ベネズエラが生んだ技巧と暖かみを兼ね備えたカウンターテノールRodrigo Sosa Dal Pozzo

Rodrigo Sosa Dal Pozzo (ロドリーゴ ソーサ ダル ポッツォ)は1989年ベネズエラ生まれのカウンターテノール。

ベネズエラと言えば経済も政治も混乱が続く大変な国ですが、エル・システマという音楽教育プロジェクトがあることで世界的な音楽家を輩出できています。
特に指揮者のドゥダメルの活躍がエル・システマの存在感を示すのに一役買ったと言えると思います。

でも、この方は音楽教育をベネズエラで受けたのではなく、最初はウィーンで指揮の勉強をして、スイスとスウェーデンで歌の勉強をして、今はイタリアにいる。
という中々変わった経歴を持っています。

さてダル ポッツォですが、
カウンターテノールと言うと、非人間的な声を想像される方にこそ聴いて頂きたい歌手で、技巧も素晴らしいのですが、地声に限りなく近いファルセットで歌い、中世的な美しさより、人間的な温かさを感じさせる歌声なのです。
劇的な表現をしなくても、淡々と語られる中に深い感情を込めることができる稀有な歌声の持ち主だと思います。

 

 

 

カヴァッリ アポロとダフネの愛 l Lamento d’Apollo

歌うというより、まるで語るようです。
学生時代、イタリアで古楽を勉強してきた方に歌を習った時に、recitar cantandoの重要性を説かれ、
「歌は喋るもので歌ってはいけない。」と教わったことがあります。
それは古楽に限らず、ロマン派、ヴェリズモを歌う時も蔑ろにされてはならないもので、結局、マリオ デル・モナコの歌唱がなぜ人々の心を打ったのかと言えば、声が凄いからだけではなく、全部フォルテの音楽でも、ドラマを語っているからこそ聴衆に感情が届いたことは間違えありません。

さて、ダル ポッツァですが、この方の声は良いカウンターテノールの声に使われる常套句「天上の響き」のようなものとは一線を画していて、ファルセットが地声なのではないか?と錯覚させられるような自然さをもっています。

 

 

 

ロッシーニ タンクレーディ Oh patria – di tanti palpiti

このアリアだと、高音があまり得意ではないことが分かってしまうのが残念と言えば残念ですが、私もあまり上手く表現できない上手さがあります。

と言うのは、本来太い声で歌うと歌詞が聞き取り難くなり、アジリタのような技巧をこなす場合も上手くいかないものですが、ダル ポッツォは通常のカウンターテノールと比較すれば無茶苦茶太い声です。
それでいて、繊細な表現としっかりしたレガートでのアジリタがこなせます。
ですが、高音は声が太過ぎるために上手く抜けていかずに苦しい響きになってしまう。
普通の歌手であれば、「もっと細い声で響きだけで歌うようにしないといけません。」とか書きたくなるんでしょうが、この方は、地声のような太さのファルセットにこそ特徴があるので、細い響きで歌うカウンターテノールになったら、高音が出るようになっても特徴は消えてしまうような気がします。
言葉では伝わり難いので、日本を代表するカウンターテノールの藤木氏の声と比較してみましょう

 

 

藤木 大地

藤木氏は、ダル ポッツォより高音は抜けるんですが、響きがどこか頭部だけのように聴こえてしまいます。
カウンターテノールの正しい声というのは正直私にはわかりません。

人それぞれファルセットのの質が違うので、身体の使い方として正しい動きはあっても、実声とのバランスで、ダル ポッツォのような太い声が美しい人もいるだろうし、
イエスティン デイヴィスのように、上澄みだけの響きで聴かせるタイプもいます。

 

 

 

Iestyn Davies

喋っている声は良いバリトンの声が出そうな感じですが、歌うと上澄みの響きだけで響きかせる、これぞファルセット歌唱のお手本。というような歌唱です。
こういうタイプがカウンターテノールの良い声。として定義されるのだと思いますし、私もこういう歌唱スタイルが好きです。
しかし、以下の歌唱を聴くと心が揺れました。

 

 

 

 

 

ヘンデル リナルド Venti turbini

声は力強く、アジリタの切れ味も抜群、
こういう歌唱はデイヴィスのような響きだけで歌うと難しい。
特にファルセットの低音は実声と上手い具合に混ざらないと声量が出ません。
しかし、ダル ポッツォは全てが実声に近い響き(またはとても声帯が厚い)なので力強い低音を効果的に使うことができます。
因みに、現在世界最高のカウンターテノールと言って良いと思いますが、ジャルスキーが歌うとこんな感じです。

 

 

Philippe Jaroussky

この低音差が響きの質の違いですね。
これは女性で例えれば、全て胸声に近い響きを使って歌ってるようなものだと思いますので、技術的にも肉体的にも、普通の歌手には不可能な歌い方なのではないかと想像してしまう訳で、そう考えると、ダル ポッツォの楽器がとても特殊なものである。
という結論を出さざるを得ません。

こういう歌手を聴いていると、高音が出るから発声が良い。とか、技術がある。という考え方は必ずしも正しくないのかもしれません。
だからこそ、型にはまった指導しかできないような声楽教師は、偉大な才能を潰す可能性がある。とも言えますし、普通と違う楽器であることを理解できる耳と見識のある人しか、本来は人に歌など教えてはいけないのではないかとも思えてきます。

 

最後に改めて、エル・システマについて少し書きますと、
この
活動は日本でも行われているのですが、日本で広く認知されても、子供の才能に気付ける指導者がどれだけいるのか?
というのが、結局のところベネズエラのようにこの活動が機能するかどうかを決める重要なポイントになってくるのではないかと思います。

エル・システマ ジャパン
まだまだ始まったばかりですが、このプロジェクトから才能のある子どもを発掘し、その後に専門的な教育を受けさせられる流れができると良いんですけどね。
何にしても、日本は教育に金を使わない、研究にも金をけちる、とことん国民に投資しない国なので、果たしてどれほどこの活動で子供たちが希望を持ち、才能を生かされるようになるのか、正直かなり難しいと思いますが、少子高齢化の時代、少しでも子供に夢や希望を与えられるような活動が盛んになれば良いですね。

私事ですが、自分は本日母校の学際に行って、4名しか部員のいない合唱部を見てきました。(自分が在籍していた頃は合唱部そのものがなかった)
顧問の先生と話して、指導を買って出たのですが、口約束的に指導してやってくれ。みたいな話になったけど、本当にそんな話が前に進むのだろうか・・・。
何にしても、素直な高校生の声を聴いてると、上手い下手とか関係なく癒される。
それと同時に、真っ白な声を指導する責任て物凄く重いなと感じます。

 

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