Musiques en fête au théâtre antique d’Orange France 2019 (評論)

Musiques en fête au théâtre antique d’Orange France 2019(評論)

オランジュ古代劇場で行われたガラ・コンサートの評論です。
出演者は以下の通り

 

 

<キャスト>

 

ソプラノ

Armelle Khourdoian

Chloé Chaume

Erminie Blondel,

Fabienne Conrad

Patrizia Ciofi

Sara Blanch Freixes

Valentine Lemercier

 

 

メゾソプラノ

Béatrice Uria-Monzon

 

テノール

Amélie Robins

Florian Cafiero

Florian Laconi

Kévin Amiel

Thomas Bettinger

 

バリトン

Jérôme Boutillier

Marc Scoffoni

 

バス

Thomas Dear

 

メインはRoberto Alagna のようですが、個人的にはあまり興味なかったりします・・・。
と思って聴いてみたら、意外と良かったので驚きました。
かなり声の状態が良いのでしょうか?
道化師なんかを歌っていますが、変に重く歌っておらず、しっかり良いポジションにハマっているので、確かに役に合っている声とは言えませんが、カウフマンよりよっぽど良い演奏しています。

プログラムなどの詳細はコチラを参照ください。

 

<評論>

 

Erminie Blondel
ヴェルディ 椿姫 Sempre libera (10:10~)

響き、技巧とも安定していて良いソプラノなのですが、
発音に関してはあまり褒められたものではありません。
もっと分かり易い曲で聴いてみましょう。

 

 

モーツァルト 魔笛 Ach, ich fühl’s

入りの「ich fühl’s 」の口のフォームで問題は明確になりました。

 

Erminie Blondelのフォーム

 

「i」の発音

 

 

「ü」の発音

 

 

Kiri te Kanawa のフォーム

 

「i」の発音

 

 

「ü」の発音

 

問題はなんといっても「ü」の口ですね。
単純にドイツ語の発音に問題があると言うより、
「u」と「o」以外の母音が全体的に横に開き過ぎて、
全く唇が使えていません。
因みに、「ich」の「i」も短母音なので、普通の「i」より深めにしないといけないので、横になるのはダメなのです。
それに比べて、ドイツ人でなくてもテ・カナワは流石ですね。
唇の前で言葉をさばくことの重要性は、このガラコンを見る限り、フランスでも軽視されているのではないかと思えてきますが、
先日ナタリ・デセイの記事を書いた時に紹介した映像で、彼女は唇と舌で言葉をさばく訓練をしていたのを見て、一流になるような人怠らずにそういう訓練をしていることが確認できたのは、このような記事を書いている私にとっては励みになりました。

 

 

◆関連記事

あの稲妻みたいなコロラトゥーラNatalie Dessayの盛衰を振り返る

 

 

 

Armelle Khourdoïan
椿姫 二重唱 Dite alla giovine(16:10~)
バリトン  Marc Scoffoni

 

メゾっぽい響きのソプラノだと思って聴いていましたが、
実際はかなり高音まで出せるコロラトゥーラを得意とするソプラノのようです。
中低音のピアノの音質は悪くありませんが、上半身だけで歌っている感は否めません。
ソロで歌っているのを聴けば、実際かなり喉声なのがわかると思います。

 

 

プーランク ティレジアスの乳房 Non monsieur mon mari

聴いてて喉が痛くなる声です。ちょっと私は聴いていられません。

 

 

 

Patricia Ciofi
ベッリーニ カプレッティとモンテッキ Oh quante volte (40:00~)

一時期は映像メディアでもかなり絶賛されてルチアなどが並んでいた時期がありましたが、それほど日本では人気がでなかった印象のある歌手です。
技術はあるんですが、こう言っては元も子もないけど華がないんですよね。

ピアニッシモの美しさは確かに感動を誘うかもしれませんが、
ドラマ性という面では伝わってくる感情があまりない。
その要因の一端は、中低音の響きが高音に比べて落ちてしまって、
特にそれが”a”母音だと顕著であることと、
たまに強い声を出した時にもハマりきっていない。
これらが主な要因だと思います。

