山路芳久の歌唱を冷静に分析してみる

 

山路芳久(やまじ よしひさ)1950年~1988年は日本のテノール歌手
輝かしいキャリアと、絶頂期に若くして突然世を去ったという悲劇性から、日本人オペラ歌手で最も神格化されている人。

日本だけでなく、世界的にも評価されているという意味から考えても、
確かに古今の日本人テノールの中で最も偉大な歌手と言っても過言ではないだろう。

だが、それ故に山路の歌唱を冷静に分析するという作業はあまりなされていないし、
それこそ批判的なことを書くことは許されないような部分がある。
なので山路の歌唱を冷静に分析し、本当に他の日本人歌手が山路の足元に及ばないのかを考えてみたい。

 

 

 

ドニゼッティ 愛の妙薬 Una furtiva lagrima

あず、山路の歌唱の何がそんなに凄いのか?

世界で通用した日本人テノール
ウィーン国立歌劇場で主役を歌っていた
という結果で凄さを判断するのではなく、
なぜそれほど評価されたのか?
更にはっきり言えば、何が他の日本人テノールと違ったのか?
そこを突き詰めることが一番重要だろう。

 

 

◆声量

デカい声が喝采をあびる場面をよく見かけるが、
そもそも山路はデカい声だったのか?

 

真ん中が中島 康晴で両脇は韓国と香港のテノール歌手。
山路との決定的な差は何だろうか?
少なくとも声量ではない。
会場で実際に聴かないことには正確な判断はできないが、
声量だけなら、中島の左にいるJae Wook Leeという韓国人の方が山路よりあるだろう。
だが、どっちが上手いかと言われれば全く比較にならない。
余談だが、中島のフォームは本当に酷くなったなと呆れてしまう。

 

 

中島 康晴が高音を出しているところ

 

 

 

山路 芳久が高音を出しているところ

 

フォームの乱れは声の乱れ
この中嶋のようなフォームでまともな声が出る訳がない。

 

 

山本耕平

少し古い演奏なので、現在もこのように歌っているのかは不明だが、
どう聴いても山路より凄い声だ!
と大抵の人は思うだろうが、
ではこの声が世界で通用しているのか?
と言われれば別問題だ。

 

 

◆響き

山路が優れている理由は間違えなく響きの安定感。
私は記事で常々”i”母音の重要性について書いているが、
まさに山路は”i”母音の響きを基調にして他の母音を揃えている。

 

 

ジュゼッペ サッバティーニ

 

あえて日本人じゃない演奏で愛の妙薬のアリアを比較に出したのは、
この人の響きが、”i”母音とそうでない母音で響きがバラけているので、
山路の響きと比較をするのに良い対象となるためである。
山路は決し声が揺れないのに対して、サッバティーニは特に伸ばしている音でかなり揺れている。
ただし、高音の”i”母音だけは良いポジションにはまってピンと張った響きになる。
この正しい”i”母音の響きに他の母音の響きも合わせれば良いのだが、それがサッバティーニはできていない。
つまり、”i”母音がそもそも正しいポジションにハマらなければ、他の母音も絶対良い響きは得られない。
簡潔に言えばそのようなロジックに基づいて、”i”母音が一番重要だ!
と常々書いているのである。

 

 

 

 

 

◆声質

これは個人的な感覚になるので、成否はないと思うが、
山路の声が美声だと思ったことはない。

 

 

グノー ファウスト Salut, demeure chaste et pure

この演奏で特に感じるのだが、本来はもっと細くて軽い声なのではないかと思わずにはいられない。
フランス語の問題もあるのかもしれないが、やや重く鼻に入りかけていて、微妙に響きが低い

 

 

 

Rシュトラウス バラの騎士 Di rigori armato il seno

この声が山路の本当の声ではないだろうか?
アップされている動画の中で一番自然な音色に聴こえる。
高音の抜ける感じもファウストのアリアの時とは大違いだ!

