ハイソプラノClaire de Sévignéの発声講座は高音バカだが役に立つ・・・かもしれない。

「日本製」のゴアテックスを使用した水・雪に強い婦人用ブーツです。これからの雪のシーズン、雨のシーズンでもおしゃれに足元を飾りながら、濡れずにムレない構造が好評を頂いております。累計販売100万足を達成しました。

Claire de Sévigné(クレール ド セヴィーニェ)はカナダのソプラノ歌手。
典型的なコロラトゥーラを売りにしたレッジェーロソプラノで、
高音発声講座をYOUTUBEでやってしまう現代の歌手らしいお嬢ちゃん。
大体こういうことを好き好んでやるのはテノールなのだけど、ソプラノにもいました(笑)
そして、コレが結構上手い!

日本人的な地声高い=歌声高い。というのではなく。
喋っている声そのものは平均的な日本人女性より全然低いのだけど、
歌声と喋り声の音程ではなく、空間の広さや鳴っているポジションが歌声も喋り声もほぼ同じ。
こういう部分に注目すると、声楽の初心者が腹筋とか口の開け方とかの前に、まず取り組むべきは喋り声をどうにかすることの方が重要だと気づく。

そして、コレが日本語を常用している我々日本人にとって一番の難関であると言って良いと思うのですが、
平べったい言語であるが故に日常的に広い空間を使う筋肉を使わないことが、日本人らしい歌声の原因でもあると言って良いでしょう。
藤村美穂子氏が「日本語で喋りたくない」と言っているという話を聞いたことがありますが、
理由は歌うために必要な筋肉が弱るからであると推測できます。

 

 

 

 

The coloratura soprano: a demo by Claire de Sévigné

この動画では高音について言っているのですが、
重要なのは中低音を決してなおざりにしていないこと。
あくまで下~上まで繋がっていることが重要で、それが所謂響きの深さとも関係してくる。
軽い声=浅い。重い声=深い。ではないのが勘違いされやすいところですが、
ド セヴィーニェの実演は余計なことをして、小難しく言っていないところが良いですね。
コレがテノールのアクートの話になると急にややこしくなって、
パッサージョでは少し狭めて、その上ではまた開けて耳の後ろから息を回して・・・等々、
複雑な裏技みたいな解説がされたりすることが多々あるのですが、
ただ高音を出すということだけにフォーカスするのであれば、これ位単純であって良いと思うのです。

 

 

 

 

モーツァルト 魔笛 Der hölle rache

所々発音が気になります。特に「Natur」が「ナチュール」に聴こえるのは完全に英語訛りドイツ語だと思うのですが、
夜の女王を歌って、逆に歌詞がちゃんと聴こえるというだけでもしっかり発音できていることの証拠でもあるのでしょう。
少々持ち声以上に強く出そうとし過ぎて、本来の響きより重くて暗いものになってはいますが、
持ってる楽器で押し切るタイプでも、中低音スカスカで高音だけ強い訳でもなく、堅実に歌える歌手であるのは確かでしょう。

 

 

 

 

Demi-Finale I CMIM chant/voice 2015

Concours musical international de Montréal  2015年での演奏
3年に一度行われ、声楽・ヴァイオリン・ピアノが一年ごとに行われているコンクールですが、
Neue Stimmenやエリザベート王妃のような有名コンクールに比べると知名度は低いようです。
でもヴァイオリン部門は日本人が結構出ているのです。

さて、ここではヘンデル、プーランク、アンドレ・プレヴィン、オッフェンバックを歌っていますが、
癖のない声で聴きやすい演奏をしますが、同時に個性という面では薄い。
個性と言うのは、結局のところ演奏者がその曲をどう演奏したいのかが聴衆に伝わることだと思っているのですが、
セヴィーニェは決まった良い声を常に出し続けるだけの演奏に終始してしまっているのが本当に勿体ない。
プーランクはピアノが表現してくれる部分が大きいのでなんとかなるのですが、オランピアは正直飽きます。
理由は、人形の演技と超高音にしか意識のない歌だからです。
この歌唱で、3番、4番まで同じフレーズで歌う有節歌曲を歌われたらと思うと、聴衆の半数近くはうとうとするでしょう。
結局発声というのは歌の上手さとは関係があっても、それが絶対ではないということがこういう演奏から理解できると思います。

 

 

 

 

マスネ サンデリオン(シンデレラ) Ah, douce enfant

こちらは中々ハマっているようです。
この人の場合、オケが色々複雑に表現してくれるような作品の方が良いのでしょう。
発音はしっかりできても、言葉の中身が薄いのが最大の弱点に見えますので、
こういう役ならあまり気にならずに聴ける。プティボンの演奏と比較してみると、
表現のバリエーションの違いがよくわかります。

 

 

 

Patricia Petibon

いかがでしょうか?
確かにライヴとスタジオ録音という大きな差はありますが、問題はそういう部分ではなく、
響きの種類、息のスピード感の緩急、発音のタイミングなど、
それらの殆どが一定になってしまっているセヴィーニェと比べて、間の感じ方がプティボンは全く違う。
こういう部分が音楽性とかセンスとか、様式感とか抽象的に表されるところだと思うのですが、
同時に日本の声楽教育の現場で最も軽視されている部分なのではないかという気がしてなりません。
そんな訳で、経験上セヴィーニェのような演奏はきっと日本では高く評価されると思います。
しかし、いい声で歌えることが良い歌ではない。
ということを学生に理解させられる指導ができないと、
結局のところ、何を歌ってもセヴィーニェの発声動画の延長線上のものにしかならないのではないでしょうか。

 

そう考えた時に、
今はあらゆる演奏がネット上に落ちてる訳で、興味を持てば無数の演奏に触れることが出来ます。
様々な演奏を知ることで解釈について考えるようになりますし、
ちゃんと勉強しないと根拠は得られないにしても、感覚的に様式感が理解できるようになってくる。
様々な引き出しを持っていて、適材適所で表現を使い分けられるようになるには、
結局のところ、できるかできないかの前に、色んな演奏を知っていなければはじまらない訳です。
それなのに教育現場では技術の話ばかりです。
このサイトは色々知るきっかけの一助として役に立てば、という想いで造ったのもあったりするので、
声楽を勉強してる高校生や大学生で、私の記事を読んでくれている人がいれば良いのだけど・・・。


 

 

 

 

 

 

コメントする