Mariusz Kwiecień(マリウス カヴィエチェン)は1973年、ポーランド生まれのバリトン歌手。
チェコ、ポーランド、ロシアを中心にスラヴ系作曲家の作品を中心に活躍していたが、
イタリアオペラでも評判がよく、特に2012年の新国ドン・ジョヴァンニは名演としても名高い。
とりあえず、この超豪華キャストの全曲は紹介しておかねばならない。
以前私が記事に取り上げた歌手はリンクを貼っているので、ご覧になっていない方はそちらも併せてご覧ください。
<キャスト>
Mariusz Kwiecien (Don Giovanni)
Anatoli Sivko (Leporello)
Carmela Remigio (Donna Anna)
Miah Persson (Donna Elvira)
Dmitry Korchak(Don Ottavio)
ツェルリーナのRocio Ignacioがちょっと残念な感じだが、
オッターヴィオとアンナは間違えなく現代最高のキャストであり、
クヴィエチェンも勿論良い。
圧倒的な個性はないものの、ただ良い声なだけでなく、ピアノの表現が技術に裏打ちされたものになっていて、
抜くような猫なで声ではなく、強い声の緊張感のままピアノでも歌えるバリトンは中々いない。
この人の素晴らしいところは、スラヴ系の低声歌手らしい太さや影のある音色はそのままに、
大抵の歌手が陥り勝ちな声だけで押す歌唱にはなっていないこと。
声で押すというのは、単純なディナーミクだけの問題ではなく、
場当たり的にならず、フレーズの中で自然なディナーミクを付けられるかどうか
ということでもある。
チェルノフの演奏と比較すると良くわかる。
ヴラディミール チェルノフ
クヴィエチェンは言葉の流れで歌えているのに対して、
チェルノフは一つ一つの音が細切れに聴こえて、言葉になっていない。
私見では、現代でも多くのスラヴ系の歌手はチェルノフのような歌い方である。
まさに昨日記事にした、前回のチェイコフスキーコンクール優勝者Ariunbaatar Ganbaatarはチェルノフのような歌唱である。
声量があって高音もでるバリトンがよく歌うアリアだが、
極限のレガートと「O Carlo ascolta」では特に研ぎ澄まされたピアノの表現が要求されるので、
歌手の技量を計るにはうってつけのアリア。
クヴィエチェンは単刀直入に言って見事な演奏。
声は勿論、音域や発音に影響されず、響きの高さやレガートを保つ技術もある。
一つ問題があるとすれば高音。
確かに立派な声でFやGesは出せているが、少しアペルトになり過ぎている。
正確には、ヴェルディを歌うにはもっとポイントを奥に持って行かないといけない。
クヴィエチェンだけではないが
テジエ、キーンリーサイトなど、ヴェルディを歌いながら、他にも幅広いレパートリーを持つ現代の歌手は、
大抵本当の意味でのヴェルディを歌うべきポジションで歌えていない。
まだ世界的にはほぼ無名であるが、Trevor Scheunemannの方がヴェルディバリトンと呼ぶにふさわしい響きである。
トレヴォール ショイネマン
レガートにはまだまだ課題があるものの、高音のポジションは本当に素晴らしい。
米国人でこれだけしっかりしたポジションで歌うバリトンは非常に珍しい。
クヴィエチェンと響きの質を聴き比べて頂ければ、奥に詰まるという意味ではなく、
ショイネマンの響きの方がもっと深く”a”母音などは特に開き過ぎない、より”o”に近い響きに統一されているのがわかる。
Pronta io son(後半)
10年近く前なので、ネトレプコはまだそれなりに上手い時期で、
クヴィエチェンは若々しく力強さのある見事な声でありながら、決して勢いに任せて雑にならず、
アジリタもしっかりコントロールできている。
こうやってみると、ヴェルディが本当の意味で合う声になるのは、もう少し年を重ねてからなのかもしれない。
とは言え、セリア向きの太く暗めの音色だと思っていたが、ブッファを歌えば十分明るい響きにできる。
声だけでなく、柔軟な音楽性を持った素晴らしいバリトンであることは間違えないので、今後の動向にも注目である。
このアルバムは私も所持しているが、
殆ど聴くことのできないポーランドやチェコの作曲家
ヤナーチェク、シマノフスキー、
更にスタニスラフ モニューシコの作品からも収められているので、
有名アリアを集めただけのCDとは一線を画している。
自国の作品を世界に発信しようという意欲が感じられるのもクヴィエチェンの素晴らしいところ
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