60歳を過ぎても美しいレッジェーロの声を保つソプラノIngrid Kertesi





Ingrid Kertesi (イングリット ケルテシ)は1957年ハンガリー生まれのソプラノ歌手。

戦前生まれの歌手によく見られたような、息の流れだけで低音~高音まで鳴らす現代には珍しい純粋なハイソプラノで、
ここまで喉を鳴らさない、響きだけで歌える歌手はそういません。
ちょっと大雑把な言い方ですが、どこの音も全部上の歯が鳴っている感じです。

 

 

 

 

バッハ ヨハネ受難曲 Zerfliesse mein Herze

理想的な発声ですね~。本当に美しい。
全ての音が同じポジションで響いていて、そのポジションと言うのが、俗に言う頭のてっぺんとか、鼻腔とか、額とかではなく、
上の歯一帯なんですよね。
全く喉を押したり、空間が狭くなることがなく、
現代的な感覚から言えば、もっとバッハでも明確な子音の発音が求められるところではあるでしょうが、
それを差し引いても決して一本調子の歌ではなく、自在の緩急、強弱は見事で、いつまでも聴いていたいと思わせる演奏をしています。
こんな演奏できる人は、きっと現在のメトロポリタン歌劇場を逆さまにしても出てこないと思います。
その理由は以前記事にした通りです。

 

 

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ドニゼッティ ルチア 狂乱の場

超絶技巧と高音のイメージが強い役柄ではあるのですが、
ケルテシの演奏では中低音の響きの充実が印象的です。
軽くて薄い響きでも低音は飛ぶということがよく分かります。
バリバリ鳴っている声じゃないと低音は響いてると言わない。
と考えている方がいたらその考えは今後改めて頂きたいと思います。

ただ、イタリア語の方が母音を豊かに響かせないといけない特性上、ドイツ語より声の厚みが必要なだけに、
ケルテシの声がバッハを歌っている時よりは響きのポジションが低くなってしまっている部分が見られるのは仕方ない部分もあるでしょう。
どうしても人それぞれ歌い易言語、声に合う作品というのはありますからね。

 

 

 

 

 

モーツァルト コジ・ファン・トゥッテ  Una donna a quindici anni

ルチアの演奏の時に中低音の響き充実について触れましたが、
モーツァルトのスーブレット役でこそこの人の中低音の素晴らしさが味わえます。
様々ら録音が存在しますが、個人的には歴史的な名演と言える位素晴らしい演奏だと思います。
バトルと比較してみると、ケルテシの低音の響きが洗練されているかがわかります。

 

 

 

Kathleen Battle

バトルの演奏はライヴなので、多少表現的に過剰な部分があるのは仕方ないですが、
一番最後のフレーズ
「Viva Despina Che sa servir!」のレガートの技術がケルテシは尋常ではありません。
なんでこんなソフトな声で滑らかに繋がって発音もしっかり聴こえるのでしょうか?
息を飲む位上手いです。こんな演奏できる人はそういません。
ルチア ポップでもかなりテンポを落として丁寧に歌ってます。感がでているのに、
テンポを落とさずさりげなく高い技術を見せる訳です。
なんて玄人好みの歌手でしょう(笑)

 

 

 




 

 

2016年のリサイタル

前半は現代のハンガリー作曲家の歌曲、
Kákonyi Árpádは調べても出てこないのですが、
Miklos Kocsar(ミクローシュ コチャール
は少しÁrpádに比べると有名なようで、
ナクソスからもCDが随分出ているようです。
流石に声の衰えは感じますが、終始穏やかで繊細なピアノ伴奏と声の美しさのバランスが絶妙で、
フォーレが合うのは想像に難くはないと思うのですが、後半のベッリーニの演奏が中々面白い!
ベッリーニが生きていた当時の演奏は復刻できませんが、想像するに本来はこういう演奏を想定されて作られているんではないかと思えてきます。
少なくとも、イタリアオペラを得意とする歌手がリサイタルなどで、
ウォーミングアップ代わりにとりあえず歌うベッリーニの歌曲の演奏とは一線を画した演奏になっていることだけは確かです。

 

 

 

 

 

グノー Ave Maria

とりあえずフレミングの演奏と比較してみてください。

 

 

 

Renée Fleming

この2人の演奏を聴けば言葉は余計な説明は不要でしょう。
この違いが現在の米国的、更にいえば世界の一流歌劇場でも主流になっている歌唱と、
本来19世紀前半までの作品が歌われるべき歌唱法の違いと言っても言い過ぎではないと思います。

 

こうやって比較すればわかる違いも、
歌劇場やコンサートで様々な歌手を聴くと中々違いがわからないかも知れません。
しかし、ケルテシのような優れた歌手がハンガリー国内での活躍が主流で、
私のようにCDを通して知っている人を除けば、世界的には知名度もそんなにないでしょう。
それと比べてフレミングはどうでしょう?
ケルテシと比較すれば知名度は雲泥の差です。
こういうことが積み重なって、世界的に上手い歌唱や、良い声の基準が歪められていくのだと思います。
そんな状況に嫌気がさした人達が、「昔の歌唱は素晴らしいが今はダメだ!」と言い出す。

私も学生時代はそうでしたが、
しかし、そんなことを言っても何の解決にもならないし、ただの現代の歌唱の否定、現実逃避でしかありません。
更に言えば、本当は現代にもいる素晴らしい歌手への侮辱でしかありません。
だからこそ、こういった比較はしつこくやることで、
歌が上手いとは?、良い声とは?を問い続けていく必要があるのではないでしょうか・・・。

 

 

 

 

CD

 

 

アヴェ・マリアの決定版みたいなCDが激安で変えて、しかも歌手がケルテシという、一家に一枚あっていいヤツです(笑)

 

 

 

 

廉価版CDナクソスにその名を刻むケルテシ。
レビュアーからも「初めて聞いた名前だけど凄い」という評価が目立つ
ここまで実力と知名度が釣り合わない歌手も珍しいですね。

2件のコメント

  • Fujiwama より:

    はじめまして。
    あけましておめでとうございます。

    私は、アマチュアで歌(テノール)をやっているものです。
    実はミリアム・ガウチとイングリット・ケルテシが好きでして、最近ケルテシのCDをよく聴いておりました。ちなみに、今日はナクソスのコーヒーカンタータを楽しんだところです。

    ケルテシを検索していたらこのブログにたどり着きました。ほかの記事も参考になるものばかりで驚いています。

    これから是非いろいろ楽しませていただきます。

    • Yuya より:

      Fujiwama様

      コメントありがとうございます。
      お二人とも素晴らしい歌手ですね。

      特に人気が高いイタリア物のど真ん中をレパートリーにしてるガウチの知名度が今一つ高くないのが不思議です。
      今後とも現代活躍している歌手を中心に発信していきます。
      また、YOUTUBEでも発信しているのでご覧頂ければ幸いです。
      今後ともよろしくお願いします。

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