Haeran Hongの声からわかる純粋なレッジェーロなソプラノの声を維持する難しさ

Haeran Hong(ヘアラン・ホン)は韓国のソプラノ歌手で、2011年エリザベート王妃国際コンクールの優勝者。

現在は純粋なレッジェーロソプラノが本当に少ない時代です。
言葉やドラマを求める傾向が強く、どんな軽い声のソプラノでもそれなりに言葉をハッキリ歌うことが求められるので、昔のように、とりあえず純粋な透き通った高音だけを売りにするような歌手は見なくなりました。

そんな中で、ホンは希少なレッジェーロの歌手ではないかと思います。

 

 

 

 

モーツァルト 劇場支配人 Bester Jüngling

こちらが2011年のエリザベート王妃コンクールでの演奏のようです。
この人の歌は、とりあえず”e”母音に強い癖があって、それが何とかなればと言ったところですが、
声そのものは浅い可愛い声のようで、実際は奥行もちゃんとあるので、完全なレッジェーロな声の持ち主ということでしょう。
発音もしっかり前でさばけてはいますが、言葉として意味を持って聴こえるかというと、そこはまた別問題・・・なのですが、
本当に軽いソプラノって戦前からこんな感じでしたから、無理に劇的な表現をして詰まったり押したりするくらいなら、自身の持っている声を最大限に生かせる歌い方をすべきだと思いますので、ホンの歌唱スタイルが間違っていると言うつもりはありません。
むしろ、こういう純粋な軽い声を存分に聴かせられるソプラノが減ってきている現在では貴重かもしれません。

 

 

ベッリーニ 夢遊病の女 Come per me sereno-Sovra il sen

私にはドイツ物の方がイタリア物より良い響きにハマっているように聴こえるのですが、皆様はいかがでしょうか?

イタリア語だとなぜか微妙に鼻寄り響きになってしまって、
中低音で苦手な”e”母音が多いこともあると思いますが、そのせいで一々響きが落ちるのが気になります。
それにしても、なんで低音の”e”母音は一々生声になるのやら・・・コレさへ修正できればもっと良い歌手になれるんですけどね。

 

 

 

グノー ロメオとジュリエット Ah! Je veux vivre dans ce rêve

フランス物だと喉押してません?
それとも韓国で歌うと周りの歌手に影響されてこうなるのでしょうか?
最初に紹介した劇場支配人を歌っている時とは全然違います。
声に柔軟性がなく、ディナーミクもなく、ヒステリックな声で歌っているだけの演奏になってしまっている・・・。

 

 

 

モーツァルト フィガロの結婚 Deh vieni non tardar

今一度エリザベート王妃コンクールの演奏に戻ってホンの演奏を聴いてみると、
決して声量はありませんが、大変丁寧な音楽作りで、変にテンポが遅くなってロマン派のアリアのようになることなく、モーツァルトの音楽としてのテンポ感の中でしっかり表現できています。
こんな演奏を20代でできたら、それは評価されるでしょう。
しかし残念なことに、この後で上記で紹介したようなジュリエットになってしまうのです。

 

 

 

 

 

ロッシーニ La fioraia fiorentina

こちらもコンクールからの映像です。
響きの質や母音の質が音域や発音によってバラつきはありますが、
それでも決して勢いだけではない、それでいて若さが溢れる魅力的な演奏をしています。

この感じだと、それなりに大きな劇場でコロラトゥーラの役柄を歌っていても不思議ではないのですが、彼女の予定を見ても大きな役をやっているような感じはありません。
それどころか今年はどこの舞台に出ているかもわからない。

 

 

2018年の段階で、このような声になっていることだけは分かりました(2:55~)

リリックな声になってヴェルディなんかを歌っている。
しかも声に深みが出た訳ではなく、喉から上だけで歌っているような感じになり、
声は強くなっても直線的で無感情、言葉に対する感度も上がっていないという、
どう考えても2011年の時から衰えている。と言うか別人になっている。
まだ30代半ばだと思いますが、それでもここまで声が変わってしまうことを考えると、
純粋なレッジェーロの声を保つことがどれほど難しいかが分かると思います。
だから、若い内は絶対に重い声で歌ってはいけない。
とにかく軽い響きを意識して歌っていないと、こうなってしまってはもう戻れません。

あんなに純粋な軽い声を持っていたホンが、たった7年程でこうなってしまうことは、
歌を勉強する方であれば、頭のどこかに置いておいた方が良いことではないかと思います。

 


 

 

 

 

 

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