調布市民オペラ第21回公演 アイーダ

調布オペラ アイーダ

12月1日    12月2日
アイーダ   石原妙子   鈴木麻里子
アムネリス  大賀真理子  杣友恵子
ラダメス   小野弘晴   上本訓久
アモナズロ  小林大祐   大塚博章
エジプト王  狩野賢一   山田大智
ランフィス  後藤春馬   小幡淳平
巫女長    松本真代   大音絵莉
伝令     工藤翔陽   川出康平

合唱指導   谷 茂樹
合唱     調布市民オペラ合唱団
管弦楽    東京ニューシティ管弦楽団
バレエ    今村バレエスタジオ
指揮     ステーファノ・マストランジェロ

演出     三浦 安浩
副指揮    仲田淳也  阿部肇  芳賀大和
演出助手   大森孝子
舞台監督   村田健輔
舞台製作   ザ・スタッフ
美術     松生紘子
衣装     坂井田操
照明     稲葉直人
音響     関口嘉顕

 

私が行ったのは112/2の公演。
基本的にオペラは最後列、あるいはそれに近い席で聴くことにしているので、
声量という部分に関しては、あくまで飛ぶ声であることが判断基準となってくる。
さて、早速主要キャストについて書いていこう

 

◆ランフィス  小幡淳平

同じ音でセリフを歌ったり、比較的高い音が要求されたりと、
意外と難しい役だが丁寧に歌っていた。
幕開けで一番に歌い始めた時は言葉が飛んでいない印象だったが、
4幕はしっかり出ていた。低い音域よりもやや高めの音の方が響きが良い印象を受けた。

 

◆エジプト王  山田大智

温かみのある声質は良いが、全体的に響きが上がらないず、
最後列ではあまり聴こえなかった。

◆アモナズロ  大塚博章

今回の公演の男声陣で一番良かった。
まず、響きが安定しており、声ではなく言葉でしっかり歌えていたし、
そして高音も、喉が上がらず、しっかりアクートに抜けていた。
日本人のバスでしっかり上が抜ける人は滅多にいない。
その理由は、そもそも日本人にバスの声は少なく、大抵のバスはバリトンとしては上が苦手だから、
という人が多いのが実情だからだ。
その分、バスとしてしっかり高音が出るというのは貴重であるし、勿論低音も太くはなくても飛ぶというのは見事。
そこまで太い声ではないが、しっかり最後列まで声が飛んでいたのだから、今後はもう少し出番の多い役で聴いてみた。

 

◆アムネリス  杣友恵子

迫力のあるドスの効いた低音は時々使うなら効果的だが、あまりにも多用し過ぎると
アムネリスという役が水商売女に見えてきてしまう。
発声的にもブレが目立ち、特に”i”母音が定まらないのはマズイ。
4幕は常に叫びっぱなしで、聴いてるこちらが辛くなってくる。
逆に、3幕の登場場面の第一声「Traditor!」には力がなかった。
音域云々ではなく、とにかく声ではなく言葉で歌わないと、音楽もヴェルディの求めるレガートにはたどり着けない。

◆ラダメス   上本訓久

演奏映像があったので参考までに。
ラダメスという役は、有名なアリアが出だしに出て来て、
このアリアを歌う時では、まだ声が温まっていないのが普通。
逆に、このアリアを最高の状態で歌えるように調整すると後半でバテるという作りになっており、
このアリアが上手く歌えたかどうかは個人的には評価対象には考えていない。
まず、持っている声と喉の強さは大したものだと思うのだが、
添付の映像を聴いてもお分かりの通り、全体的に硬い。
低音:もっと楽に出せば良いのに、力みがあり、響きが全くない声になっている。
パッサッジョ:(E~G辺りの音)も抜けていくというより力で押し切る感じである。
発音:イタリア語の子音はそんなキツくない。もっと母音がしっかりレガートで繋がらなくてはいけないが、言葉が細切れになってしまっている。
表現;あまり泣きを入れたり、必要以上に特定の単語にアタックを加えると、キャラクターテノールの役のように見えてしまう。
もっと真っすぐに単語ごとではなく、フレーズで音楽を捉えて表現した方が良い。

◆アイーダ   鈴木麻里子

アイーダを歌う声としては細いが、本日のキャストの中で一番声が飛んでいた。
低音域も無理やり鳴らすことなく、声ではなく素直に言葉を出しているところに、
アイーダという純粋なキャラクターが重なって、特に声質が合わないという印象は受けなかった。
何より良かったのは、フォルテで歌う場面が実はアイーダという役は非常に少なく、
常にピアノ、ピアニッシモの繊細な表現を要求される。
そういう部分を実に丁寧に歌い上げていた。

欲を言えば、ピアノからクレッシェンドした時に必要以上のビブラートが掛かってしまうこと。
低音域では言葉がしっかりしているが、高音は響きが先行して言葉が聴こえなかった。
持っている響きがとても純粋で美しいので、今後は、その響きを押すことなくフォルテまでコントロールできるようにすること。
例えばフィナーレの
「O terra, addio; addio, valle di pianti…
Sogno di gaudio che in dolor svanì.
A noi si schiude il ciel e l’alme erranti
Volano al raggio dell’interno dì」

なんかは、言い方は正しくないかもしれないが、リートのように一つの線で言葉を紡ぐことが要求されている音楽である。
まだ30代半ばでこれだけの大役をこなしていると言うだけでも素晴らしいことだが、
今後も持ち前の美しい響きを失うことなく、既成概念を打ち破るような役作りを期待している。

 

<総括>

イタリアオペラとなれば、①にも②にもレガートが大事。
力んだビブラートや、絶叫のような高音は完全にヴェルディの音楽とは釣り合わない。
そこまで大きな声を出さなくても意外と舞台の後ろまで聴こえるもので、逆に力一杯だしている声は遠くに聴こえる。
確かに高音は大事だが、誰でも出せる中音域をないがしろにしている歌は非常に雑な印象を与えるので、
楽に出せる音が本当に楽に出せているのか、常に自分の声とは厳しい耳で向き合って欲しい。

 

 

 

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