Agnes Baltsaという声種

Agnes Baltsa(アグネス バルツァ)は1944年ギリシャ生まれのメゾソプラノ
世の中には、理屈では説明できない声が存在する。
カルーソーの声は医学的に解明できなかったことが著書に書かれていた。
参考文献は↓

メルヒオールの歌い方も常識では測れないだろう。

 

女声でもそんな歌手がいて、多くの人はマリア・カラスを思い浮かべるかもしれないが、
個人的にはアグネス バルツァがそれに当たると考えている。
バルツァのキャリアはロッシーニのアルジェのイタリア女と
ヴェルディのドン カルロや、ビゼーのカルメンのような作品を平行してこなし、
ドイツ物もバラの騎士やモーツァルト作品をやっていた、
2000年には、本来スーブレットソプラノが歌うデスピーナまで歌っている。
これだけを見ても特殊であることがわかるだろう。

彼女は1968年にフィガロの結婚のケルビーノ役でデビューしており、
デビュー役そのものは別に特別でも何でもないのだが、声が特殊と言わざるを得ない。

 

こちらは1970年の演奏

1970年(26歳)
ロッシーニ セビリャの理髪師 Una voce poco fa(今の歌声は)

とても26歳の歌声には聴こえない。
イタリア語の発音にやや癖があり、それでもレガートはしっかりできている。
高音はちょっと喉にかかる感じがするが、それでも低音~高音まで安定していると言えるレベル。
低音もよく響くが、決して胸に落として押しつぶした音ではない。
すでに声としはロッシーニを歌うには強過ぎる感じがする。

 

1977年(33歳)
ベッリーニ カプレッティ家とモンテッキ家 からの一部抜粋

時々アタックの時に声が喉に引っかかるのが気になるのだが、
だからと言って常にパワーで押してる訳でもなく、響きの高さはある。
声量はあるのだから、もっと弱音で歌うようにすれば良い演奏になりそうだが。

 

1980年(36歳)
モーツァルト フィガロの結婚 Non so piu cosa fa(自分で自分がわからない)

高音がまるでソプラノのよう。
響きが深い訳ではないが、高音は自然に抜けていく感じで、ピアノの表現が見事。
この人の声の特徴は、メゾ特有の中音域の響きだ。
一般的に頭声と胸声の境目あたりの音で。
この音を人工的に作ると絶対に失敗するのでメゾを歌う歌手達はこの中低音の出し方には神経を使っていると聞く。
私は男なのであまりわからないが、カウンターテノールでも、
低音域で実声と完全なファルセットの中間を上手く混ぜられるかどうかは重要な技術なので、
それに近いものと推測している。
そこにあってバルツァは生まれ持って強い響きを持っているのだろう。

 

 

1984年(40歳)
ビゼー カルメン フィナーレの重唱 C’est toi?-C’est moi(あんたね?俺だ)
テノール プラシド ドミンゴ

どうしてもドミンゴの人工的なティンブロ(鋭いテノール独特の響き)が個人的には耳につくのだが、
バルツァが圧倒的に上手くて、演奏会形式でよくここまで感情が乗るものだと感心する。
やはり彼女の声はカルメンに合っている。

 

 

1987年(43歳)
マスカーニ カヴァレリア・ルスティカーナ Voi lo sapete(ママも知る通り)

この人は変なポルタメントやずり上げをしないが、
アタックが時々強すぎて破綻する。
ただし、響くポジションは音域、強弱が変わっても絶対ブレず、不自然なヴィブラートにもならない。
だからこそピアニッシモの表現もできる。

 

1990年(46歳)
カルメンフィナーレ
テノール ホセ カレーラス

中音域のフォルテで声がやや揺れるが、高音の抜けはまだまだ衰えていない。
中低音の響きと頭声の響きで段差ができはいるんだけど、それが不自然な感じに聴こえないのが不思議。
世間一般ではこの辺りがバルツァの全盛期と言われている。

 

 

1997年(53歳)
ロッシーニ アルジェのイタリア女 Cruda sorte(酷い運命よ)のオケ合わせ

若い頃は、高音のアタックで崩れたり、必要以上に強い声を出して揺れたりしていたのが、
この演奏では見られない。
本番ではないのもあるのかもしれないが、ロッシーニを歌うならこういう感じが適切な気がする。

 

 

2000年(56歳)
同上の曲を本番で歌った映像

 

同年のモーツァルト コジ ファン トゥッテのデスピーナ

声はかなり崩れてきているように聴こえるが、アジリタは決めるし、上手さでカバーしてる感じだ。
アルジェは”e”母音が特に横に開いてきてしまって気になるし、最後の音はちょっとキツそう。
逆にデスピーナ。
なぜこの役をやったのかが謎なのだが、若手歌手が軽く歌うイメージが強い役だけに、
この歌い回しの巧みさ、テンポを揺らさずに言葉でドラマを表現するということに関しては見事と言える。
普通ならこんな声のデスピーナは聴いていられない。

 

2005年(61歳)
ヴェルディ アイーダ 4幕冒頭~ラダメスとの二重唱
ラダメス プラシド ドミンゴ

バルツァという歌手はやはりとても頭が良いのだろう。
アルジェを歌っていた時より、アムネリスの方が低音の出し方を丁寧に、軽くだしている。
60を過ぎてアムネリスという難役をここまで歌えるとは驚きだ。
時々声が割れるが、それは若いころからそうだった。
高音も申し分ない。
それにしても、ドミンゴは全くレガートで歌えないという・・・これをヴェルディテノールなどと言ってはいけない。

 

2002年(68歳)
Rシュトラウス エレクトラ

68歳でこういう役をやってることに驚くが、
声そのものが若い頃から殆ど変わってない。
しかも高音も抜けてるし揺れないし、
この人の楽器は理解不能だ。
レオ・ヌッチのように限定的な役を歌い続けて、自分の声に合う作品に絞って歌ってきたならまだわかるが、
この人は、全盛期にカルメンをやって、50歳を過ぎてからアルジェを歌い、
60歳を過ぎてアムネリスやクリュテムネストラである。
これを常軌を逸していると言わずして何と言えば良いのだろうか!?

 

 

以上で聴いてきたように、
バルツァは世間一般のメゾソプラノという範疇の外にいると考えているので、
アグネス・バルツァという歌手の声種は何かと聞かれたら、
私はバルツァという特殊な声種に分類すべきだと主張する(笑)

それにしても、こんな声の生徒がいたら先生はどう教えるべきなのだろうか?
伝説的なドラマティックソプラノのブリギット ニルソンは自伝の中で、音楽大学で教師に声を壊されそうになった
と語っていて、先生の元を離れることで軌道修正できたことを書いていた。
常人外れた楽器を持って生まれた歌手は、その分周りから声について正しく理解を得ることが難しい。
よってバルツァの発声が良いか悪いかを論じることには意味がなく、特殊な楽器を持って生まれた人は、
それに合った歌い方を身に付けられるかどうか。理解者を得られるかどうかが大事なのだ。
それはチェチーリア バルトリという稀有なロッシーニメゾが、
母親という最高の理解者の元であの歌い方を身に着けたようにである。

 

CD

ウィーン国立の来日公演の映像で名盤と名高いのだが、
実はNHKが大失態を犯し、同時に行われたナクソス島のアリアドネを映像に収録にしていなかったのだそうだ。
ベーム自身が、その時の演奏を自画自賛していたのだと言うから、NHKの罪は重い。
その時の公演キャスト詳細はコチラ

 

 

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