Jennie Tourel (ジェニー トゥーレル)1900年~1973年、ロシア(現在のベラルーシ)生まれで後に米国へ亡命した
メゾソプラノ歌手。
現在のロッシーニメゾの概念は間違っているのかもしれない。
この人の歌を聴いた時、私はふいにそう思ってしまった。
と言うのは、ロッシーニやそれに準じた技巧を駆使する作品の演奏を生業としているメゾの多くが、
非常に癖の強い発声で歌っていることが多いのに対して、トゥーレルの歌唱は至ってシンプルなのである。
もしかしたら、本来のロッシーニ演奏はこうあるべきなのではなかろうか?と考えてしまった。
それでは早速比較してみよう
一声聴いて、ソプラノじゃないか?
と思ってしまう明るく軽い響き。
それでいて低音はしっかりとしたメゾの響きで、言葉は発音にやや癖があるにせよ明瞭だ。
チェチーリア バルトリ
ユリア レージネヴァ
超絶技巧の申し子的存在のバルトリ、現在バルトリの後を継ぐように活躍しているレージネヴァ
技巧に於いては申し分ないしディナーミクも完璧にできているのだが、
声の広がりという部分には欠ける。
どうしても技巧に秀でた歌手は声や表現のスケール感が小さくなってしまう傾向がある。
この二人の声に比べてトゥーレルの声はソプラノのように明るく高い響きで伸びやかでありながら、
低音も自然な声のまましっかり鳴っている。
では、もっとリリックなシュターデとの比較ではどうか
フレデリカ フォン シュターデ
ハッキリ言ってトゥーレルの比較にならない。
シュターデは声が浮いてしまって上半身しか鳴っていない声である。
なので、高音と低音で全く質の違う声になってしまっており、響きも貧相。
明るい声のようでも響きは全く上がっておらず全て落ちている。
如何にトゥーレルの歌唱が自然に聴こえて、多くの歌手が実現できないかがわかるだろうか。
イタリア古典歌曲の1巻に収められた有名な曲
声楽初学者の、主にソプラノが歌うことが多い曲だが、
50歳のメゾソプラノがこれだけ可憐に歌えるのだから本当に驚く。
愛らしさの中に芯の強さがあって、こんな曲だったっけ?
と思ってしまう。
ペルゴレージと言えば、「奥様女中」でオペラブッファの土台を築きながら
26歳の若さで亡くなった作曲家、
オペラ史上では重要人物で、人によってはモーツァルトよりオペラブッファにとっては重要な人物だ。
と主張する人もいるほど。
この曲を聴いても、
単純な順次進行、
同じ音で喋ることを要求する部分
声を聴かせるために用意された大きな跳躍の繰り返し
といった感じで声楽的に必要な技術が満載されていて、高校生でこんな難しい曲歌ってたのか。
と今にして思えばちょっとビックリしてしまう。
完璧な声のコントロールを聴くことができる。
メゾソプラノだから太い声じゃないといけない。とか暗い響きじゃないといけない。
などということは全くないのだが、
ソプラノとは違う声を出さないといけないという呪縛のようなものが存在するのだろうか?
別にメゾソプラノとソプラノの中間の声が存在したって良い訳で、
実際にそういう歌手はいるのだ。
トゥーレルの歌を聴いていると、
現在のメゾソプラノ歌手の多くが、メゾらしい声を無理やり出そうとしているように聴こえてしまう。
しかし、そのような行為がいかに不自然な声であり、スケールの大きな表現を阻害しているか、
この人の歌を聴けばよくわかるはずだ。
こういう話をすると、どうしても私は芸大の受験が一つの大きな害悪であると断じずにはいられなくて
なぜなら、ソプラノの倍率よりアルトの方が低い。という理由で
本来ソプラノの声にも関わらずアルトで受験する人がいて、仮に受かって入学してしまうと、
学部内ではソプラノのように歌うこと、あるいはソプラノへ転向することは、
受験対策だと白い目で見られてしまうこともある訳で、
このパートごとの定員という制度が与える悪影響はかなり大きなものがあると私は考えている。
トゥーレルの歌唱を
ソプラノとしてだったら上手いけど、メゾだったら、そもそもメゾの声に聴こえないから下手。
などと言う人はいない訳で、そんな常識が日本最高の音楽大学の受験では受け入れられないのである。
いつまでもこんなことをしてて良いのだろうか・・・。
ソプラノみたい。
と言っても、マーラーを歌えばこの通り。
深く慈愛に満ちた音色で、出だしからため息しか出ない素晴らしさである。
日本のお偉い先生方にも多くの支持者がいるフェリアーと比較してみよう
キャサリーン フェリアー
亡き子を偲ぶ歌 In diesem Wette
トゥーレルの演奏では(19:20~)
繰り返すが、日本ではフェリアーの演奏は一部の偉い先生方には支持されているのである。
トゥーレルと比較すれば、日本で求められるアルト像がどんなものかよく分かると思う。
これが日本の声楽教育の現実である。
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