歌心とは何たるかを教えてくれるソプラノArleen Augér


Arleen Augér (アーリーン オジェー)1939年~1993年は米国のソプラノ歌手
バロック~モーツァルトの作品で高い評価を受けていた歌手で、大変研究熱心なことでも知られた歌手だが、
決して頭でっかちな音楽ではなく、優れた感性によって表現されたロマン派歌曲でも味わい深い演奏を残している。

 

 

 

Rシューマン・ヴォルフの歌曲
ピアノ アーヴィン ゲージ

 

Robert Schumann:
0:00 Singet nicht in Trauertönen
2:00 Der Nussbaum
5:18 Meine Rose
Hugo Wolf:
9:34 Lied der Mignon (Kennst du das Land?)

 

全て良い演奏なのだが、1曲目が特に伴奏のゲージの表現も相まって名演になっている

 

 

<歌詞>

Singet nicht in Trauertönen
Von der Einsamkeit der Nacht.
Nein,sie ist,o holde Schönen,
Zur Geselligkeit gemacht.

Wie das Weib dem Mann gegeben
Als die schönste Hälfte war,
Ist die Nacht das halbe Leben
Und die schönste Hälfte zwar.

Könnt ihr euch des Tages freuen,
Der nur Freuden unterbricht?
Er ist gut,sich zu zerstreuen;
Zu was anderm taugt er nicht.

Aber wenn in nächt’ger Stunde
Süßer Lampe Dämmrung fließt.
Und vom Mund zum nahen Munde
Scherz und Liebe sich ergießt,

Wenn der rasche lose Knabe,
Der sonst wild und feurig eilt,
Oft bei einer kleinen Gabe
Unter leichten Spielen weilt

Wenn die Nachtigall Verliebten
Liebevoll ein Liedchen singt,
Das Gefangnen und Betrübten
Nur wie Ach und Wehe klingt:

Mit wie leichtem Herzensregen
Horchet ihr der Glocke nicht,
Die mit zwölf bedächtgen Schlägen
Ruh und Sicherheit verspricht.

Darum an dem langen Tage,
Merke dir es,liebe Brust;
Jeder Tag hat seine Plage,
Und die Nacht hat ihre Lust.

 

 

<日本語訳>

悲しい響きで歌ったりしないで
夜に独りじゃ寂しいなんて
ダメよ、夜はね、ステキな美人さんたち
みんなで騒ぐためにあるんだから

女性が男性に最良のパートナーとし
与えられたように
夜は人生の半分であって
とっても素敵なパートナーなの

あなたたちは昼間に楽しくすごせるの
ただ楽しみを邪魔するだけなのに
気晴らしくらいならいいけれど
他のことには向いてないじゃない

けれど夜の時間に
甘く淡いランプのあかりの中
くちびるから近くのくちびるへ
冗談や愛を交わすとき

おちつきのない童子たちは
野性的に、または激しく急いでいて
ちょっとした贈り物のそばで
しばしば、ちょっとした遊びに没頭しているとき

ナイチンゲールが恋人たちに
愛に満ちた歌を歌うとき
囚人たちや悲しみにくれる人に
泣き叫んでいるように響く

雨が打ち付けるような鼓動で
皆鐘の音なんて聴こうとしない
十二時の感慨深い鐘が
憩いと安全を保障してくれる

だから長い昼は
そのことを感じ取るのよ、愛しい胸よ
昼間には昼の苦悩があり
夜には夜の喜びがあるのよ

 

 

オジェーの演奏もさることながら、ゲージのピアノが上手過ぎてため息が出る。
オジェーの声そのものは特別美声だったり、技術や発音が秀でている訳でもないのだが、
実際”u”母音はちょっと浅め、なのだが、詩の世界を表現する能力が圧倒的に優れている。
シューマンのこの作品自体、そこまで歌詞と音楽がリンクしているとは思えないのだが、
それも含めてシューマンの音楽にしっかり合わせた言葉の出し方、音色を使いわけている。
そのことは、後半のヴォルフの演奏を聴けば、口のフォームなども微妙に変えながら、
しっかり響きを調節しているのがわかるはずだ。

 

 

 

 

 

 

 

Rシュトラウス Morgen

こちらもしっかりシュトラウスの音楽の空気感をしっかり捉えた演奏ではあるが、
空気を読みすぎているというか、音楽の感覚とは別に、
実際はもっと子音の出し方を考える必要がある。
このあたりが、あまりロマン派後期を謳わない歌手にとっては難しいところなのかもしれない。

 

 

 

モーツァルト Exultate jubilate

こちらが本職のモーツァルトの宗教曲だが、
現代的な感覚からすると、ただ美しく歌っている以上のものがない演奏に聴こえてしまう。
その原因は、響きがやや奥で、完全には高さが足りていないためにこのようなことになってしまっている。
現代の宗教曲を得意とするソプラノ、クライターと比較すればよくわかる

 

 

ユリア クライター
モーツァルト Quel nocchier che in

オジェーと似たような声質ながら、言葉の明瞭さ、響きの明度が明らかに違うのがわかると思う。
こうして聴けば、最初にオジェーの声について
”特別美声だったり、技術や発音が秀でている訳でもない”
と書いたことが実感して頂けるだろうか?

 

 

 

Rシューマン Widmung

シューベルトの演奏だと、多少上のモーツァルトのような味気無さを感じるのだが、
シューマンの演奏では発声や発音、響きの高さは特に気にならない。
この人は、一般的にはバロック~古典が得意とされているが、
私の見識では、どう聴いてもシューマンのリートの方が優れている。
特に最初に紹介したシューマンの「Singt nicht in Trauertönen」は本当に素晴らしいものである。
以下にダムラウの同曲の演奏も貼っておくので、是非聴き比べて欲しい。

 

ディアーナ ダムラウ

いかにオジェーの歌唱センスとゲージの伴奏が半端ないかがわかると思う。
ダムラウの演奏も、伴奏を弾いているのはリート伴奏の巨匠であるドイッチュなので、
当然ダムラウの伴奏者がゲージに比べて劣っているということはない。

 

今まで、殆どの記事で発音や細かい発声的なことを色々書いてきたが、
歌心というのは結局一番大切で、歌手の感覚や声質、伴奏者との相性など様々な要素が絡み合うことで、
本来は一流とまでは言えない歌手でも、
名歌手を凌ぐ素晴らしい演奏が出来る場合があることを示してくれていると思えてならない。
何を表現したいのか?というのは、歌手として絶対持っていなければならない根源的な歌う理由であり、
それが演奏に出てくる歌手は、例え素晴らしい演奏でなくても聞き手に何かしらは届けることができる。
逆に、技術や声ばかりを追い求めるのならば、何を歌っても同じである。
オジェーのシューマン演奏は、そんな歌うということに於いて大切なことを教えてくれる気がするのは私だけだろうか?

 

 

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