後は、言葉ではなくキレイな音を出している感じなので、
恐らくこの曲が歌詞のないヴォカリーズだったとしても、同じように聴こえるのではないかと思います。

 

 

 

Florian Cafiero(49:30~)
プッチーニ トスカ E lucevan le stelle

この人も技術は高いと思いますが、無駄に太く歌い過ぎに聴こえます。
プッチーニのアリアは何かと同じ音で喋るように歌う部分がよくあるのですが、そういうところで自然に言葉が流れないような歌唱はあまりよくありません。
後は最高音がAと低いアリアなので、それより高い音になった時も同じようなポジションで歌えるのかが気になるところではあります。
とは言え、勢いに任せて必要以上に劇的に歌うでもなく、端正に歌えていたのはよかったと思います。
しかしもう一曲は言葉が流れていました。

 

ダッラ Caruso(1:30:10~)

トスカと同じ歌手が歌ってるとは思えないくらい、
軽く歌っても中低音がしっかり響いていて、高音でも音質が変わらない。
ちょっとカンツォーネとしては淡泊な印象はありますが、安定した歌唱技術はやっぱり高いなと感じさせられます。
トスカもこれ位中低音は軽く出せばもっと良い演奏ができると思います。

こうしてみると、やっぱりアラーニャは一味違うなと思わせるものを持っていることを改めて感じさせられます。

 

 

 

Chloé Chaume
プッチーニ ジャンニ・スキッキ O mio babbino caro (53:00~)

この人は、まず姿勢が前傾姿勢なのでポジションが外れていて、
特に”a”母音なんかは酷いです。
鼻腔共鳴最強論の先生に指導を受けたのではないかと思ってしまうくらい基本が鼻声に近い。
この歌い方をしていたら、若い歌手でも将来はあまり期待できないと思います。

 

 

 

Amélie Robins
Jシュトラウス こうもり Mein Herr Marquis(フランス語歌唱)(59:15~)

出だしが「Mon cher marquis 」と言われて驚き、
ドイツ語じゃないと違和感を感じてしまいますね。
オペレッタだからわざと浅く平べったい声で歌っているのかと思って、他の曲を聴いてみると

 

ドニゼッティ 連隊の娘 Salut à la France

前に紹介したChloé Chaume同様に響きが全部落ちています。
ほぼ喉声で、同じ音が続くと音楽が停滞して窒息しそうです。
こんな元気が良くて息が流し易い曲なのに、言葉が停滞するのかちょっと理解できない。

 

一番最後の最高音を出す直前でこんな姿勢で歌ってるなんて論外。
一流歌手は大樹の如くどっしり構えて、絶対イイ声出るな。と視覚的に分かる姿勢でいるものです。

 

 

 

Thomas Dear
ヴェルディ ナブッコ Come notte(1:05:15~)

バスということですが高音がヴェルディバリトンのようです。
テノールの良いアクートのように、
鋭さと強さがありながら、深く明るい響きで言葉が奥に引っ込まない。
とても素晴らしいヴェルディバスですね。
ニコライ ギャウロフとかサミュエル レイミーより良い歌手かもしれません。
少なくとも発声技術はこの人の方が上でしょう。

こんな凄いバス歌手が、フランス国内でしか歌っておらず、
しかも、まだほぼ脇役しか歌えていないようです。
ちょっとゼニ積んで新国に引き抜いたらいいと思う。
妻屋さんばっか出てて、二期会にはジョン・ハオが出てくる。
みたいな構図いい加減改善しましょ!

