東京の春音楽祭 The 15th Anniversary Gala Concert(評論)

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The 15th Anniversary Gala Concert(評論)

 

■日時・会場

2019/4/12 [金] 18:30開演(17:30 開場)

 

■出演

指揮:フィリップ・オーギャン
ソプラノ:ミーガン・ミラー
メゾ・ソプラノ:エリーザベト・クールマン
テノール:ペーター・ザイフェルト
バリトン:ジョン・ルンドグレン
バス:イェンス=エリック・オースボー

 

 

■曲目

チャイコフスキー:
歌劇 《エフゲニー・オネーギン》 第3幕 より ポロネーズ
歌劇 《エフゲニー・オネーギン》 第3幕 より グレーミンのアリア「恋は年齢を問わぬもの」
ハイドン:《天地創造》 第2部 より 第22曲 今や天はこの上なく輝き
R.シュトラウス:歌劇 《エレクトラ》 より 「ひとりだ!なんと悲しいこと」
ワーグナー:舞台祝祭劇『ニーベルングの指環』第 3 日《神々の黄昏》 第 1 幕 より 「私の言うことをよく聞いてください!」
ヴェルディ:歌劇 《オテロ》 第2幕 より
オテロとイアーゴの二重唱 「神にかけて誓う」
ワーグナー:
楽劇 《ニュルンベルクのマイスタージンガー》 第1幕への前奏曲
歌劇 《さまよえるオランダ人》 第 2 幕 より ダーラントのアリア「我が子よ、いらっしゃいをお言い」
歌劇 《タンホイザー》 第2幕 より 歌の殿堂のアリア「おごそかなこの広間よ」
歌劇 《ローエングリン》 第3幕 より グラール語り「はるかな国に」
舞台神聖祝典劇 《パルジファル》 第3幕 より
「その通り!ああ!哀しくもつらいこの身」
舞台祝祭劇『ニーベルングの指環』第 1 日《ワルキューレ》 第 2 幕 より
「それならば、永遠の神々はもうお仕舞なのですか」
舞台祝祭劇『ニーベルングの指環』第1日《ワルキューレ》 第1幕 より
「寝ているのですか?客人よ」~「ジークムント、ヴェルゼの子よ!」

 

 

今回は東京の春音楽祭のガラ・コンサートについて書いていくが、
本来来日予定だったアイン・アンガーが来日できなくなり、
代りにイェンス=エリック・オースボーが出演した。
この歌手についてはノルウェーを中心に活躍しているようだが、
そこらの有名バス歌手よりよっぽど美しい声のバスであった。
それでは、歌手一人一人について詳しい評論を書いていこう。

 

 

 

≪キャスト別評論≫

 

◆ソプラノ
ミーガン・ミラー(Meagan Miller )

この人は新国の死の都で聴いて以来だが、
ちょっとその時とは感想が異なる。
オペラ全曲とガラ・コンサートでは色々違いがあるのだろうが、
エレクトラは少なくとも声に合っていなかった。

中低音は殆どオケにかき消されて聴こえず、
高音はそれなりに抜けるので飛んでくる感じはあったが、
言葉が飛んでくるというよりは声で歌っている。
参考までに

 

 

Rシュトラウス ナクソス島のアリアドネ Es gibt ein Reich

この映像だと、中低音が飛ばないというのがあまり伝わらないと思うが、
発音が全体的に奥で、特に”i”母音が全部”e”と”i”の中間みたいな中途半端な音になっている。
特に高音ではそれが顕著で、全体の母音の響きが不明瞭である。
それは要するに喋れていないように聴こえるために、ジークリンデではセリフも歌も区別がつかない。
恐らく本来はもっと軽い声なのだろうが、無理やり太くしているようで、その分ピントがボケて響きが落ちている。
女声では、本日他に出ていたのがクールマンということもあって、
発音に関する響きのポイントの違いが如実に表れてしまったということもあるのだろうが、
それでも口の中~鼻腔にかけてだけで響きを作り過ぎている感は否めない。
言葉では伝わり難いと思うので、今年の9月に来日予定のピエチョンカと比較して頂きたい。

