東京二期会《ハンブルク州立歌劇場との共同制作公演》サロメ 2019/6/6 (評論)

2019年6月6日(木)

東京二期会《ハンブルク州立歌劇場との共同制作公演》サロメ (評論)

 

 

キャスト

配役 6月5日(水)/8日(土) 6月6日(木)/9日(日)
ヘロデ
今尾 滋
片寄純也
ヘロディアス
池田香織
清水華澄
サロメ
森谷真理
田崎尚美
ヨカナーン
大沼 徹
萩原 潤
ナラボート
大槻孝志
西岡慎介
ヘロディアスの小姓
杉山由紀
成田伊美
ユダヤ人1
大野光彦
升島唯博
ユダヤ人2
新海康仁
吉田 連
ユダヤ人3
高柳 圭
伊藤 潤
ユダヤ人4
加茂下 稔
新津耕平
ユダヤ人5
松井永太郎
加藤宏隆
ナザレ人1
勝村大城
小林由樹
ナザレ人2/奴隷
市川浩平
相山潤平
兵士1
大川 博
髙崎翔平
兵士2
湯澤直幹
後藤春馬
aカッパドキ

ア人

岩田健志
寺西一真

 

 

 

 

 

 

オール日本人キャストでどの位のレベルでサロメができるのか懐疑的だったが、
結果としては予想以上の出来ただった。
下手な外国人を連れてくるくらいなら、国内の歌手でも演奏が可能であることがわかったのは嬉しい限りだ。

では、主要キャストについて細かく書いて行くが、今回も批判的な内容お含まれるため、
ご了承の上記事を読んで頂きたい。

 

 

 

 

ナラボート役  西岡慎介

 

今回のキャストの中で、一番日本人らしくない声質だったのが西岡だった。

参考演奏
シューベルト Erlkönig

ややフォークトちっくな声質で、時々鼻に入りそうになることはあるものの、
響きの質が他の歌手より高く、軽い声でもよく飛んでいた。
芸大に在学していた時から彼の声は多少知っているが、軽い声にもかかわらず重く歌う傾向にあり、
高音は出ていたが鼻声のようになっていた。
典型的な日本人テノールにありがちなタイプだったのだが、
そこから考えればやはりドイツで勉強してきたことが生きているのだろう。
喉で押すようなところがなく、ナラボートという役をやるには相応しい声だったと思う。
そんなに低い音で歌うことがなくて、ドラマティックな表現も特にないが、厚いオケを飛び越えるある程度の鋭さは必要。
能天気にサロメを賛美する役であろうと、出だしで作品の印象を左右する部分はあると思うので、
そういう意味でも第一声で良いイメージを演出するのに貢献したといえる。

 

 

 

 

ヘロディアス役 清水華澄

何を歌ってもアプローチは同じ気がするが、ひたすらヒステリックなヘロディアスとしてはありか?

参考音源
ワーグナー 楽劇「ワルキューレ」第一幕 “冬の嵐は過ぎ去り”~終幕
テノール 片寄純也

馬力は凄いので、一番今回のキャストの中で声量はあるだろうが、高音で絶叫してるところだけデカい声で、
基本的に何を言っているかわからない。
そして中低音はあまり飛ばない・・・。
この映像でも分かる通り、基本的にレガートで歌えないし、伸ばしてる声が揺れるのだが、
ヘロディアスにはレガートで表現するような繊細な旋律などないし、美しい声も要求されない
必要なのは他者を圧倒するような音圧とか、ヒステリックな表現。
これがパルシファルのクンドリーなんかでこういう声を出されたら萎えるところだが、
今回は役が役なので、デカい声で叫んでるだけでこの役の表現としては事足りてしまう部分がある。
この役だから許せる歌唱。

 

 

 


 

 

 

