The Queen Sonja International Music Competition 2019 (評論)

ちょっと遅れてしまいましたが、
The Queen Sonja International Music Competition 2019

の映像と順位が出たのでどんな歌手が入賞し、どのような演奏だったかを分析していきたいと思います。

 

 

セミファイナルの様子です。(開始 34:45~)

 

<順位>

 

 

 

<評論>

出場順に演奏を聴いていきましょう。

 

 


Astrid Nortstad (メゾソプラノ)

声に品格があって歌唱フォームがとても美しいですね。
入賞はしていませんが、他の出場者より劣っているとは思えません。

◆選曲
コンクールで歌う曲としては地味過ぎるのはあるかもしれません。
一応最後にアリアを持ってきていますが、一番目立つのはブリテンの「ルクリーシアの凌辱」のアリアですが、劇的な表現でも低音はあまり鳴らず、高音は比較的出ていることから、どうしてもソプラノっぽいメゾで、綺麗な弱音は聴かせられるけど・・・あまり歌が印象に残らない。そんな歌になっている気がします。
それなりに派手なアリアか、アジリタを駆使する技巧的なアリアなり、
もっと多彩な表現を必要とする歌曲を選ばないと、入賞するのは難しいかもしれません。

◆歌唱
弱音の表現では、それなりに良いポジションに通っている感じなのですが、
息が止まっていて、言葉が流れていません。
なので、ちょっと強い声の表現にすると急に声が硬くなる、
ブリテンの冒頭の表現なんかは、英語と言うこともあるのかもしれませんが、劇的な表現では声を解放することができず全部詰まってしまっています。

 

 


Meigui Zhang(ソプラノ)

◆選曲
ストラヴィンスキーの「放蕩児の遍歴」のアリア以外はソプラノが歌う曲として比較的定番ネタが揃っている印象。
なお、ここで歌われているストラヴィンスキーの作品は原語がロシア語ではなく英語なので、この歌手がオリジナルで歌っていないという訳ではありません。

◆歌唱
典型的なインゴラート(伊)、クネーデル(独)です。
軽いソプラノのはずなのに、低音は低声歌手のように暗い音色になり、
Rシュトラウスの歌曲なんかは一曲を通じて音質が変わり過ぎてしまうので、表現として多重人格のよう。
作った声なので言葉も全然飛びませんし、レガートもできない。
この声でセミ・ファイナルまで残ったことに驚きます。

 

 


Natalia Tanasii(ソプラノ)

本大会のファイナリスト(4位)

◆選曲
正統派リリックソプラノとして聴かせるには中々良い感じ。
最初のラフマの歌曲は繊細な高音のピアノの表現とレガートが求められる曲で、上手く歌えればインパクトはあるのですが、粗が目立ちやすいという意味では歌手の能力が丸裸になる曲とも言えます。

◆歌唱
少々声を押す癖があり、声そのものは透明感があって非常に美しいのですが、
押す癖により肝心のピアノの表現ができないのが痛いです。
特に最初に歌ったラフマニノフの歌曲は、執拗なレガートと高音のピアノの表現こそが生命線なだけに、その両方が出来ていないのにこの曲を選んでしまったのは短所ばかりが目立つ結果になってしまったと思います。
例えば、

 

 

Natalie Dessay

かなり衰えているオペラ引退後のデセイの演奏ですが、3:00~の聴かせどころの高音はやっぱり上手いです。
こういう部分でしっかり聴衆が求める高音のピアノを出せないとこの曲を選ぶ意味はあまりないかな?と思ってしまう訳です。

一方、ミミなんかはこれ以上ない位声との相性が良いので、ちょっとくらいディナーミクやレガートに難があってもあまり気にならない。
それは発音が奥に籠らず前に出ているのが大きいと思います。

あえて言えば、低音域でガクンと響きが落ちることがあって、
ルサルカもそうですが、そういう部分が勿体ない。
高音は独特のヴィブラートが掛かってしまうので、結局は押しているためなのでしょうが、こういう癖が取れれば持っている声は大変魅力のある歌手だと思います。