 

 

アドリアンヌ ピエチョンカ

出だしの「Es gibt ein Reich」の響きだけを聴いてもその違いは明らかだ。
この高さ、軽さがミラーには足りない。
余談だが、打ち合わせでミスったのか、
タンホイザーのアリアを歌う時、ミラーは前奏をフルで演奏すると思っていたらしく、
一瞬の沈黙の後に「Dich teure Halle」と歌い始めたのにはちょっとドキっとした。
あれは絶対事故だったと思うんだが、わざとってことはないよなぁ。

 

 

 

◆メゾ・ソプラノ
エリーザベト・クールマン(Elisabeth Kulman)

ドイツ語はこういう直線的で、無駄なヴィブラートのない響きで歌われてこそ言葉がしっかり出てくる。
語頭の子音の処理は相変わらず見事なのだが、何と言っても”u”母音の響きは凄いの一言。
本来”u”母音は、”i”、”e”、”a”、”o”、”u”の中で最も深く暗い響きになるのだが、
クールマンの場合は、”i”母音の明るさを持ったまま、深さは失わずに”u”母音を発音できているのである。
これができることによって、発音や音程に左右されずに、
響きのポイントを一番明るく場所に維持することができるのである。
参考映像

 

 

 

シューベルト Ave Maria

クールマンの歌を聴いて、
広いホールの後ろまでハッキリ聴こえる、凄い声量の歌手だ!
と思う人がいるかもしれないが、これは声量ではなく、共鳴である。
元はソプラノだった彼女の低音が、なぜしっかり聴こえるのか?
元々デカい声だったから?
低音が鳴る楽器を持ってるから?
否、一番明るく高い響きで全ての発音を処理できているからである。
だからピアニッシモでも緊張感を失うことなく遠くまで飛ぶのだ。
ただし、クールマンの歌唱はドイツ語を歌うことに特化した歌唱と言える部分があり、
響きが鋭過ぎて全てカッチリ聴こえてしまうのは、イタリア語のものを歌う時などは向いていない。
柔らかさとか暖かさという面で見ると、そういう表現が必要な時には全てか明瞭なだけでなく、
時にはボカした響きも欲しいと思う時はあるのだが、それでも華やかなアリアを歌わずとも、
聴衆を惹きつける歌い回しの巧みさには批判の余地がない。

 

 

 

 

 

◆テノール
ペーター・ザイフェルト(Peter Seiffert)

なぜオテッロ?
というのはあったが、今回はザイフェルトのローエングリン「In fernem Land」
を聴くのが目的だったと言っても過言ではない。
イタリア物も無難に歌える歌手なのは知っていたが、それでもオテッロに必要なのは声の強さと同時に
声の太さである。
ザイフェルトは強い声だが軽い声なので、オテッロを歌うには中低音が鳴らなさすぎる。
とは言え、65歳近くでこれだけ歌えれば文句はない。
年を取ると低音が鳴らなくなってくるという話も聞いたことがあるので、
オテッロはオマケだと考えても良いのかもしれない。

 

 

ヴェルディ オテッロ 二重唱
バス・バリトン fランツ グルンドヘーバー

ワーグナー歌いのオテッロはこんな感じで、やっぱりイタリア語の暑苦しさが足りない(笑)

