伝説のサロメ歌いLjuba Welitsch

 いとうまゆのベビーサイン(テキスト+DVD)

 

Ljuba Welitsch (リューバ ヴェリッチュ)1913-1996はブルガリア生のソプラノ

伝説的なサロメ歌いとしてその名が知られているソプラノ歌手で、声の衰えが速く、
歌えたキャリアは短かかったと言われているが、残された録音からは現代の歌手にはない表現力を聞き取ることができる。

 

 

 

Rシュトラウス サロメ フィナーレ

録音でも背筋がゾクゾクするような演奏。
これが本当のドラマである。
流石は、評論で「エロティック」と書かれたことのある表現は他者の追随を許さない。

この人以外にはできない演奏であるが、
それは圧倒的な声だけによって成されている訳ではないのが誰にでもわかるだろう。

技術のための技術ではなく、
セリフを広い舞台の最後列まで届けるためのレガートであり、
ピアニッシモは狂気を増幅させる機能として大いに効果を発揮している。

ヴェリッチュの発声は、
あまり大きな共鳴空間を作らず、尚且つ全て発音を前でさばいている。
それによって硬質ではあるが非常に解像度の高い発音を可能にしている。

伝説のトゥーランドット歌いと言われるジーナ チーニャと同じ曲で発声を聴き比べて頂くと
ドイツ語を発音するのに適した空間と発音のポイント、
イタリア語を発音するのに適した空間や母音の深さの違いが見えてくる。

 

 

 

ヴェルディ 仮面舞踏会 Ma dall’arido stelo divulsa
リューバ ヴェリッチュ

 

 

 

ジーナ チーニャ

ヴェリッチュの歌唱を聴いて、
「上手いかもしれないけどイタリアオペラっぽくないな」と感じたり
「響きが浅いな」と一蹴したくなる方もいるかもしれないが、
ヴェリッチュは発音以上にイタリア語を歌うのに適した空間が確保できていないのと、
発音のポイントが前過ぎるのが問題である。
一方のチーニャは必要最低限の発音のみで、可能な限り空間を狭くしないことに徹した歌い方
要するに、子音をほぼ発音せず、極力母音だけを繋げる歌い方だ。
ただヴェリッチュの演奏は、そのような問題を排しても表現面では特筆すべきものがある。

 

 


 

 

 

シューベルト Gretchen am Spinnrade

ヴェルディでは浅く感じる発声もリートを歌うとこの通り。
シューベルトの中でも「糸を紡ぐグレートヒェン」は録音の多い曲でもあるが、
リートの名手と呼ばれた人でも、この人の演奏には中々敵わない

 

 

バーバラ ボニー

 

 

エリザベート シュヴァルツコップ

表現にはそれぞれ好みがあるので、誰の解釈が優れているという比較をするつもりはないが、
声と曲の緊張感が一番合っているのはヴェリッチュであろう。

 

 

 

ブラームス Von ewiger Liebe

こちらも非常に魅力的な演奏

高音では喉に多少負荷がかかっている感じはあるが、
ソプラノよりはメゾが歌うイメージが強いブラームスの音楽と、
ヴェリッチュの表現は他の演奏にはない独特な魅力がある。

 

 

メゾが歌うとこういう感じ
ブリギッテ ファスベンダー

 

らしさが出る表現として取り上げると

<後半の歌詞>

ヴェリッチュの演奏では(2:30~)
ファスベンダーの演奏(2:25~)

Spricht das Mägdelein,Mägdelein spricht:
“Unsere Liebe sie trennet sich nicht!
Fest ist der Stahl und das Eisen gar sehr,
Unsere Liebe ist fester noch mehr.

Eisen und Stahl,man schmiedet sie um,
Unsere Liebe,wer wandelt sie um?
Eisen und Stahl,sie können zergehn,
Unsere Liebe muß ewig bestehn!”

 

<日本語訳>

娘は言った。

「私達の愛は離れ離れになったりしない
鋼や鉄はとても硬いけど、
私達の愛はもっと硬いわ」

「鉄と鋼 これらは人の手で鍛えられるけど
私達の愛は誰が変えられるの?
鉄と鋼 これらは溶かすことが出来るけど
私達の愛は永遠に存在し続けるに違いないわ」

 

こういう部分は、ソプラノが歌うとシュトラウス的に聴こえてしまう。
とは言え、どう考えても若さが必要な歌詞なので、
多くのメゾが音域的にも高いこともあって絶叫になってしまうことがあり、
とても娘とは思えない表現を沢山聞いてきた耳には、ヴェリッチュの演奏は共感をもたらす。

勿論ソプラノでもジェシー ノーマンの演奏なんて聴いても
歌詞とはリンクしない訳ですね

 

 

ヴェリッチュの声がサロメにピッタリハマったのは、
16歳の娘役でありながらドラマティックソプラノの声を要求される。
という異常な設定に合致したからだ。
つまり、強くて硬質な声でありながら、良い意味でも悪い意味でも娘らしい若さ
極端に言えば響きの浅さがあったからではなかろうか。
こういう癖の強い歌手は好き嫌いが分かれるところではあるが、
表現者として無個性ほどつまらないものはない。
と考えてしまう私にとっては魅力を感じる歌手である。

 

 

 

CD

 

 

激安だったので、私自身がパチってしまった(笑)
この人のリートは本当に魅力的だ。
ここまでリートと全く同じようにオペラを歌う歌手も珍しい。

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