無名ながら現代屈指のスーブレットソプラノDiana Tugui

Diana Tugui(ディアナ トゥギ)はルーマニアのソプラノ歌手。
ちょっとトゥグイかトゥギか名前の読み方がわからないのですが、
なんせ、ほぼルーマニア国内でしか歌っていないと思われる人なので、日本語の記事どころか、英語の記事もコチラくらいしか目ぼしいものはないと思います。

1997年に大学に入っていることから、恐らく1980年前後の生まれだと思いますので、現在40手前でしょう。

そのくらいメジャーとは言えない歌手ではありますが、
実力は確かです。

何より、スーブレットソプラノに必要な、テッシトゥーラはソプラノでありながら、持っている声はメゾのようにやや太い声で、その上繊細な高音を持っていて、トドメに愛らしい容姿をしている。

こういう歌手は本当に希少で、なぜなら中低音がちゃんと自然な響きで鳴った上で声に可愛らしさが必要という、
ある意味矛盾した声が求められるからですね。
どうしても見た目の可愛らしさばかり求められる傾向がありますが、それだと低音がスカスカで求められた音楽を表現しきれないことが多々起こります。

 

 

 

モーツァルト フィガロの結婚 Deh vieni non tardar

発音が明確でありながら、しっとりしていてキンキンした感じが皆無な響き、
夜の庭に溶けていくような、力んだ感じの全くない歌唱はこのアリアを歌うのにうってつけの声ではないかと思います。

フィガロの結婚の中で伯爵はバカにされる滑稽な役どころに位置付けられるのかもしれませんが、
例え好色な伯爵だったとしても、仮にも初夜権を一旦は廃止した人という設定だった(ソースはこことか)のですから、それなりの自制心はあったのでしょう。
逆説的に言えば、スザンナという役はその伯爵を手玉に取るくらいの魅力がないといけない訳ですから、やっぱりこれくらいの色気のある声の方が説得力があるなぁ。
と私なんかは思うのですけどいかがでしょうか・・・?
どこにでもいそうな小娘のために、住民からの反発しか起こらない初夜権を復活させようとは、少なくとも一度廃止した人間の思考とは思えませんからね。

 

 

 

モーツァルト ドン・ジョヴァンニ Crudele! Ah no, mio bene!

トゥギの歌ってる姿を見ていると、下唇に無駄な動きがないんですよね~。
下唇の裏側のごくわずかな接触だけでも、しっかり発音できることが彼女の歌っている姿からわかると思います。
眉間にシワが寄るのだけは気になりますが、声には力みに感じられる要素はなく、低音~高音まで丸みのある柔らかい響きで実に見事です。

 

 

 

 

 

 

ヴェルディ 椿姫 SEMPRE LIBERA!

こういう曲を聴くと、あまりトゥギの良さが生きない気がします。
声量はある方ではないので、ヒロイックな役柄を大劇場で歌うには向かない歌手とも言えるでしょうが、
それ以上に超絶技巧や高音を売りにしている歌手ではないので、Bより上の音は硬さが目立ちます。

この人の場合はあまり高い響きで歌うより、やや低めの音域を出している時の声の響きが一番自然で美しく聴こえます。
かなり広い音域をカバーできて、コロラトゥーラもできるという意味では凄いのですが、スーブレットソプラノの役柄に比べれば魅力は感じません。

 

 

 

 

ベッリーニ ノルマ Casta Diva

椿姫のアリアとは逆に、技巧自慢の軽い声のソプラノが歌うとボロが出るアリアの筆頭と言って良い曲ですが、逆にこちらはトゥギにテッシトゥーラがハマっていて、無理に中音域を鳴らしている感じがなく、ピアノの表現も非常に柔らかい、上のヴィオレッタの一年後の演奏ですが別人のような声です。

先日、オーボエ奏者の友人に「声種を決める基準」について尋ねられたのですが、私は、その人の楽器が一番自然に鳴る音域を基準として決めるのが良い。という旨を話しました。
少なくとも、高音が出ないからメゾorバリトン、高音が出るからソプラノorテノール、という考え方は間違っています。

トゥギの演奏を聴いても、ハイEsが出るからハイソプラノだ!とは思わないはずですし、
超高音は出るけど、より美しく歌えるのはテッシトゥーラが低めの曲なのは明らかです。
結局のところ大事なのは最高音より、平均的な音域がどの程度だと歌い易いか。という基準で声種は決まってくるのだと確信しています。
ですが、そもそも、その一番その人の声が自然に出る音域を探すこと自体が難しいという・・・。
なので、10代のうちに声種を決めて受験しないといけない。
という音大のシステムは、実際かなりリスクを伴っているのではないかと感じることがあります。

話が少しそれてしまいましたが、
トゥギはやっぱりモーツァルトが一番合ってると思います。
ボエームのミミとかトゥーランドットのリューも歌っている映像はあるのですが、プッチーニはどうもしっくりきません。

 

 

 

プッチーニ ラ・ボエーム Mi chiamano Mimi

決して下手ではない、寧ろそこらのミミより上手いと思うのですが、
声質ではなくて歌い方がプッチーニらしくない。と言えば良いのか、
ありきたりな言い方をすれば淡泊過ぎる。

 

 

Lucine Amara(5:03~)

こういう人と比較するとよくわかると思いますが、
録音状況が全く違うとは言え、庶民的の感情をダイレクトで表現してこそのヴェリズモオペラです。
なので、トゥギの特徴とも言える声の丸みや柔らかさは、庶民的というよりは気品があって貴族的ですから、こういう作品では逆にマイナスの方が大きく、もっと言葉が直線的に届かなければいけない。
まず「Mimi」という一番大事な単語に全く特別な感じがないのが良くないですね。

でも、モーツァルトをプッチーニと同じような言葉の出し方で歌うとうっとおしかったりする・・・この辺りが声の合う合わないとは別の、音楽性に頼る部分なのでしょう。

感覚的に上手く歌えてしまう人は良いのですが、様式感を緻密に研究して上手く聴こえるようにする作業を怠ってはいけないな~と、こういう比較をすると改めて感じてしまいます。

それでも、Diana Tuguiというほぼ世界的に無名な歌手は、もっと評価されてしかるべき才能であることは間違えないでしょう。

 

 

 

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