 

 


Sergey Kaydalov(バリトン)

本コンクールの優勝者

◆選曲
恥ずかしながらKhrennikov(フレンニコフ)という作曲家を知らなかったのですが、
調べてみると比較的最近までご存命だった作曲家のようです。
ティホン・フレンニコフ

曲も非常に聴きやすく、あまり近現代作品という感じはしません。
その他では、ムソルグスキーはロシア語が母国語だからこそ出来るような、母国語を生かし、自身の声の特徴も最大限に生かせる見事な選曲と言えるでしょう。
シューベルトは、とりあえず声を生かせるドイツ物を入れたと言う程度か・・・、コンクールでドッペルゲンガーやアトラスを歌うバリトンは、リートと言うよりアリアの延長線上で歌っているようなものだと思ってしまうのは私だけ?

◆歌唱
ロシアの歌手らしくパワー系の発声ではあるのですが、
早口とそこに付随した表現が見事なので、ただ声に頼って歌う訳ではなく、声より歌の上手さと選曲の良さが光っていたように思います。
そういう意味ではブリン ターフェルに似たタイプの歌手かもしれません。

声だけを取り出せば、息の流れが感じられず、カンタービレに歌えるのか疑問なので、ヴェルディを歌っていればもっと粗が目立ったかもしれませんが、子音の多い言語の曲を中心に、イタリア物でも幅広い表現が許容される曲を歌ったことで、点で声を当てるような歌い方でも違和感をほぼ感じることなく聴くことができました。
更に高音も出るので聴衆の反応も良く、会場を味方につける演奏をしたと言えるでしょう。
そういう意味でも自分の声の短所、長所をよく理解されているのだろうと思います。

 

 


Emily Pogorelc(ソプラノ)

 

◆選曲
アルネスという作曲家の歌曲を歌っています。
ノルウェーの歌曲なのだと思いますが、ノルウェー語がわからないので、
部分的にドイツ語っぽく聴こえるのだけど、ちょっとこの曲は全く知識がなくわかりませんでした。
他の曲も、どうもコンクールで歌うには向いているとは言えない気がします。
これは私の好みも入ってきてしまいますが、ベッリーニのOh! quante volteなんて、長い割に特に聴かせ処がありません。
もちろん、とんでもなく美しいピアニッシモ&レガートの表現ができれば別ですが、そうでない限りはもっとコンクールに相応しいアリアは幾らでもありますね。
一応ヘンデルが技巧的なアジリタを用いた曲ですが、英語は発声的な難が表面化し易い上、米国人がヘンデルを歌うと、英語でなく米語発音の癖が声に出たりして、あまりヘンデルらしさが出なかったりします。

◆声
残念ながら響きが全て落ちています。
なので、最後のヘンデルのアジリタを多用する曲では、特にフォームの崩れ易い”e”母音でアジリタをすることが多く、音域によって全然響きが違ったり、中低音では詰めたような声になったりと、とりあえずコロがってはいますが、ただ楽譜に書かれた音を歌っている以上の演奏にはなっていません。
まず、発音のポイントが全部奥で母音が全て籠っているのに、イタリア語の語尾の”r”だけ強調するので、そこだけが目立ってしまったり、単純に響きに対するセンスがあまり感じられません。

 

 


Adam Kutny(バリトン)

本コンクールの3位入賞者

◆選曲
グリークの歌曲はドイツ語歌唱ですね。
最初のジョン ウィリアムズの曲を除けば、他の曲はピアノの表現を中心に曲を組み立てる必要があるので、柔らかい声のバリトンであれば良いかもしれませんが、
コルンゴルトとヴェルディを一緒に歌うのは正直あまり得策ではないと思います。
と言うのは、糸を引くような真っすぐなピアノの表現が必要なコルンゴルトと、深く重厚感のあるピアノの表現が求められるヴェルディを歌い分けるというのは並大抵のことでは不可能なので、どちらかが上手い歌手でも、どちらかでは違和感がある。ということが起こる可能性が非常に高いからです。

