早熟過ぎた故に短過ぎたキャリアだった偉大なソプラノAntonietta Stella

Antonietta Stellaは1929年イタリア生まれのソプラノ歌手。
NHKイタリアオペラでも来日しており、日本での知名度も比較的高い名ソプラノ。
日本語のWikiもあるので詳細はそちらを参照

この人については、戦後黄金時代の名歌手として名前は挙がるものの、
クローズアップされることが滅多にない印象なのだが、
1950年にトロヴァトーレのレオノーラ役でデビューし、
53年にオテッロのデズデーモナでスカラ座へ出演している。

つまり、20歳でレオノーラを歌い、23歳でスカラ座で主役を歌っているのである。
(3月生まれなので、ほぼ1930年生まれと考えて年齢は記載している。)

更に、尋常じゃないのはレパートリーで、若い頃からドラマティックな役ばかり歌っていること。

 

 

 

 

 

1953年(23歳)

ヴェルディ アロルド Ciel Ch’io Respiri

 

23歳でこの声。
常識離れしているとしか形容し難い、
考えてみて下さい。
こんな声で歌う大学院生がいたら一体先生方はどんな反応をすれば良いのでしょうか。

テノールではビュルリンクが19歳だかでデビューしてたり、
ディ ステファノも20代前半で確かに並外れた歌唱をしているが、
それでも声に若さがあった。
だがステッラの声に若さはあるか?
こう言っては失礼だが、どう聴いても妙齢の声、20代前半で出して良い声じゃない。

 

 

 

 

1955年(25歳)

ジョルダーノ アンドレア・シェニエ La mamma morte

 

 

あまりに恵まれた声なので欠点が分かりにくいが、
例え5:00~の一番盛り上がる最後の部分

 

「Io sono il dio che sovra il mondo
scendo da l’empireo, fa della terra」
Io son l’amore, io son l’amor, l’amor」

 

まず、「Io sono il dio」の”dio”の”di”だけ良いポジションにハマるのだが、
実は他の音がかなり喉に近い所で歌っている。
最後の高音「Ah」は本当に素晴らしい響きだが、
その後の「io son l’amor」は完全に胸声に落としてしまっている。
劇的な表現としてやっているのだろうが、こういう歌唱が声を消耗させることになる。
ほぼ同時代に同じようなレパートリーで活躍していたミラノフとの比較

 

 

ジンカ ミラノフ

歌い出しの部分などでも分かるが、ステッラとの決定的な違いは中音域の緊張感。
ステッラも声は素晴らしいが、高音の響きと比較すれば中低音は落ちるし、
何より完全にはレガートで喋ることができていない。
それは口のフォームを見ても、平べったさがあるためだと考えられる。
確かに低音も鳴ってはいるが、声の質がステッラは変わってしまうのに対して、
ミラノフの方が明らかに深い響きにも関わらず言葉がレガートで繋がり、音程によって声質が大きく変わることはない。

 

 

 

 

1959年(29歳)

ヴェルディ 仮面舞踏会 Morro ma prima in grazia

 

低音の出し方が修正されているので、歌唱全体としては上手くなっているのだが、
圧倒的な声のインパクトが薄れた印象を受ける。
ただ、録音状況や調子によっても誤差のある部分なので、この演奏でわかることは、
30手前で、余分な力が抜けたこと。
最初のアロルドの演奏と比較すると、20代前半はどれほど声に頼った歌い方をしているか比較できる。

 

 

 

 

1962年(32歳)

ヴェルディ トロヴァトーレ Tacea la notte placida

 

 

ステッラのデビュー役ということもあるのかもしれないが、
レオノーラは本当に素晴らしい。
アジリタが完璧かと言われれば、その部分だけならもっと上手い人はいるにしても、
テッシトゥーラが低過ぎず、それでいて強めの声を求められるような役ではステッラの持った声の長所が存分に生かされる。
こうして聴くと、やはりヴェルディはヴェリズモ作品と同じような表現をしてはいけないことが分かる。
つまり、ヴェリズモではある程度声を犠牲にしてもドラマを優先する必要がある場合があるのに対して、
ヴェルディは声楽的な声の範囲内で全て表現をしなければいけないということ。
それが所謂様式感というやつであろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

1965年(35歳)

プッチーニ 蝶々夫人 Un bel dì vedremo

 

 

プッチーニはステッラに合っていない。
声のことではなく、音楽の感じ方がプッチーニではない。
言葉の微妙な緩急や発音がどうしても機械的に聴こえてしまう。

 

 

 

 

 

1970年(40歳)

ヴェルディ アッティラ Santo di patria

 

 

高音のアタックの強さは40歳になっても衰えていない。
一方で中低音は今までよりも更に出なくなってきている。
この人は、もしかして高音ではなく低音から衰えが露見するタイプの歌手だったのか?
加齢と共に下が出なくなっていった歌手としては、アルフレード クラウスがそうだったのだが、
軽い声ならまだしも、この声で下から出なくなっていったというのは、一般的な感覚からすると信じ難い。

 

 

 

 

 

1972年(42歳)

マイアベーア アフリカの女 二重唱 O mia Selika
テノール リチャード タッカー

 

 

1975年で引退しているようで、YOUTUBEで見つかった一番年齢がいってからの演奏がコレだった。
演奏の良し悪しを判断するのが難しい曲ではあるが、
ピアニッシモにしても緊張感が薄れている。
ただ小さい音ではなく、会場の一番後ろまで飛ぶ声かと言われれば、ちょっと難しそうだ。
そして中低音は全くと言って良いほど聴こえない。

 

 

いくら何でも40代半ばでこれほど中低音の声を失うというのは発声的に問題がない限り考えられない。
若い時の押す歌い方から幾分軌道修正はしたが、持ち声があまりに優れ過ぎていて、
実際の出ている声以上に負担の掛かる歌い方をしていたのかもしれない。
更に、点で音を捉えるような歌い方は常にかわらず、言葉と言うよりは完全に声で歌うタイプの歌手だったし、
高音のアタックの強さを考えれば、
喉が開いて抜けた声というよりは、筋力と息圧力で的を射抜くような声であるのも確か。
響きの高さはあったが、どこか上半身に頼った歌い方になっていた可能性は十分に考えられる。

こうして聴いていると、イタリア物しか歌っていないが、
発声的にはワーグナーソプラノに多いタイプなんじゃないか?
という気がしてきた。
ヴィブラートがなく、ポルタメントも殆ど使わず、高音のアタックが強くて硬質な音色。
この声の条件に合う役は少なくともプッチーニじゃない。
トゥーランドット姫が合うかもしれないが、なぜかその役はやっていないようなのでそれも謎だ。
改めてステッラという歌手をじっくり聴いてみると、改めてそのキャリアから声から発声から。
何もかもが特殊な歌い手なんだなと気づかされた。

 

 

 

CD

 

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