Martine Dupuy (マルティーヌ デゥピュイ)は1952年フランス生まれのメゾソプラノ。
主にロッシーニ作品で活躍したメゾソプラノで、
デビューはマスネ作曲のウェルテルだったと言うが、フランス物を歌っている音源が殆どないちょっと変わった人。
ロッシーニを愛したフランス人と言えばスタンダールがすぐに思い浮かぶ人もいるかもしれないが、
この人も負けないくらいロッシーニ作品に心血を注いだ歌手であり、
イタリア人以上に完璧な発声でロッシーニを歌った歌手である。
デゥピュイという歌手が良いのは、ロッシーニメゾ独特の癖がないこと。
これから何人
かの歌手と比較して、如何にデゥピュイの歌唱が自然かを説明していこう。
ロッシーニ セビリャの理髪師(Una voce poco fa)
このアリアだけで比べても、デゥピュイの癖の無さがわかる。
歌い出しからセンスの良さが現れている。
イタリアのメゾ
ルチア ヴァレンティーニ テッラーニ
スペインのメゾ
テレサ ベルガンサ
現在米国人で一番売れてるメゾの一人
ジョイス ディドナート
いかがだろうか?
マリリン ホーン、チェチーリア バルトリといった歌手はここに挙げるまでもなく
彼女達にしかできない独特な歌い方である。
上記に挙げた3人は、
テッラーニ:
奥に掘ったような響きになってしまっている。
ベルガンサ;
テッラーニとは真逆に喉が上がったような浅い響きになっている
ディドナート;
米国人歌手らしくパワーで押している
必要以上に発音を強調し過ぎている分、喉に負担がかり硬い響きになってしまっている
それに比べてデゥピュイは低音になっても押すことなく、
常に暖かい音色でアジリタ(音をコロがす技術)も自然な響きで行えている。
ロッシーニ セミラーミデ In si barbara sciagura
少し年を取ってからの演奏で声が太くなっているが、決して無理に強い声を出している訳ではない。
こんな自然な声を出すロッシーニメゾはそういない。
太い声のロッシーニメゾで近年まで活躍していた人では
エヴァ ポードレス
この重量級ロッシーニメゾと比べれば、
声が太くなってもいかにデゥピュイが軽く歌っているかがわかる。
「太い」と「重い」は同義ではない。
同時に、「軽い」と「細い」も同義ではない。
「細くて重い声」
と言われると想像がつきにくいかもしれないが、
残念ながら日本人のメゾの大半はココに位置づけられると思う。
例えば、ペーザロで歌って世界で通用するロッシーニメゾ
と一部では言われている、脇園彩という歌手がいる。
アジリタは出来てはいるが声そのものが重い。
一番最後の高音(H)を出した後で(E)に降りた時に声質が明らかに変わるのがわかるだろうか?
高音は低音より良いところで鳴っているので、どう聴いてもこの人は本来ソプラノである。
今度ドン・ジョヴァンニでエルヴィーラをやるっぽいが、
もしかしたらそっちの方が彼女の為にも良いかもしれない。
このように日本人のメゾは低音を無理して鳴らしている人が多く
まだ脇園は高音が出るから良いが、
上が出ない人は、メゾソプラノではなく、高音が苦手なソプラノ。
という声種になってしまっているのが現状である。
ロッシーニ セミラーミデ Ah! quel giorno ognor rammento
セミラーミデからもう一つのアリア
最初に紹介した演奏より4年前のもので、こちらの方が音質も映像も良く、
この人の歌の良さが良く伝わると思う。
速いパッセージを歌っても呼吸に余裕があり、
私の知る限りここまでロッシーニをレガートで歌えている演奏は聴いたことがない、
イタリアのメゾとしては神の如く一部のオペラファンから崇拝されているシミオナートより完璧なレガートである。
ジュリエッタ シミオナート
発音も明確でレガート、アジリタの技術も一流というデゥピュイであったが、
残念ながら90年代以降の活動の痕跡が追えない。
まだご存命のようだが、50歳前に舞台から去ってしまったのか・・・
これだけの
歌手でありながら、ロッシーニファン以外にはあまり知られていないであろうことが非常に残念な歌手である。
ロックウェル ブレイクというロッシーニテノールのパイオニアにして
最も癖のあるテノールとデゥピュイの組み合わせである。
コレはセッラが凄過ぎるのでデゥピュイは目立たないかも。
[…] この人については以下の過去記事で触れたのでそちらを参照 ロッシーニを歌うために生まれたフランス人メゾソプラノMartine Dupuy […]