Basso buffoの神様 Bruno Pratico

Bruno Pratico(ブルーノ プラティコ)は1958年イタリア生まれのバス歌手
彼の場合はブッフォ バス(喜劇のバス役)を得意とし、ロッシーニ演奏の突出した表現力、創造力、早口をさばく技術は他者の追随を許さない。
まさに喜劇役者としては神様みたいな人だと私は思っている。

それでは有名な演奏から
ロッシーニ チェネレントラからMiei rampolli femminini(わしの娘たちよ)

なんと、昔はこのレベルの歌手がナクソスから全曲録音を出していたのだから驚きである。

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もう一曲が
セビリャの理髪師よりA un dottor della mia sorte(わしのような医者に言い訳はするな)

いかがだろうか。
温かみのある深い響きと、驚くほど明確な発音。
どんな早口になっても全く響きは失われない。
更に、実は高音も得意でかなりの高音まで楽々出すことが出来るのである。

YOUTUBE上には音源がないが、セビリャの理髪師のバルトロではなくフィガロのアリアを歌っているのも聴いたことがある。
2:40辺りを聴いて頂ければ、完全にテノールの響きだと思うだろう。

この声質なので、セリア(悲劇)作品の役は合わないが、例えばカンツォーネのようなモノを聴けば、
その突出したレガートで歌う技術もよくわかる。

 

とは言っても、喜劇作品での圧倒的な存在感に比べると面白くないと感じてしまうかもしれない。
それこそが正にプラティコの魅力である。
彼の喜劇役は、恐るべき技術に裏打ちされた上で成り立った究極の歌唱芸術の一端であると言えよう

集大成はドニゼッティのドン・パスクワーレのマラテスタとパスクワーレの二重唱

マラテスタ役のバリトンは言葉によって響きにバラツキがあるのに対して、
プラティコは全ての言葉が同じポジションで発音されているのがわかる。
どの母音、音域でも響きを失わないということが、他の歌手と重唱をやっているのを聴くとよく分かるのではないだろうか?

 

 

早口で歌っている時のフォーム

 

唇の先端だけで発音をして、口腔や咽喉の空間の変化を極力避ける歌い方である。
これには、唇の周りや舌先の筋肉を日常的に使っていないといけないので、
この辺りの筋肉を使わない日本語を常用語としている我々は特に訓練が必要である。

 

最高音を伸ばしているところ

絵に描いたようなラッパ口である。
全くもって無駄のないフォームの上に彼の歌唱は生み出されていることが少しでもご理解頂ければ幸いである。
そして、テノールやソプラノ程日の目を見ない、こういった喜劇を歌うバスにも注目して頂ければ嬉しい限りだ。

 

 

 

 

 

1件のコメント

  • 有馬 英夫 より:

    へっへっへ、私の好きなプラティコは、カンツォーネを歌っているときなんですよ。一緒にフヴォロストフスキー、コロンバーラ等々と共に「おまけ」として買ったのですが、これが一番の掘り出し物。いつも車で聞いておりますわ。

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