素朴な響きの味わい深さを教えてくれるバス Jules Bastin

Jules Bastin (ジュール バスタン)1933~1996はベルギーのバス歌手。

バス歌手と言えばどのような声を想像するでしょうか?

深く太く地鳴りのような圧力のある声、
強く低く悪役を引き立たせる黒い声
逆に慈悲深く悪者をも深く包み込むような声
三枚目の役がピッタリな明るくも朗々とした声

 

人それぞれ想像する声は違うかもしれませんが、
深さが十分にありながら歌詞が明確に聞き取れて、
歌うとワイングラスが振動しそうな響きはないようなバスの声は中々想像し辛いのではないでしょうか?

いゃいゃ、それはハイバリトンの声の人が無理やりバスやってるだけでしょ。と言われるかもしれませんが、持っている声は紛れもなくバスのそれで、声の太さとか地鳴りのような共鳴とは無縁のバス。それがバスタンです。

 

 

 

 

シューベルト 冬の旅(全曲)

この録音に出会ったときは衝撃を受けました。
どこまでも素朴な響きでありながら、どんな早口になっても決してバタつくことなく根っこのしっかり張り巡らされた響きで、言葉の隅々まで神経の行き届いた演奏をしているのです。

こう言ってはナンですが、ホッターの全くレガートで歌えていない歌唱とは雲泥の差です。

 

 

Hans Hotter

確かにホッターのピアノの表現は見事なのですが、
曲全体を見渡した時に、ピアノで歌うという行為は表現手段の一つの選択肢でしかありません。
ピアノで歌うことによって、テンポがもたつき、言葉の色合い音色に変化がなければ、それは棒歌いと大して変わらないことになってしまいます。

全曲で比較するのは大変なので、有名な曲で曲調に変化もある
Frühlingstraum (春の夢)なんかが良いと思います。

(バスタン 33:29)
(ホッター 36:48)

例えば曲調が変わる部分

「Doch an den Fensterscheiben,
wer malte die Blätter da?
Ihr lacht wohl über den Träumer,
der Blumen im Winter sah? 」

(しかし、窓格子に葉っぱを描いたのは誰だろう?
冬に花々を夢見る者を笑っているのだろうか?)

 

ホッターはこの前の部分を重々しく歌い過ぎているので、実質声量だけで変化を付けている状況で、1音1音丁寧に歌い過ぎてしまっているせいで言葉の色合いやスピード感がほぼありません。
一方バスタンはそれほどの弱音を使わなくても、言葉のスピード感を自在に変化させ、歌うというよりは語っているような歌い方で常に心地よく自然に流れ、テンポが重くなることもありません。
この傾向は早口の曲程顕著になっています。
このホッターのピアニッシモは果たしてホールの後ろまで届いたのでしょうか?
話を聞く限り、ドイツ国内でホッターの演奏会ではチケットがそこまで売れていなかったという話も聞いたことがあります。
ディースカウやヴンダーリヒは常に完売だそうですが・・・。
そういう話を聞いても、ホッターは一流のバスに位置付けて良いのかは疑問の余地があると思います。
逆に、バスタンをもっと評価してあげて欲しいと思います。

 

 

 

サン=サーンス Danse macabre

この人はフランス歌曲の名手でもあります・・・・が、
この曲は歌曲と言うより、大酒飲み系ブッファバスのアリア的な要素があります。

 

 

 

 

ロッシーニ セビリャの理髪師  La calunnia

奔放に好き放題歌っているように見えて締めるべきところはしっかり締まっている本当に素晴らしい演奏で、非常に明瞭な発音でありながら、開放的で伸びやかな声を披露しています。
冬の旅で聴かせた素朴で端正な演奏とは真逆のようでいて、素直で真っすぐな声は共通しています。

 

 

 

 

ワーグナー ヴァルキューレ フィナーレ(ヴォータンの告別)

リサイタルでの演奏なのか、ピアノ伴奏のライヴ録音。
この曲をピアノ伴奏で歌ってる演奏が新鮮です。
流石にヴォータンを歌うには線が細くは感じますが、
ピアノ伴奏だからこそできる繊細な表現というのもある気がします。
改めてピアノ伴奏でこのアリアを聴いてみると、この楽劇のフィナーレとは違った、ピアノ伴奏だと違う曲のような感じがして面白いですね。それにしても、バスタンのヴォータンはフィッシャーディースカウが演奏してるみたいな声だと思ってしまうのは私だけでしょうか?

 

 

Dietrich Fischer-Dieskau

 

 

 

 

フォーレ Je me suis embarqué

 

 

 

 

シューベルト An die Musik

フランス音楽にはエスプリというのが重要だと言われたことがありますが、この人の演奏は無駄に技巧的ではなく、素直にフォーレの書いた音楽が耳から入ってきます。
「あぁ、こんな素直にフォーレって歌って良かったんだ~」
と思わせてくれる演奏です。
シューベルトにしても、良い演奏と思われているのは、
大抵この「音楽に寄せて」の場合、ずっとピアニッシモで静かに聴かせるタイプなのですが、バスタンはただ音程を付けて詩を読んでいるような感じで、抑揚とかリズムを出すのではなく、百人一首を読み上げるような、平らに見えてそこには明確な言葉の味わいがある、実に深い演奏をしています。
こんなに何を歌わせても万能なバス歌手はそういるものではありません。
これ以上は載せませんが、ドン・ジョヴァンニのレポレッロのアリアも、昨今溢れている声が良いだけのカタログの歌とは一味も二味も違いますので興味のある方はそちらも聴いてみてください。

 

バスって本当に不遇な声種だなと思う時があって、
技術より持って生まれた楽器に依存する部分が一番大きい声種だからなのか、
彼等の発声技術や歌い回しについて着目したものって、ソプラノやテノールに比べると皆無と言って良いんですよね。
ついでに、私の記事も、バス歌手を取り上げた時はソプラノ歌手の時より明らかにアクセス数減るんですね(笑)

なのであまりバス歌手の紹介記事は書いていないのですが、
逆に、バスタンのようなバス歌手にしかできない表現や味わいがあるのも事実ですので、バスの発声や表現にも興味を持って頂ければ幸いです。

 

 

CD

 

1件のコメント

  • なおや より:

    ジュール・バスタンがドイツものを歌うとは迂闊にも知りませんでした。
    冬の旅のYoutubeリンクは今は切れてしまっており、辛うじてGute Nachtのみ聴けましたが、柔らかく無理の無い声での淡々とした歌いぶりは、ローベルト・ホルを思い起こさせます。
    ヴォータンの別れは、仰る通り、F=Dみたいですね。もっとも、F=Dが昔出していたワーグナー・アリア(?)集のヴォータンの方が(やや作り声っぽいながら)より太く、メリハリのある歌だったと記憶しています。
    バスタンのドイツ語も外人にしては自然ですし、スゼーのようにドイツものが好きだったんでしょうか?

    ところで、ハンス・ホッターとの比較をされていますが、そちらについてちょっと異論があります。
    こちらもリンク切れのためどの録音なのか不明ですが、もし50年代のジェラルド・ムーアとのでしたら、確かに仰る通りかも知れません。
    1942年のRauchausen伴奏のもの(Youtubeにあり)をお聴きになられましたでしょうか?10年前ですが、とても伸びやで滑らかな声で、後年の欠点はあまり無いと思いますが如何でしょうか?
    もっとも当方、高校生の時にFMで聴いた確か1967年の来日公演のライブの彼の冬の旅を聴いたのが声楽が好きになったキッカケですので、どうしても贔屓目になってしまっているのかも知れませんが…

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