかったレガートでの歌唱がしっかり身に付き
元々持っていたアタックの強さとレガートという完全武装に成功した。
デビューで歌ったセビリャの理髪師のフィガロは、2018年にも歌っている。
驚くことに半世紀も同じ役を歌っていることになる。
今の若い歌手は、高々30代、40代でレパートリーをコロコロ代え、フォームを崩し、
挙句の果てにはステロイドに頼って本番をこなしているようなスター歌手が沢山いる。
もっと自分の声の将来を見据えてキャリアを積むことを考えて欲しいものである。
ヌッチから我々が学ぶべきことは発声とか曲の解釈以上に、
歌に取り組む姿勢と自分を律する忍耐力ではなかろうか。
CD
スカラ座でのリサイタルの映像
アルフレード クラウス、ルチアーナ セッラと組んだ素晴らしいキャストのリゴレット
だが、映像の質は悪いので、そこだけは注意
廉価版のブルーレイ、ベチャーワのマントヴァ公は好き嫌いが分かれそう。
まぁ、映像が悪くてもクラウスとなら比べるまでもないかな。
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