Michèle Crider の歌唱から考えるスピントの意味

Michèle Crider (ミシェル クライダー)は1959年米国生まれのソプラノ歌手。
Wiki上では lirico spinto operatic soprano、お書かれている。
スピントという言葉は「押す」という意味なのだが、声種についてこの言葉が使われる場合、
スピントの定義は至って曖昧である。

個人的な感覚としては、力強く真っすぐな声をスピントと表現することが多いように感じるが、
実際に発声的な意味で、喉を押すしていることとは当然無関係。

声種の特徴について書かれた記事は沢山あるし、動画も存在している。

 

 

 

女性オペラ歌手の声種比較動画

この動画で、カバリエをリリコスピント、シュヴァルツコップをリリコと表現しているが、
どう聴いても押してるのはシュヴァルツップの方だろ!と突っ込みたくなるのだが、
純粋に声質だけ聴いても、はっきり区別できない。
結局、歌手が歌ったレパートリーに後付けでリリコの後ろにレッジェーロが付いたり、スピントが付いたりする。
その程度の意味に考えた方が良いのかもしれない。
なお、カラスを「sfogato」と書いているが、この定義も今一つはっきりしない。
18世紀に活躍したジュディッタ・パスタの声からきているらしく、
低音~高音まで駆使して、メゾ~ハイソプラノの役までこなせた声のことを言うようだ。

ただし、Sfogatoのイタリア語の意味では
「表す、発散する」とか、楽語として使うと「軽く(蒸発するように)」

という意味合いがあるようなので、明確に声種として使う言葉には相応しくないように思う。
ここまで書いたついでに言わせて貰えば、
声種に「コロラトゥーラ」と書くのは誤りである。
コロラトゥーラは技術であって声質とは何の関係もないし、
一般的には超高音を駆使するソプラノをイメージするが、そもそも音域とも何の関係もない。
なので、私は記事の中で、「コロラトゥーラを得意とするハイソプラノ」というような記述をしている。

前置きが長くなってしまったが、
上記を踏まえた上で、今回紹介するクライダーの声を聴いてみよう。

 

 

 

プッチーニ 蝶々夫人 un bel di vedremo

スピントという言葉が当てはまるとすれば、
確かに音圧の高さはそこらのソプラノ歌手の追随を許さない。
多少強引な感はあるが、全ての母音がブレることなく同じポイントで発音できている。
この響きは、誤解を恐れずに言えばデル・モナコと同質のものではないかと思う。
時々声が割れる時があり、フォルテの表現でやや喉に負荷が掛かってしまっているが、
ピアノの表現、緊張感は実に見事である。

 

 

 

 

 

プッチーニ トスカ Vissi d’arte

歌い出しは数ある演奏の中でも特に秀逸な出来。
ここで、スピント=声の緊張感・密度の高さ。という捉え方をすると自然なのではないか?
と思えてきた。
少なくとも、声の太さや重さでは定義できない。

例えば、近代を代表するドラマティックソプラノと位置づけられるマルトン

 

 

エヴァ マルトン

マルトンの声も決して重い訳ではないし、定義的にはスピントより重い声のはずだが、
クライダーより明らかに低音が響いていない。
両者とも度々喉で押す癖があるのだが、マルトンが常にアタックする歌い方しかできず、
全くディナーミクを付けることができないのに対して、
クライダーの場合は低音を鳴らすために(特に”e”母音で)押してしまっている部分があるが、
ポジションは決して外さないため音楽の緊張感、レガートを維持できているし、
更に高音やピアニッシモの表現では自然な響きになっている、
スピント=押す。と額面通りに解釈したらマルトンこそスピントである。
それこそSempre spinto sopranoと表記しなければなるまい。

 

 

 

モーツァルト ドン・ジョヴァンニ Crudele non mi dir

この演奏が何と30歳の時の映像。
恐ろしく完成された声と表現ではないか。
最後の方、高音で少し力む部分はあるが、何と言っても響きの高さがズバ抜けている。
こんだけ優れた歌手にも関わらず知名度が今ひとつで、動画も殆どないというのは残念でならない。

だが、マスタークラスの映像は存在しており、その中のテーマに
「Never interrupt the tension while you’re singing!」というのがあった。
「interrupt」は「断ち切る」とか「腰を折る」という意味なので、
ここでは「緊張感を切らすな」と訳すのが適当だろうか?
まさにクライダーの歌唱そのままの教えである。
参考までにマスタークラスの映像も添付しておくので、興味のある方は見てみると良い。

 

 

 

 

こうして聴いてみて、声種に於けるスピントとはどんな意味か、
今回のテーマについて結論を出すなら、
「Never interrupt the tension」がそのまま答えになる。
更に付け加えるならば、テンションと言うのは響きの密度であり、
母音や音程に左右されない響きの高さである。

世間一般の常識とは異なるかもしれないが、
ドラマティックな役をパワーで歌うのは正しいスピントではない。
ということを解として今回提示させて頂こうと思う。

 

 

 

CD

 

これしか現在CDも映像メディアもないとは!
本当に過小評価されている歌手である。

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