絶滅危惧種となっている正統派イタリアンリリックソプラノLucrezia Drei

 

Lucrezia Drei (ルクレツィア ドレイ)はイタリアのソプラノ歌手
昨年は新国の愛の妙薬でもアディーナを歌ったのでご存じの方も比較的いるかもしれない。
近年優れたイタリア人ソプラノが減少する中でも、
ドレイはイタリアの正統派リリックソプラノの系譜にある希少な歌手で、
思えばフリットーリ以来、この系譜に該当する一流のイタリア人ソプラノは現れていない気がする。

 

ドレイの声についてだが、
彼女の良い所はスーブレットの役柄をしっかり歌えること。
決してコロラトゥーラを主戦場とする軽い声ではなく、どちらかと言えば低音もしっかり鳴るリリックな声質だが、
現段階では決して重い役には手を出さずに、せいぜいパミーナやフィオルディリージまでにとどめているのは賢い。

度々書いてきたように、モーツァルトのスーブレット役はテッシトゥーラが低く、
低音が鳴らない歌手には表現ができない。
もちろんドレイが得意としているいるドニゼッティのブッファ作品も、
ただキャピキャピしてるだけで務まる作品ではなく、
逆にドニゼッティのブッファ作品のヒロインは自立した強い女性が描かれているので、
ただ軽い声では本当に必要な役の芯の強さは中々伝わらないだろう。

 

 

 

ドニゼッティ ドン・パスクワーレ Quel guardo il cavalier

まだまだ響きの豊かさという面では物足りない部分もあるが、
しっかりした母音の深さと言葉の明瞭さは、ノリーナを歌うような歌手からは中々聴けないものである。
同じく若手のイタリア人ソプラノと比較してみよう。

 

 

Rosa Feola

フェオーラの方がドレイより軽い声質にもかかわらず、響きが低くどこか重い響きに聴こえる。
面白いことに、ドレイの方が深いポジションで発音しているのだが、その方が言葉がはっきりと聴こえるのである。
それは結局、しっかり母音でレガートができているからで、
フェオーラは前の響きだけで歌っているので、子音を発音する時に流れた止まってしまったり、
低い音域で響きが貧弱になってしまっているせいで、正しいレガートでは歌えていない。

よくマスケラに響きを集めて!という指導をする人は、
この前の響きが全てであるかのように勘違いしている人が散見されるが、
結果的に顔の前面に響いてはいても、息はもっと深く奥で処理しなければならない。
ドレイとフェオーラの比較はとても分かり易い例だと思うのだがいかがだろうか?

 

 

 

モーツァルト コジ・ファン・トゥッテ Come scoglio

個人的には非常に良い演奏だと思っている。
何と言っても言葉を丁寧に歌うところが良い。
決して低音は鳴ってるとは言えないが、
しっかり言葉で処理できているので違和感がなく、
高音も、響きが鋭くなることなく、それでいてしっかりアタックの効いた声が出せる。

フィオルディリージという役は、
かなりドラマティックな声~リリコレッジェーロまで幅広い声質のソプラノが歌う役柄なだけに、
演出やオケがモダンかピリオドかなど様々な要素によっても役に合った声は変わってくるかもしれないが、
ドレイの演奏は、後半で微妙にテンポが遅れることを除けば非常にバランスの取れた演奏だろう。

 

 

 

 

ヴェルディ リゴレット Caro nome

録音状況が良くないとは言え、高音でも響きが鋭くならずに広い空間を使えているのがわかる。
ランカトーレと比較すれば、どれほど発声が違うかすぐにわかると思う

 

 

 

Desirè Rancatore

こちらは今年の演奏ということだが、なんと今年
6月にボローニャ歌劇場のリゴレット ジルダ役
10月にトリエステ・ヴェルディ劇場の椿姫 ヴィオレッタ役
でそれぞれ来日する予定らしい、
この声でヴィオレッタを歌うとは正気なのだろうか?
さらに、こんな状態のランカトーレを「ベルカント」などと宣伝してしまう日本の残念さときたらない。
欧米ではもうチケットが売れないが、日本なら売れるので来日公演で歌わせよう。
という完全に日本の聴衆がなめられてるようにしか感じないのだが、これは私の邪推だろうか?

兎に角、ランカトーレがこれほど売れるに値しない歌手であることは過去記事で検証したので、
まだご覧になってない方はそちらも見て頂きたい

 

 

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Desiree Rancatoreは本当に若くして売れて良かったのか!?

 

この通り、ドレイとランカトーレのどちらが優れた歌手かは比較するのも馬鹿らしくなる程に、
ドレイの発声技術の方が上なのである。

 

 

 

 

ロッシーニ 小ミサ O salutaris hostia

少少中低音での”a”母音が詰まった声になってしまうことがあるのだが、
それ以外は、よどみなく息の流れの中で言葉を処理できており、
粗の目立ちやすい大変難しい曲を丁寧に歌っている。
ドレイには強い個性がないので、一流歌手として名前を挙げるには物足りなさもなくはないが、
どんな曲も常に丁寧に歌っていて、作品への敬意が彼女の歌唱から伝わってくるのが本当に良い。
こういう歌手がもっと増えてくれば、イタリアも声楽大国としての地位を回復できるのだろうが、
果たしてイタリア人オペラ歌手というブランドはこの先どうなっていくのか?
そんなことを考えながら平成最後の日が暮てゆく。

 

 

 

 

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