ヘロデ役 片寄純也

上に挙げたヴァルキューレの演奏でもそうなのだが、
基本的に声が重い。
歌詞を一生懸命喋っているのは分かるのだが、響きが乗らず生声っぽさがある。
もっと楽に声が出せるポジションを見つけないと、高音が全部サイレンのような唸り声のように聴こえる。
声量自体はあるので、もっと響きの質を向上させていかないと重唱なんかでも美しくはもらないだろうし、
歳を重ねるとこの歌い方では絶対喉をダメにする。

ただ、ヘロデという役はヘルデンテノールの歌う役ではあるが、キャラクターテノール的な要素が強い役でもある。
片寄が素晴らしかったのは言葉の表現で、今回のキャストで一番表現の面では優れていた。
サロメに差し出す褒美として、なんとしてもヨカナーンの命以外を選択させようと必死になる場面なんかは見事だった。

 

 

 

ヨカナーン 萩原 潤

日本人がゴツい西洋人のヴォータン歌いのような声を出せるとは思っていないし、
そういう声を真似しようとしてはいけない。
荻原は最初の方、地下で歌うこともあって、余計に詰まった声の印象を受けたが、
中盤でサロメと対峙するところではそんな印象は薄れた。
ただフォルテではどうしても声が引っ込んでしまう傾向にあるのか、
「サロメ、お前は呪われている」
(Du bist verflucht!)
のような強い表現より、

「けがれた娘よ、お前を助けることができる者はただ一人だけ・・・」
(Tochter der Unzucht, es lebt nur Einer, der dich retten kann・・・)
のような慈愛に満ちたピアノの表現をしている時の方が声が飛ぶし、声の質そのものも美しい。

フォルテでもっと響きが解放できるようになれば良いのだが、
もっと本来持っている柔らかい響きを前面に出してもよかったのかもしれない。
パワーで日本人が勝負しても、オケを突き破って東京文化の5階まで届かせることは難しいだろう。

 

 

 

 

サロメ役 田崎尚美

田崎は上手く自分の声の範囲を逸脱しないようコントロールして、サロメという難役を歌い切ったのではないだろうか。
特に素晴らしかったのはピアニッシモの表現で、しっかり筋の通った弱音の表現は、
サロメの狂気は純真さゆえのものであることを暗示しているかのようで個人的には好感を持てた。
ただ、フォルテでは時々喉を押す場合があるのと、高音がややズリ上げ気味になるのは気になった。
高音のピアニッシモでは、筋こそ通っているが、芯がまだ細く、そこから声を大きくするという意味ではなく、
響きを豊かに膨らませていったり、messa di voceへ持って行ったりという発展させた表現も欲しいところ。

言葉に関しては、低音で完全に喋り声にしてしまうとはっきり聴こえるのだが、
歌うと語尾の”t”とかしか聴こえない。
特に欲しいのは語頭なんだが、そこが全く聴こえなかったのは残念。
とは言え、全体的に安定して歌えていた印象だった。
欲を言えばもっと響きに奥行が欲しいところではあるが、
声を変に重くしたりせず、リリックな声のまま自分のサロメを演じた田崎には拍手を送りたい。

 

 

これは演出の問題なのかもしれないが、
全体的にキャストが舞台の奥の方でうたうことが多く、
私が聴いた客席がL側だったこともあり、部分的に全然声が聴こえない役の配置があったのは不満である。
階段を使ってる分、天上も低くなる訳だし、余計に舞台の奥で歌わせると歌手が可愛そうだ。
主要歌手が後ろで、ユダヤ人達が最前列でどんちゃん騒ぎをすると、そのやかましさが際立ち、
そういう意味では演出効果があったのかもしれないが、聴衆の殆どが聴きたいのはそういうのではないはずだ。
もっと歌手が生きる舞台造りを考えて欲しいものである。
とはいえ、最初に書いた通り日本人キャストでこれだけできれば大したものだと思う。
男声の低声陣の響きには全体的にちょっと物足りなさを感じはしたが、それについて書くと長くなってしまうので、
今回はここまでにしておこう。
もし興味があってチケットを取るか迷っている方は、6月9日の公演は少なくとも聴いて損はしないレベルだと思う。

 

 

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