◆歌唱
個人的な感覚としては、なぜ入賞したのか疑問です。
と言うのは、ヴェルディもコルンゴルトも軸となる両アリアが完全にこけているからです。
例えば、死の都のアリアの出だし「Mein sehnen, mein wähnen」が既に真っすぐ歌えておらず、「wähnen」で揺れてしまっています。
この調子で、細く真っすぐに歌うことができていません。
一方のヴェルディ、これは決めどころの高音Fがすでにギリギリで、
アリアの終わりには声がスカスカになっています。
この時偶然調子が悪かったのか、たかがFの音がギリギリなのかはわかりませんが・・・
更にその後のロ”ドリーゴの死”は最高音Gesですが、当ててるだけで、こんな一瞬当てるだけの演奏するならヴェルディを選択するのは無謀です。
そして、まともに歌えていないのに3位というのがもっと意外です。

 

 


Julia Muzychenko(ソプラノ)

◆選曲
イタリアオペラの有名所を中心にリムスキー=コルサコフとサンサーンスで固めたプログラム。
ハイソプラノとして聴かせどころを抑えた選曲ではありますが、タイプがコロラトゥーラを聴かせるものだけに偏り過ぎてしまっているので、アピールできるポイントは少ないかもしれません。

◆歌唱
音色はやや暗めですが、響きのポイントは決して悪くありません。
特に高音のピアニッシモは美しく、上手く抜けた時の高音は中々のものです。
ただし問題は、時々鼻に入ってしまうことで、特に中低音で苦労している印象を受けます。
後は選曲も相まって言葉への感覚の薄さがどうしても気になってしまうので、ファイナリストに残れなかった原因は曲目の問題が大きいと思います。

技術はあっても、結局何を歌っても同じように聴こえてしまっては意味がない訳で、この人の音楽ならば歌声ではなく歌音といったところでしょうか。
こういう音楽ならヴォーカロイドで良いんじゃないか?ということになってしまうので、技巧的なパッセージにどうやって感情を落とし込むのか、そういうことを考えていかないと、中々この方向性で上を目指していくのは難しいように感じます。

 

 


Josy Santos(メゾソプラノ)

◆選曲
フランス物を中心にパーセルとグリーク(ドイツ語歌唱)と言語のバランスは良い。
フランス物はオッフェンバックとアーンなので、大衆音楽ですね。
一方パーセルの音楽は厳格なオペラセリアですから、対局にあると言っても良いかもしれません。
そしてグリークの美しくも情熱的な歌曲ということで、上手く歌えれば良いプログラムだと思います。

◆歌唱
この大会はどうも全体的に発音が奥で籠り気味の歌手が多いですね。
声は決して悪くないですし、低音も胸声に落とさなくても鳴るのですが、全体的に声が太くて発音が奥過ぎるので、特に後半のパーセルやグリークは何語かすら聞いててなかなかわかりません。
例えばグリークの歌曲の楽譜はこんな感じ

 

 

Barbara Bonney(12:04~)

楽譜を見てみるとよく分かるのですが、
高音で伸ばす音が「Mehr」とは「Wirklich」とかの、
”e”や”i”なんですが、この人は全部”e”だか”o”だかわからない母音なのです。
音程が高くなると”i”母音が”e”の方向に開いていく、あるいは”e”が”a”に寄っていくというのは、声が太過ぎるということで、太いということは響きで歌えておらず、半分喉声ということです。

因みに、歌曲が上手いと思われているボニーも聴いての通り上記に挙げた部分は正しい発音で歌えていません。

”i”母音は喉が締まるから高音では”e”の方に開く。
とか言う声楽教師がいますが、それはデタラメなので真に受けないようにしましょう。
私もそういう風に習って変な癖がついたのは苦い思い出です。

