新旧歌唱比較シリーズVol.3【テノール(ネモリーノ歌い)編】

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新旧歌唱比較シリーズの3回目はテノールです。
今回ドニゼッティのオペラ、愛の妙薬のネモリーノ編、
さらに絞って言えば有名アリア「una furtiva lagrima」比較。

なぜかと言えば、ネモリーノ役そのものはレッジェーロ~リリコレッジェーロの声質で歌われるのが適当
というのが一般的な感覚だが、このアリアは声質に関係なく歌えなければいけないアリアなのである。
ドラマティック、更にはヘルデンテノールであろうと歌えることが好ましいアリアで、
その他には、モーツァルトのドン・ジョヴァンニのオッターヴィオのアリアや、魔笛のタミーノのアリアは、
軽い声だから歌う役ではなく、
強い声、多少重い声でも歌唱技術が優れていれば素晴らしい演奏が出来る役である。

では早速新旧の歌手で優れた演奏を比較してみよう。

 

 

イタリア人テノール

 

 

 

Enrico Caruso (エンリコ カルーソー)1873年~1921年

近代テノールの父的存在
オペラ史にその名を刻んだ、録音が残っている歌手として最も偉大な人
ネモリーノ役はカルーソーの当たり役であるが、カルーソーの声がレッジェーロかと言えば違う。

 

 

Tito Schipa (ティート スキーパ)1989年~1965年

一応戦前の軽い声のテノールとして知名度が高いのがこの人だが、
個人的にはそこまで優れた歌手という認識はない。

 

 

 

Giuseppe Di Stefano (ジュゼッペ ディ・ステファノ)1921年~2008年

ステファノ23歳の時の演奏。
ある程度歳を重ねてからの美声の垂れ流し状態の彼の演奏しか聴いたことない人には別人に聴こえるかもしれないが、
ステファノが本当に優れていたのは20代前半である。
因みに、これが14年後にはこうなる

 

 

ステファノ37歳の演奏

こうなってしまってはベルカントも何もあったものではない。
良い声かもしれないが、少なくても”美しい歌”ではない。
このように、このアリアを美しく歌う為には高い技術が必要で、
ただ声が良いだけ、または声質が合っているだけでは歌として成立しないのである。
逆に、声質がそこまで合っていなくても、技術があれば上手く歌うことができる。
そういうアリアとも言える。

 

 

 

Ferruccio Tagliavini (フェルッチョ タリアヴィーニ)1913年~1995年

古くからのオペラファンにとって最も理想的なネモリーノはタリアヴィーニ
という人は多いかもしれない。
それくらい洗練された技術と柔軟な表現を兼ね備えている。
だがそこまで軽い声かと言うと実際はそうとも言えない。
過去にも書いたかもしれないが、実際に歌っている回数は、
ネモリーノよりカヴァラドッシの方が多いと言われていることがそれを証明している。

 

 

Cesare Valletti (チェーザレ ヴァッレッティ)1922年~2000年

個人的に軽い声のイタリア人テノールでは特に好きな人である。
ヴァッレッティについては過去に称賛する記事を書いたので、
お読みでない方はそちらも参照頂ければと思う。

 

 

◆関連記事

ドイツリートも歌った黄金時代のイタリア人テノールCesare Valletti

 

 

 

 

Carlo Bergonzi (カルロ ベルゴンツィ)1924年~2014年

戦後を代表するヴェルディテノールであるベルゴンツィだが、
決して硬さはなく、強い声ながら違和感を感じさせない演奏である。
ヴェルディの比較的重い役を主戦場とするテノールであろうと、技術があれば歌える。というのがコレである。

 

 

 

Franco Bonisolli(フランコ ボニゾッリ)1938年~2003年

一部のオペラファンには、典型的なテノール馬鹿として忌み嫌われていたボニゾッリだが、
彼は元々ロッシーニテノールであり、
ただトロヴァトーレのカバレッタでハイCを伸ばすことだけしか脳がなかった訳ではない。
彼の声はしっかりした発声技術に基づいて構築されていたことがこの演奏でわかるハズだ。
ただ、残念なことに音楽性、というか感性がちょっと残念だった。ただそれだけなのだ。
発声技術という部分だけで見れば優れたテノールであったことは疑う余地がない。
それと同時に、ボニゾッリのような歌手でも、
una furtiva lagrima というアリアはしっかり歌えるということも忘れてはならない。

 

 

 