 

 

市原太郎

1980年代の市原は日本人離れしている。
個人的には、山路より、全盛期の市原の方が声質は圧倒的に上だと思うのだがどうだろう?
発音も明瞭で響きの明るさも申し分なく、声だけ聴いたら日本人には全く聴こえない。
因みに、このマクベス、
周りのキャストもブルゾーン、ヴァーレット、トムリンソンと超一流揃い。
その中で後れをとるどころか、対等に太刀打ちできる歌を歌っているのだから本当に凄い。
1990年代~2000年代にかけての衰えた声のイメージしかない人には、
実は市原太郎は無茶苦茶凄かったということをこの機会に知って頂きたい。

 

 

◆発音

 

 

イタリアに留学していたこともあり、山路はやはりイタリア物が良いが、
上で紹介した市原に比べると言葉の力は劣るのではないだろうか?
先ほどフランス語は声が重くなってしまうことを挙げたが、
ドイツ語もあまりよくない。

 

 

 

モーツァルト 魔笛 Dies bildnis ist bezaubernd schön

愛の妙薬では真っすぐ歌えていたのに、なぜか魔笛ではレガートがあまりできておらず、
ディナーミクで抜いてしまっている。
そのせいもあって、イタリア物では決して鼻声にならなかったのだが、
なぜかドイツ語ではかなり鼻寄りの響きである。
そして、何と言ってもドイツ語にとって重要な子音のスピード感が全くないのは気になるところだし、
語尾も尻切れトンボ感満載である。
そうは言っても、流石にこの曲での高音、GやAsの安定感は申し分なく、
他の日本人テノールとは一線を画している。
こうしてみると、あまり言葉の表現という部分では大きな魅力は感じないような気がする。

 

 

高野二郎

色んなジャンルを歌う人なので、純粋なクラシックファンからは色物的に見られる傾向があるが、
私はそこらのオペラ歌手よりよっぽど上手いと思っている。
何と言っても響きが明るく声を押さないのが良い。

ただし、声質が明るいので、前に響きが来ているように聴こえるが、
実際は太く歌い過ぎていることもあり奥にやや詰り気味、
特に高音で抜け切らないし”u”母音で完全に響きが変わってしまうのが勿体ない。
原因は、息を太く使い過ぎているためで、その影響でピアノの表現もあまり得意じゃないしブレスも長くない。
こういう面で見ると、山路のブレスコントロール技術が非常に高度であることがわかる。

高野が一部の人にはクラシックを歌う響きに聴こえないと言われるのも、
喋り過ぎているために、結果として息が太くなってしまっているのが原因だ。
もっと細い息に言葉を乗せるという作業ができてない分、開けっ広げな響きになってしまっている。

歌の発音というのは、正しく発音すること以上に、
意味が聞き手に伝わることの方が重要だ。
と二期会などで言語指導をされている方が言っていたが、
その点を考えると高野の発音は優れているとも言える。

 

 

総括

山路の歌唱を幾つかの観点から分析してきたが、
もし、山路の例を踏襲するならば、一番大事なのは正しい響きのポジションを掴むことだ。
この部分が突出していたことで山路はそこまで圧倒的な声に恵まれてなくても、世界で通用した。
そう考えて良いのではないだろうか?
それこそ声量なんて追い求めても良いことは殆どない。
それと同時に、山路ほどの技術があっても言語によって響きが微妙にブレてしまうという部分は留意すべきだ。
一流歌手でも言語の特徴がそのまま響きに大きな影響を与えることが改めてよくわかった。
まだまだ比較すべき歌手は沢山いたのかもしれないが、
ここで紹介した以外にも色々な日本人テノールを聴いた感覚として、
やはり山路の発声テクニックは格段に優れていると結論付けて良いと思う。
また、良い日本人テノールの動画があれば、是非ここに追加して比較していきたいと思う。

 

CD

 

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