Francisco Araiza(フランシスコ アライサ)は1950年メキシコ生まれのテノール歌手。
キャリアの初期はモーツァルトテノール、ロッシーニテノールとして、
やがて優れたリート歌手として、さらにはヴェルディ、プッチーニ、ワーグナーまでレパートリーを広げながら、
現在も現役で歌い続けている。
そうは言っても、一般的にアライサが評価を受けているのはモーツァルトやロッシーニに於いてである。
1982年(32歳)
アライサと言えばタミーノ役が一番有名だと思うが、
レヴァインの指揮もモーツァルトには重過ぎることもあり、
声がいまひとつ抜けきらないし、やや間延びしている感じは否めない。
実際アライサの声とモーツァルトの相性が良いのかどうかは個人的には疑問である。
そういう意味でも、私はロッシーニテノールとしてのアライサの方を遥かに評価している
マイナーな上、超難曲のため演奏機会も録音も少ないとは言え、
これ以上の演奏は望めない。と言うか中々想像もできない。
低音~超高音まで均一で安定した響き、正確で一糸乱れぬアジリタ。
ここまで非の打ちどころのない演奏にはそうそうお目に(耳に)掛かれない。
タミーノとは対照範囲が格段に違うとは言え、ロッシーニとモーツァルト、
どっちがアライサの良さが出ているか?と問われれば、今回紹介した演奏なら、
100%に近い確率で私の意見に賛同して頂けるのではないかと思っている。
1985年(35歳)
水車小屋もアライサの代表的な演奏。
伴奏を務めているアーヴィン ゲージもリート伴奏の大御所であるのだが、
全体的にべったりした演奏で、どこか機械的な演奏に感じてしまう。
ドイツ語の発音も全く違和感なく、レガートもディナーミクもできているのに何か足りない。
この水車小屋に決定的に足りないのは感情に連動した言葉のスピード感である。
そういう意味ではボストリッジの対局にある演奏かもしれない。
声楽的な技術には色々問題があっても、表現という面で聴衆を惹きつけられるボストリッジと
声楽的技術には穴がなくても無機質な表現のアライサ。
歌の上手い下手と発声の良し悪しを同義にしてはいけないのはこういう部分である。
イアン ボストリッジ
1994年(44歳)
先ずは、32:07~「Winter Liebe」を聴いてほしい。
水車小屋と比較して明らかに別人のような演奏なのがわかる。
実はこの演奏、一か所全く違う音を歌ってしまっているのだが、それは置いておいて、
激しい曲で、オケもかなり大編成なため、声量で対抗しようとすればまず言葉は飛ばない。
度々記事の中で、”i”母音の響きを基準に置くことの重要性を説いているが、この演奏なんかは正にそうで、
特にドイツリートを歌う場合、”i”母音の明るくて解像度の高い響きに全ての母音を揃えることによって、
アライサのような軽い声でも、大編成のオケを通り越して言葉を飛ばすことができるのである。
こうなればもはやボストリッジなど比較の対象にはならない。
小手先でそれなりに上手い歌は歌えるようにはなっても本物にはなれない。
1997年(47歳)
https://www.youtube.com/watch?v=tUe_0vNWqyM
※上手くリンクが張れないため、お手数ですが上記のURLからご覧ください
こういう演奏を聴くと、本当にアライサはラテン人なんだろうか?
と疑問に思ってしまう。
入り込むというより、どこか冷静な目で全体を俯瞰しているような演奏で、
必要に応じてポルタメントなんかも多少は使って良いのになぁ。と思ってしまう。
2000年(50歳)
東京でのリサイタル。
この演奏も、上のエドガルドのアリアもそうだが、
イタリアオペラのドラマティック曲を歌っても吠えないのは素晴らしいことだが、
何とも85年の水車小屋のような味気なさに満ちている。
決定的にドラマを表現するだけの言葉の力がないのだ。
単純に声の軽さだけの問題ではない。
2007年(57歳)
先ほど書いた”i”母音の響きがいかに重要かこの演奏で分かるのではなかろうか?
トゥーランドットのアリアを歌った時より、
更にオーケストラが分厚いはずのヴァルキューレフィナーレを歌った時の方が言葉が飛んでおり、
声に合っているとは言えなくとも、カラフよりは遥かにしっかりした演奏になっている。
むしろ、下手なヘルデンテノールモドキが歌うよりよっぽど良い演奏になっている。
2016年(66歳)
なぜこの曲に手を出してしまったのか・・・
66歳で歌えていることは凄いが、それ以上のものはない。
さて、こうやってアライサの声とレパートリーを見ていくと、
基本的にはイタリア語の作品より、ドイツ語の作品を歌った方が響きも表現もあっていると言える。
それは響きのポジションがイタリア語を歌うには前過ぎるためだが、
とは言え、決して力任せに声を張り上げることをしなかったおかげで、
合わないレパートリーを歌っても、声を保つことが出来ているとも言える。
こうやってアライサの演奏を聴いていけば、いかに声に合ったレパートリー選びが重要かがわかるだろう。
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