 

 

 

Béatrice Uria-Monzon
マスカーニ カヴァレリア ルスティカーナ Ave Maria(1:26:05~)

太く歌い過ぎているので全体的に無駄なヴィブラートが掛かっています。
ヴェリズモを歌ってレガートで真っすぐ歌えないのは困ります。
ヴェリズモと言うと太い声、強い声が求められるイメージがあるかもしれませんが、世俗的な感情をリアルに表現するために、より言葉の力が求められる訳で、言葉がちゃんと聴こえるにはレガートで歌えないといけない。
それに加えてこの音楽はAve Mariaですから、宗教音楽をこんな揺れ揺れの声で歌うのはNGなのに、オペラの中ならOKなんてことはないはずです・・・実際ダメでしょ。

 

 

 

Fabienne Conrad
ベッリーニ ノルマ Casta diva(1:43:05~)

この人も正しいポジションにハマっているようで違いますね。
深さがあって、やや暗めの音色ながら軽い声という、恵まれた楽器を持っているのはわかるのですが、なんせ音楽が停滞している。

このコンサートに出ているソプラノは、なぜこうも口のフォームが横の人が多いのでしょうか?
この声は多分あまり飛んでいないと思うのですが、
とにかく唇を全然使えてないので、奥で停滞したような感じになって、
焦点の定まらない響きになっている。
高音はまだ良いですが、それ以外は結構揺れていますし、
恐らく早口の曲は何言ってるか全然わからない状態になるでしょう。

 

マスネ マノン Adieu notre petite table

予想通りレチタティーヴォは全部細切れでセリフになっていませんし、
フォルテで高音を出すとヴィブラートが酷いことになっています。
美しいピアニッシモで歌えることは当然大切なのですが、ピアノとフォルテは表裏一体。どちらかしかできないような歌唱は正しくありません。

 

 

Sara Blanch Freixes
ドニゼッティ ランメルモールのルチア Quando rapito in estasi (1:49:58~)

この人は今までの多くのソプラノとは全然違います。
口のフォームがまず違う。
それだけで響きが前に集まるので言葉もはっきりしてきます。
そして、奥に停滞するようなこともなく、低音でも響きの質が変わりません。
歌っている時の姿勢も、顎の位置が胸より前には絶対にきません。
これは息を無駄なく送って効率よく共鳴を得るのに必要なことです。

だから、声を聴かなくても外観的に姿勢や口のフォームを見れば下手な人は分かったりするものです。

今までのうっ憤がこの人の歌唱で晴れました。
この人はスペインとイタリアを中心にベルカントもので主役を時々歌い、大きな劇場では脇役が中心のようです。
後日一本の記事で取り上げて紹介したいと思います。

 

 

 

Kévin Amiel
プッチーニ ラ・ボエーム Che gelida manina(2:07:35)

本来はとても軽い声なのだと思いますが、
軽いのに重りを付けてるような不自然さがあります。
高音には余裕があるし、発音も気にはならないのですが、
声が真っすぐ飛ばないのはなぜなのでしょうか?

喉で押してるとか、やたらアペルトになっているとか、分かり易い問題点は特にありませんが、レガートが不十分で、同じ音で歌う時「aspetti signorina」みたいな歌詞が棒歌いに聴こえて残念・・・。

支えが不十分なのか、咽頭や口腔の空間が狭いのか、全体的に響きが低くて浅いんですよね。
持っている楽器は素晴らしいので、何か掴めば化ける可能性はあるかもしれません。

 

 

Valentine Lemercier
オッフェンバック ゲロルシュタイン公爵夫人 Ah que j’aime les militaires (2:16:15~)

喉を詰めたようなメゾの典型的なタイプですね。
全く響きが上がっておらず、全部喉で鳴っているので、
声に柔軟性がなく、発音は明瞭でも音色のバリエーションがないため、どういう言葉を歌っているのか想像することができません。

低音も詰まってしまって声が飛びませんし、
ソプラノも歌えそうな声の人が無理やりメゾをやってる印象を受けるだけで、顔の表情を見ていても辛そうにしか見えないと言う・・・。

 

 

Florian Laconi/chœur
オッフェンバック ホフマン物語 La chanson de Kleinzach (2:20:35~)

悪い訳ではありませんが、やや喉に掛かっていますね。
中低音の鳴り方を聴く限り、もっと軽い声なのではないかと思います。
全然低音が鳴らないところを見る限り、
高々最高音がAでズリ上げたり泣きを入れたりするのは、表現云々ではなく発声技術の問題だと思います。

