Sophie Karthäuser (ゾフィー カルトホイザー)は1974年ベルギー生まれのソプラノ歌手。
主にバッハやヘンデルのようなバロック~モーツァルトのオペラをよく歌っているが、
シューベルトの歌曲も歌えば、ヴォルフも歌うし、フランス歌曲も得意としている。
今春ベルリン古楽アカデミー・オーケストラと共に来日が予定されている。
I. Heiß mich nicht reden D 877/2
II. So laßt mich scheinen D 877/3
III. Nur wer die Sehnsucht kennt D 877/4
IV. Ganymed D 544
V. Die Forelle D 550
この人の歌唱を聴いていると、レガートで歌わない古い古楽的な歌唱に聴こえてしまう。
現代のリートを得意としている歌手なら絶対にこうは歌わない。
例えばガニメート(11:40~)
一見丁寧に歌っていて上手く聴こえるかもしれないのだが、
息の方向性が全くないので言葉のアクセントが全然わからない。
シュチューダーとの比較
Cheryl Studer
カルトホイザーは雰囲気で上手く聴かせているだけで、実際は結構問題が多いことが分かるだろうか。
言葉もそうだが発声もかなり癖があり、
特に”e”母音はかなり平べったくなっているし、音域によってもポジションが変わっている。
こういう部分が私にとってはひと昔前の古楽歌手を連想させてしまう、
やはりこの人が本領を発揮するのはバッハ。
シューベルトの時の違和感はバッハではない。
実際はこういう動きの速い曲だと悪い癖が目立たないという部分が大きくて、
よく聴くと語尾で声が抜けてしまったり、高音まで登って下りてくる時に音色が詰まってしまったり、
発音によっても響きの質にバラツキはあるのだが、
それでも速いパッセージを正確に余裕を持って歌えているところは、
流石に現代のバッハスペシャリストだけのことはある。
上記に挙げた発声的問題点は、オジェの演奏と比較するとよくわかる。
Arleen Auger
いかがだろうか?
低音と高音で響きの質が変わらないのがわかると思う。
そうすると当然言葉にも自然と色や力が出てくる。
カルトホイザーの演奏は、どうしてもただ音を上手く歌っている以上には聴こえない。
イタリア語の方が言葉の流れとしては自然な気がするが、問題は伸ばしている音チリメンヴィブラート。
BCJ(Bach Collegium Japan)に在籍している方から聞いた話では、現代の古楽では伸ばしている音を同じ音で伸ばすことはあり得ないのだと言う。
つまり、かならずクレッシェンド ディミヌエンドがあったり、逆にフォルテでアタックしてからディミヌエンドして最後に膨らませる。
などの表現が絶対にないといけないのだそうだ。
こういう部分もまた、カルトホイザーの歌唱がどうも現代的に聴こえない理由なのだと思う。
フランス歌曲を歌うと、カルトホイザーがいかに言葉ではなく、音を一つ一つ歌っているかが分かる。
一音一音で美しい声を出すのが歌なのではなく、全ては流れの中でどこにその声が向かうのかが見えないと、
特に旋律線のない印象派の音楽では声が浮いて聴こえる部分が出てくる。
同じく現在活躍している歌手で、同じくバロック音楽を得意としているピオーの演奏と比較してみよう
Sandrine Piau
ピアニッシモの質が基本的に違う。
カルトホイザーはピアにになると響きもなくなってしまう。
最近はフランスバロックの方がドイツバロックより明らかにレベルの高い歌手が揃っている。
このところフランス人歌手を取り上げる機会が多いのだが、これは別に私の好みな訳ではなく、
こうやって比較すれば、明らかに技術の高い歌手がフランスに沢山いることがわかるはずだ。
ただ、平均的にレベルが高いと言うより、上手い人が飛び抜けて素晴らしい印象で、
イタリアオペラ、特にヴェリズモを歌うような歌手には上手いフランス人を見かけない。
このように、発声的には問題点がかなりある歌手ではあるが、
少なくともバッハ演奏ではかなり良い演奏を期待できるのも事実
今年の9月にヘンデルを歌うというので、聴いてみるのも悪くはないと思う
http://www.musashino-culture.or.jp/eventinfo/2019/05/post-918.html
CD
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