ボエームのフィナーレでミミの名前を「メメ~」と歌ってるテノールがいるか?
って話で、ちょっと考えれば分かることなんですが、その時は疑いもなく受け入れてしまうんですよね~。教育って恐ろしい・・・。

そんな訳で、この人は声は悪くないし、ピアノの表現も丁寧なのですが、如何せん発音の癖が強すぎですね。

 

 

 


Stefan Astakhov(バリトン)

本コンクールの2位入賞者

※この人の前にケニアのバリトンが歌っていますが、
プッチーニのアリアが入ってなく、他が全てドイツ物なので、
ここでは記述を控えさせて頂きます。

◆選曲
Goldfadenという作曲家は、
どうやらアブラハム ゴルトファーデン(Abraham Goldfaden)という人のようですが、今一つ詳しいことはわかりませんでした。
1曲はマイナーな作曲家の曲を歌わないと入賞できないコンクールなのでしょうか?
と思いたくなるくらい、入賞者は1曲はマイナーな作曲家の曲を入れていますね。
後はドイツロマン派作品とグリーク(こちらはノルウェー語で歌ってる?)

◆歌唱
ベルカント信奉者達が{ドイツ唱法}と言って批判する歌唱がまさにこんな感じだと思うのですが、
身体を固めて圧力で押し出すような声で、響きも貧しくて硬いんですよね。
別にこういう歌い方が{ドイツ唱法}な訳ではないことは、私の記事を読んでくださっている方は理解して頂けると思うのですが、
特にドイツ物を歌うバリトンってこういう歌い方する人が確かに多くて、それは日本だけの話ではないんですね~。
このコンクールの順位を見ていると、バリトンが挙って上位なのですが、こういう歌唱を高く評価する審査員がいるのでしょうか?と穿ったみかたをしたくなります。

 


Theodore Browne(テノール)

◆選曲
魔笛のアリアとシューベルトの「nacht und träume」はパッサージョの音域でピアノの表現がしっかりできる自信がないと選べない曲で、
言わずと知れたハイC連発のコンクール向けのテノールアリアの代表格である連隊の娘が控える。ロッシーニの歌曲も華やかで、レッジェーロテノールとして聴かせ所満載のプログラム

◆歌唱
この人はパッサージョがないのかもしれません。
魔笛のアリアを聴く限り、GやAs当たりがとても楽そう。
”o”母音で詰まる傾向にあるのは気になりますが、A位までを軽く出すにはとても綺麗なテノールで、モーツァルトを上手く歌えるというだけで個人的にはポイントが結構高いです。

ただ、この人がなぜか入賞しなかった。
原因として考えられるのは、一番おいしいハイCが決まっていないこと。
A位までは楽に出るんですが、ハイCが全部鼻に入った変な声になってしまう。
なぜこんな軽い声でハイCが抜けないのかちょっとよく分かりませんが、もしかしたらもっと高い音の方が楽なのか?

声その物は確かに上半身だけで歌っている感じがあり、しっかりしたアクートで高音が出ているかと言えば、それは違うと思いますが、1991年生まれということを考えれば、今後身体ができてきて、もっと下半身と連動した芯のある声になる可能性はいくらでもあります。
それらを考慮すれば、私ならこの人は2位に入れても良かったと思えてなりません。

 

 

<総評>

異常が個人の評論ですが、
審査の結果を見ると、高音が得意な歌手が入選しない。
という現象が起こっていて、
選曲の段階で、マイナーな作曲家の作品を歌わないと入賞できない暗黙の了解でもあるのか?と思えるような内容でした。
歌に関しては、発音が前に飛ばない歌手が多く、上手くまとめてはいるけどあくまで声のディナーミクでの表現にとどまってしまって、歌詞と連動した感情の動きを表現できていたのは、優勝したSergey Kaydalovだったのではないかと思います。
ここで歌っている歌手が3年後、5年後に果たしてどうなっているか楽しみですね。

 

 

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