 

 

 

Thomas Bettinger
マスネ ウェルテル Pourquoi me réveiller (2:34:15~)

この人も響きが落ちていて、パワーで歌っています。
所々音程が上がりきっていなかったり、とにかく声が硬い。
ピアノの表現も一応は行っていますが、響きが乗っていないのは明らかです。
康応声を出す人は、こういう表現しかできない。
原語力とか演技が素晴らしければドミンゴみたいな成功例もありますが、この歌い方では正直先はないと思います。

 

 

Jérôme Boutillier/chœur
ビゼー カルメン Air du toréador (2:37:40~)

この人は高音が美しく伸びるハイバリトンなので、バス歌手も歌うようなエスカミーリョのアリアは合っているとは言えませんが、不必要に太く声を作らず、高音のFにも力みがないので、気品があって良い演奏をしていると言えるのではないかと思います。

低音もバリバリ鳴っている訳ではありませんが、それでも詰まっていないので全部言葉が明確に聴こえます。
ただ良い声でゴリ押しする歌手とは一線を画した演奏をするのがこの人の良いところで、個人的には今後世界的に活躍する逸材だと思っています。

フランス版Thomas Johannes Mayerみたいなイメージなんですけど・・・
(分り難い例えでごめんなさい)

この人は過去の記事で取り上げたことがありますので、そちらも興味のある方はご覧になってみてください。

 

◆関連記事

これからが楽しみなバリトン マルタンJérôme Boutillier

 

 

 

 

Roberto Alagnaについて

冒頭に書いた通り、全然期待していなかったのですが、
蓋を開けてびっくり、今回出演していたテノールの中で一番良い。
全体を見渡しても、やはりまだまだトップクラスの実力者なのだということを証明して見せた演奏だったと思います。
カルメンのフィナーレでも、カルメン役のBéatrice Uria-Monzonが唸っているだけで何言ってるか全然わからない状況なのに対して、アラーニャの発音の美しさは際立っていました。
顔の表情を見ていても無駄な力が全然入っていないですし、響きが硬口蓋に集まっていて、響きが散らずに一本の線になって飛んでいます。
最後の乾杯の歌の時にはかなり疲労していたのか、声がガラガラでしたが、それまでは本当にこの演奏会のアラーニャは良かった。
どう聴いても去年とは全く別人なんですよ。

 

2018年のアラーニャのNessun dorma

殆どが鼻に入ってしまって、時々良い響きはありますが、残念な部分の方が多いくらいです。
それが、今年の演奏では

 

 

アレヴィ ユダヤ女 おRachel, quand du Seigneur

なぜここまで1年で声が回復したのか不思議です。
ですが、こうやって年を重ねても修正が効くのだということを体現してくれたことは価値があると思います。
アラーニャは終わった歌手だと思っていましたが、私も認識を改めないといけません。

 

 

<演奏会全体を通しての感想>

女声陣に比べて男声陣が充実していたように見受けられました。
それにしても、3時間の演奏会でオケは演奏しっぱなしで大変だな~。

ソプラノ陣は基本的なところに問題を抱えた歌手が多くて驚きました。
このところフランスには優れた女性歌手が出て来ているからです。

ピアノの表現を磨いているのはわかるのですが、前で響かせることができていない歌手が多く、子音の扱い方を含めて、声と発音を関連付けて勉強してきたのか、殆どの女声陣の歌い方には疑問を持たざるを得ませんでした。
その中に調子を取り戻したアラーニャやブティリアーのような発音が全て前でさばけている歌手が混ざっていたことで、より女声陣の発音に対する感覚の低さが露呈したように見えました。

とは言え、全体的にかなりレベルの高い若手歌手が出演しており、飽きることなく3時間聴くことが出来る演奏会は中々ありませんので、聴いて損をすることはないと思います。

個人的な収穫は
バスのThomas Dearと、ソプラノのSara Blanch
こういう歌手に巡り合えると本当にわくわくしますね。

 

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