Sigrid Onégin (ジークリット オネーギン)は1889年ストックホルム生まれだが、スウェーデンではなく、ドイツのアルト歌手
早速だが、この声を聴いて、アルトのイメージに合致するだろうか?
現在のアルト(コントラルト)と言ったら、
例えばナタリー シュトゥッツマン
グルックのオルフェオとエウリディーチェのアリアで聴き比べればすぐに違いがわかる
シュトゥッツマン
オネーギン
この違いが現代の歌手と昔の歌手の違いと言っても過言ではないかもしれない。
オネーギンと聴き比べると、シュトゥッツマンのドスの効いた低音と、伸ばしている音のヴィブラートが気になって仕方がない。
もし、逆にオネーギンの歌唱を聴いて、
パワー不足。軽過ぎる。響きが浅い。などの感想を持った方は、声そのものの美しさへの関心をもう少し持って頂きたい。
そして、ホールで聴いた時に伸びる声がどちらかを考えること。
前列で聴いてデカい声でも、最後列では飛んでこないような声は本物とは言えない。
サムソンとダリラ Printemps qui commence (春は目覚めて)
この演奏が大体40歳。
こんな美しく自然な声で歌えるアルトが他にいるだろうか?
近代でダリラ役として世界的に評価されていた
オルガ ボロディナの演奏と比べてみよう
言うまでもなく、ボロディナも名歌手である。
高音はオネーギンに負けない美しさを持っているが、中音域で揺れたり
響きが落ちたりしている。
勿論、並の歌手と比べれば全然素晴らしい出来なのだが、オネーギンの響きが如何に高く、
そして低音域がパワーで鳴らさなくても自然に響いているのかが、比較によってくっきり浮彫になる。
ついでにマリア・カラスも歌ってるので比較してみたい
3人の中で一番レガートで歌えていない。
こうして比べることで、人気や知名度に左右されず、
本当に優れた歌手、歌唱に焦点を当てることができる。
アルトに限らず、現代の低声歌手が如何に作った声で歌っているのか、
この人の歌唱を聴いていると、本当の意味で自然な発声で歌われたアルトとは何か考えさせられる。
この人のヴェルディ ドン カルロのアリアは衝撃的だ
こんな薄味で淡々とした演奏はヴェルディじゃない!
という気持ちも当然あるが、不思議と、こんな美しい旋律だったのか!?
という初めてこの曲を聴いたような衝撃を同時に受ける。
まるでフラグスタートのアルト版とでも表現すれば良いのか。
ジークリット オネーギンという歌手の歌声から、現代の私達が受け取るべきメッセージは非常に多いと感じる。
勿論正解はないが、本物の歌声とはどうあるべきなのか?
歌唱芸術を愛する者ならば、生涯問い続けていくべき問題であり、
彼女の歌はその回答の一つとして歴史に名を残すものであると私は信じている。
CD
誠に仰る通り!
私も1980年代初めから、往年の名歌手達のLPを、Levendige Vergangenheitレーベルを中心に集め初め、今時の歌い手に物足りなさを感じる事がしばしばです。
アルトでは、特にMargarethe Arndt-Ober、Louise Homer、Margarete Kloseなど、メゾではFedora Barbieri、Cloe Elmo、Sigrid Onégin、Ebe Stignani、Kersten Thorborgなどが声も歌も好きです。
もし未見でしたら、ここ10年更新無しですが、cantabile-subitoというサイトおすすめです。
田島直也さん
興味深い情報ありがとうございます。
SP時代の歌手は、どうしても女声より男声の方が聴きやすい状態で録音が残っているので、
Cloe Elmo、Sigrid Onéginなんかは素晴らしいと思いますけど、
調べものをしたり、偶然買ったCDに入っていたりしない限り、女声は好んで古い歌手を聴くということはしてきませんでした。
なので、教えて頂いたとサイトで勉強させて頂きますね。