そしてローエングリンだが、
これは一言で言って現在最高の演奏。
ちょっと”e”母音が横に広過ぎるかな?と思う部分もあったが、
全く声が揺れることもなく、”i”母音の圧倒的な響きの強さと輝きは圧巻。
曲の最後の歌詞
「sein Ritter ich  bin Lohengrin genannt」
RtterのAの音なんかは、普通”re”に寄せた発音をする人も結構いる位で、
普通に”i”で歌ったのでは喉声に近い音になってしまうために、深さを付けた結果として、
開口ぎみになってしまう、いわば自然の摂理に近いところがある。
だがザイフェルトは、完全な”i”母音で、しかも完璧な響きで高音を出すことができる。
恐らく、顎関節~上唇に掛けてだけを響かせている。
もっと極端に言えば、上の歯を響きのコアとして歌っていることはほぼ間違えないのだが、
これだけ完璧な発声技術を持った歌手は古今を見てもそうはいない。
だからこそ、この歳でも最高のヘルデンテノールでいられるのだろう。
どう見ても3大テノールなんぞよりよっぽど偉大な歌手だ。
この人、どう考えても歴史に残るようなとんでもない名歌手なのだが、
こんな人が来ても空席があるって、本当に勿体ない。
ジークムントでは、「’Winterstürme wichen dem Wonnemond’」を全く力むことなくリートのように語り、
最後の「Siegmund heiß」ではノートゥングを抜くポーズまでしてしまうほどノリノリで、
非の打ちどころのない演奏。
この人の音楽にはフォークトとカウフマンとグールドが束になっても敵いません。

 

 

◆バリトン
ジョン・ルンドグレン

イヤーゴの表現は中々よかったのだが、
やっぱりレガートで歌えないのは気になってしまう。
ピアノの表現の時に声を引いてしまうと言うか、どうしても抜いた表現をする。
わざとちょっと息もれをさせたような感じの表現と言えば良いのか、
ただ、この歌い方は実は声帯に負荷を掛けると言われていて、
しっかり声帯がくっついた上でピアノの表現をしないといけない。
まぁ、他の曲で息もれさせたような声は出していなかったので、
イヤーゴの演技としてやっていたのかもしれないが・・・。

得意のワーグナー作品に関しては、グリムスレイほどの声はなく、
シリンスほど性格的表現に秀でた訳でもなく、
歌い回しや音色も点で音を当てている感じで、フレーズとして聴こえず、
どこかくぐもった声に感じてしまう。
別にそこまで悪い歌手ではないのだが、歌の上手さも声の良さも突出したものはない。
という意味で、今回の演奏会では目立たなかった印象である。

 

 

 

 

◆バス
イェンス=エリック・オースボー (Jens Erik Austbø)

この人は掘り出し物かもしれない。
バスとは言っても太くて重い声ではなく、リリックで軽い、
それでいて非常によく声が飛ぶ。
ヘルマン プライのような声で非常に魅力的だ。
パワーはルンドグレンに全く及ばないはずだが、この人の方が声が飛んできた。
ただ、残念だったのは、言葉のスピード感が全くなく、
良い声で正確なソルフェージュをしているような歌に聴こえてしまうことがあったこと。
特に、最初のエフゲニー・オネーギンのアリアは楽譜を持っての歌唱だったこともあり、
余計にそのような印象があった。
オランダ人はまだ表現がついたとはいっても、どうもドイツ語の持つ言葉のリズム感が全くなく、
一つ一つの音を丁寧に歌っている以上の演奏ではなかった。
端正で癖のない演奏と言えば聞こえは良いが、3分で飽きてしまう演奏とも言える。
ただ、これから伸びてくる歌手だと思うので、今後どのようになっていくのかは楽しみだ。

 

 

総評

 

プログラムの意図が今ひとつわからなかったのが個人的にちょっと残念。
チャイコフスキーとヴェルディと突然ハイドンのオラトリオが入ってきたのはなぜか?
マイスタージンガーの前奏曲が二部の頭なのはなぜか?
これだけ歌手集めたなら、二重唱を何組か入れるだけでなく、
影のない女のフィナーレみたいなのをやってほしかったな~。など思うところはあった。

歌手陣については上記に書いた通り、クールマンとザイフェルトが飛び抜けており、
二人とも言葉によって柔軟な表現ができるという部分で他の歌手とは違う次元にいる。
声が良いとか、大きいとかだけでは絶対にこのレベルには到達できない。
これだけのキャストが集まったにも関わらずポツポツ空席があったのはちょっと信じられなかったガ・・・。

総じて言えば、私の目的はザイフェルトのローエングリンだったので、
その演奏に満足しているというだけで今回の演奏会は行った価値があった。
そして、改めて広いホールで良い歌を歌うためには、前に響きが集まることが重要であることを再確認できた。

 

 

 

お願い

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