伝説的なローエングリン歌いSándor Kónya

Sándor Kónya(ショーンドル コーンヤ)は1923年~2002年ハンガリー生まれのテノール歌手。
とにかくローエングリン歌いとして有名で、マリオ・デル モナコからは
「こんな感情のない役を君はよく何度も歌えるな。この役は君に任せた」
というようなことを言われたという記録がある。

とは言っても、勿論無感動なローエングリンを歌っていた訳ではない。

 

 

 

ワーグナー ローエングリン In fernem Land

なんと柔らかく軽いにも関わらず太い芯の通った響きであろうか!
これほどローエングリンを歌うのに相応しい声はそうはいない。
何人か最近でローエングリンを得意とした歌手をここに紹介するので比べてほしい

 

 

ポール フライ

この人もローエングリンには合った声で、演出や容姿も含めてこの映像は特にローエングリンにピッタリなのだが、
少し鼻に入ってしまっているために響きが硬く、音楽も流れない。
カナダのテノールというのは、ヴィッカースにしてもヘップナーにしても発声に癖がある。

 

 

ヨハン ボータ

 

2011年東京での来日公演
これは生で聴いていたが、ケント・ナガノが酷すぎて音楽を台無しにしてくらたのが今でも悔やまれる。
ボータがこの時は近々亡くなってしまうとは考えもしなかったので、
この時はナガノへの怒りでボータの演奏を覚えていないのが我ながら本当に勿体ない。

ボータの声がローエングリンに合っていたかと聞かれれば、必ずしもそうとは言い切れないが、
少なくとも彼の強く突き抜けるような高音と、高いテッシトゥーラでも楽にディナーミクをつけられる技術、
そしてヴィブラートのない声、
ずり上げたり、ポルタメントを使わない歌唱スタイルはローエングリンを歌うのに必要な要素だ。
見た目とか声質がどうしてもローエングリンではない。というのがちょっとアレなんだが・・・。

 

 

ペーター ザイフェルト

個人的に最高のローエングリンはザイフェルトなのだが、
響きが直線的で、あまりにも言葉がはっきりし過ぎているために、どこか人間的な演奏という感はある。
神々しい響きという部分で聴くとコーンヤの方が声質はローエングリンにやはり適していると言えるのかもしれない。
この人に関してはドイツ語のディクションが素晴らし過ぎて、私は無条件降伏してしまうのです。お許しください。

 

 

クラウス フローリアン フォークト

フォークトとナガノは良いコンビだと思う。
言葉に対する力感のなさとか、事なかれ主義的に上辺だけ美しく聴こえる感じとか、
そういうのが似通ってて、結局この歌はどういうことを歌ってるのか、
この演奏から想像できるだろうか?
この曲の中でも一番二番を争う程重要な「グラール」という単語を
「ゴール」とか発音してしまう感覚が理解できない。
誰がゴール決めたんだ?と突っ込みたくなるじゃないか。
コーンヤも、この一番盛り上がる音で、ちょっとポジションがブレてしまってはいるのだが、
それでもちゃんと聴こえる。

私がフォークトをディスってるのだと思う方は

コーンヤ(4:09)
フライ(4:25)
ボータ(4:05)
ザイフェルト(4:03)
フォークト(4:40)

をそれぞれ聴き比べてみれば良い。
フォークト1人だけがちゃんと発音できてないことがよーーーくわかる。
これで、人によっては
「歴代最高のローエングリンだ!」
と絶賛していたりするのだから、
一体何とどこを比較したら歴代最高のローエングリンになるのか伺ってみたいものである。

 

 

 

プッチーニ トゥーランドット Nessun dorma

個人的にはそこまでこの人のイタリアオペラは評価していないのだが、
一応カラフ歌いとしても有名らしい。
何が好きでないかと言うと、イタリアオペラを歌うと、なぜか無駄な泣きが入るのが好きになれない。
ドイツ語の曲を歌っている時は非常に上品な歌を歌うのに、イタリア物になると急に品がなくなる。
泣きを入れるのさへなんとかしてくれればイタリア物も良いのだろうけど。

 

 

 

ワーグナー ヴェーゼンドンクの詩による歌曲 Schmerzen

無茶苦茶ゆっくりのテンポで非常に丁寧に歌った演奏で、
リート演奏を聴くと、上のトゥーランドットの演奏が別人のように聴こえないだろうか?

 

 

 

同じくヴェーゼンドンクの詩による歌曲 Träume

ヘルデンテノールが歌うには声が勝ち過ぎてしまって、曲の雰囲気が出ないことがあるのだが、
コーンヤの声とこの曲の持っている空気管は実に相性が良い。
ドイツ語でありながら全く声に鋭さがなく、
丸く柔らかい響きで終始歌うことができる歌手はそういない。

歴史に残るローエングリン歌い。と言われただけあって、
ブレスコントール、中音域の安定感やディナーミクをつける技術、
緊張感のあるピアノの表現など、非常に高い発声技術を持った歌手であったことは間違えない。
超高音とか、デカい声なんて良い歌を歌うには大して重要ではないことがコーンヤを聴いても分かるはずだ。

 

 

CD

 

 

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