William Matteuzzi(ウィリアム マッテウッツィ)1957年~

超高音を得意としたイタリア人最高のロッシーニテノールと言って良いマッテウッツィだが、
このアリアに限って言えば、美しくはあるが味気ない。
本当に軽い声で歌われるとこうなる。
さて、これまでのもっと強い声で歌われた演奏と、声質、技術ともに申し分ないマッテウッツィ、
どちらが良い演奏なのか?
それは人によって判断基準が違うにしても、この演奏が他より圧倒的に優れている。と考える人は少ないだろう。
このことからも、ネモリーノという役が、ただ単純に軽い声で歌われるべき役。
などと考えることがそもそも間違えであるとがわかるのではないだろうか?

 

 

 

Giuseppe Filianoti (ジュゼッペ フィリアノーティ)1974年~

ほぼテンポを揺らさず、極端なピアニッシモも使わない。
それでもこのアリアの演奏としては成立するところが面白い。
このことからも、声の強さやディナーミク以上に、
言葉とレガートこそが歌を歌たらしめるのには重要であることがわかる。

 

 


 

 

イタリア人以外のテノール

 

 

Nicolai Gedda (ニコライ ゲッダ)1925年~2017年

驚異的な発声技術と言語能力という、歌手で言えば二刀流の使い手だったゲッダ
当然このアリアも得意にしており、実際はパヴァロッティより全然優れた演奏をしていたのではないかと思う。

 

 

Alain Vanzo(アラン ヴァンツォ)1928年~2002年

ゲッダに劣らないファルセットーネ(実声とファルセットの中間の響き)の美しさと安定感で
非常に高い発声技術を持っていたヴァンツォ。
フランス物を中心に歌っていた歌手とは言え、
こういうパッサージョ付近の音(E~Gis)を変幻自在にコントロールする能力ならば右に出る者はいないかもしれない。

 

 

 

Peter Seiffert (ペーター ザイフェルト)1954年~

現在最高のヘルデンテノールであるザイフェルトだが、
実は、ワーグナーとは対局にあるように見えるネモリーノのアリアも素晴らしい演奏を聴かせている。
ヘルデンテノールは声量が命だと思っている人にこそ、この事実を知って欲しい。
ワーグナーの作品であろうと、正しい発声で歌われてこそ輝くということを。
ザイフェルトについては常々褒めちぎっているので過去記事をまだお読みでないかたは是非

 

◆関連記事

異次元のヘルデンテノールPeter Seiffert

東京の春音楽祭 The 15th Anniversary Gala Concert(評論)

 

 

 

Dmitry Korchak (ディミトリー コルチャック)1979年~

現代トップクラスのリリックテノール
当然ネモリーノも得意な役の一つである。

 

 

それにしても、こうやって色々な歌手を聴くと、
タリアヴィーニの声が決して軽くなかったことが実感できると思う。
パッサージョ~高音のピアノの表現というのは、軽い声である程ファルセットと実声の差がなくなる。
楽器そのものが小さいので、そもそも純粋なファルセットという概念がなく、実声とファルセットはほぼ同化している。
よって、パッサージョで深みのあるピアノの表現をするためには、それなりに楽器の大きさが必要なのである。
だからこそ、超高音を駆使せず、パッサージョ付近を柔軟に歌うことが求められるuna furtiva lagrima というアリアは、
様々な声質の歌手によって全く味わいの違った演奏になり、
ただ高音が得意なだけでは味気ない演奏しかできないという側面を持っている一筋縄ではいかない曲なのである。
だからこそ、この役を演じないとしても、
アリアだけはパッサージョの訓練のために勉強しておくことが好ましいとされるのも利に叶っていると言えるだろう。

こうして新旧歌手を比較してこのアリアを聴いてみると、現代の方がより軽い歌手ばかりが歌うようになった印象を受ける。
その中でフィリアノーティは現在この役を歌っている歌手としては強い声だが、それほど違和感はないと思う。

あえてここに取り上げなかったパヴァロッティについてだが、
現代のネモリーノ像はパヴァロッティに由来する部分が大きい。
だが、過去の演奏を聴けばわかる通り、
ネモリーノは三枚目の能天気な役という解釈だけが全てではない。
もっと幅広い声を包容できる役であることを、むしろ演出家が理解していないと考えることもできるかもしれない。
今後どのようにこのアリアが演奏されていくのか、時代に合わせて流動的に変化する様式感にも注目してみてほしい。

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