Fritz Wunderlich(フリッツ ヴンダーリヒ)1930~1966はドイツのテノール歌手
私の知る限り、日本で最も崇められているドイツ系のテノールではないかと思う。
36歳目前での急逝という悲劇的な部分と相まって、リートを勉強する学生(特にテノール)は
100人いたら99人はこの人の歌唱を参考としていると言っても良い程に、
若いテノールの象徴的歌手なのである。
だがその一方で、彼がもしそれなりに長生きしていたら、これ程周りから崇拝され続けただろうか?
録音の残っている年代は広くはないが、彼の声はかなり変化しているので、
年代に伴う変化を是非聴いて頂きたい
1955年(25歳)
ブラームス Da unten im Tale(あそこの谷底に)
25歳にして完成された声を持っている。
強さと軽さを併せ持った輝かしい声と明瞭な発音。
ただ、逆に全ての言葉をハッキリ発音し過ぎて詩のリズム感が感じられない、
これをディナーミクの付け方の問題と捉えるのか、発音の問題と取るのかは難しいが、
後、完璧と世間一般に言われている発声に関しても、実は結構独特だと私は考えている。
と言うのは、鼻声にはなっていないまでも、言葉の頭に独特の息のアタックが入るので、
実はレガートで歌えていない。
他の人の演奏と比較して欲しい
Sarah Connolly(サラ コノリー)
以下にこの歌曲の歌詞を掲載
Da unten im Tale
Läuft’s Wasser so trüb,
Und i kann dir’s net sagen,
I hab’ di so lieb.
Sprichst allweil von Liebe,
Sprichst allweil von Treu’,
Und a bissele Falschheit
Is auch wohl dabei.
Und wenn i dir’s zehnmal sag,
Daß i di lieb und mag,
Und du willst nit verstehn,
Muß i halt weitergehn.
Für die Zeit,wo du gliebt mi hast,
Da dank i dir schön,
Und i wünsch,daß dir’s anderswo
Besser mag gehn.
※日本語対訳はコチラを参照
いかがだろうか?
ヴンダーリヒの方が全部の言葉がハッキリ聴こえるから素晴らしい。
などと安易に考えてはいけない。
日本語で詩を読む時のことを想像すればイメージし易いと思うが、
「あの谷の底にはとても濁った水が流れている」という出だしの詩を
全ての単語を同じ力感で読むか?ということである。
1957年(27歳)
シューベルト 美しき水車小屋の娘(全曲)
私がヴンダーリヒのリートで最も残念に思うのは、
良い伴奏者に恵まれなかったことだ。
フィッシャーディースカウが素晴らしいリートを残し続けられたのは、
ムーアを筆頭に、リヒテル、エッシェンバッハといったリート伴奏者に恵まれた部分も大きいと思う。
それに比べればヴンダーリヒの残したリートの伴奏はあまりに浅い。
せめてポール ルイスみたいな伴奏者がいてくれればと願わずにはいられない。
テノール マーク パドモア
ピアノ ポール ルイス
こういう伴走車がいてくれれば、ヴンダーリヒも美声と美しい発音の垂れ流しに終始せず、
もっと深い解釈ができたはずだと思わずにはいられない。
ルイスの水車小屋は1曲目の伴奏だけで有節歌曲の歌詞を完全に表現しているのだから、
これとヴンダーリヒの声が合わさったらどんな名演になったことか。
この2つを聴き比べただけでも、伴奏ピアニストが如何に重要かお分かり頂けるだろう。
1959年(29歳)
ロッシーニ セヴィリャの理髪師
Se il mio nome(もし 私の名が知りたければ ドイツ語歌唱)
やっぱり私にはヴンダーリヒの声はかなり鼻声に近く聴こえる。
所々ずり上げたり、ピアニッシモまでコントロールできなかったり、
ヘルマン プライのセリフに比べると
やっぱりヴンダーリヒの方が不自然な力が入っているような部分がある。
1961(31歳)
モーツァルト 魔笛 dies bildnis ist bezaubernd schön
タミーノと言えば後にも先にもこの人以上に評価される人はいないのかもしれない。
ただ、やっぱりレガートの技術は決して一流ではない。
声の良し悪しは別にして、純粋な上手い下手という問題ならば
Gösta Winbergh(ゲスタ ヴィンベルク)の方が間違えなく上だ。
凄く単純なことを言えば、
”Die liebe”という言葉を三回も繰り返すのに表現に変化がないヴンダーリヒが模範とは何事?
ということだ。
後は、ヴンダーリヒの”u”母音。
これがやっぱり鼻に入って他の母音に比べて響きが貧弱になる。
1964年(34年)
Rシュトラウス Freundliche Vision(優しい幻)
今までの歌唱とは大違いです。
ヴンダーリヒのリートが本当に素晴らしいのは、64年~のごく短い期間である。
しかし、なぜもっとシュトラウスの作品を録音しなかったのか、
はっきり言ってシューベルトより合っている。
1965年(35歳)
シューベルト Die Forelle
1966年(35歳)
Rシューマン 詩人の恋(全曲)
こうやって聴いていくと、
確かに全盛期と呼べる時期に惜しくも亡くなってしまった。
というのは紛れもない真実だ!
だが、彼の衰えた声を誰も知ることがな以上、ヴンダーリヒは永遠の全盛期を手に入れたとも言える。
こう言ってはナンだが、ヴンダーリヒのイタリア物はあまり上手くない。
先日ダムラウがトラヴィアータを歌い過ぎたことによって声をダメにしている。
という内容の記事を書いたが、(ダムラウの記事はコチラ)
ヴンダーリヒもドイツ語ではあるが、全く声に合わないNessun dormaなんかを既に録音してしまったり、
ローエングリンにも出演予定が組まれていたようなので、この声を長く保てた可能性はあまり高くない。
ポップスの世界で、なぜ尾崎豊が若者の言葉を代弁し続けられるのかと言えば、
それは若い頃に亡くなったからで、尾崎が中年になった姿なんて誰も想像できない。
それと同じように、ヴンダーリヒが衰えた声を想像する者は誰もいないことで、
彼の歌は永遠の若さをもって支持され続けているのだ。
こういうことを言うと不謹慎だが、
ジョゼッペ ディ ステファノが衰える前に世を去っていたら、
どれほど伝説的な歌手として語り継がれていたのだろうか?
と思わずにはいられない。
CD
基本的に大体YOUTUBEに落ちているので、今更CDを買う人がいるのかは疑問ではあるが
名盤として名高いので一応挙げておく。
コメントする