個人的に注目しているロシア人ソプラノ Ekaterina Bakanova

 

Ekaterina Bakanova (エカテリーナ バカノワ)は1984年、ロシア生まれのソプラノ歌手。

先日紹介した記事
「現代ロシアのもっとも素晴らしいオペラ歌手7人」という記事を検証してみる

に意外と反響があり、ご意見を頂いた抜けている歌手の追記なんかも行っております。
そして、まだ30代でもっと注目されていも良いだろう!
と個人的に思うロシア人歌手を単体で取り上げることにしました。

この人は2013年に来日しており、その時はリリコ レッジェーロとして紹介されていましたが、
現在では完全にリリコの役柄にシフトしています。

2015年にロンドンでヴィオレッタを歌って当たったのが大きいようで、
その後は魔笛のパミーナ、ドン・ジョヴァンニのドンナ・アンナ、カルメンのミカエラといったところを歌っています。

 

 

 

 

ヴェルディ リゴレット Caro Nome

詳しい年代はわかりませんが、恐らくこの演奏が2013年頃のものです。
上手いのですが、声が顔の前半分でしか響いておらず、奥の共鳴が使えていません。
テノールで言えばアペルトな声ですね。
そのため、高音と低音で響きの質が変わってしまう。

表現の面でも、響きに深さがない分ただ丁寧に歌っているだけで、上手いけど面白くない演奏になってしまっています。
高音の響きやピアノの表現は上手いんですが、結局中低音が鳴らないために表現の幅がなく、技術を聴かせるだけの歌唱に陥り勝ちになるのは必然と言えるのかもしれません。

 

 

 

 

ドニゼッティ ランメルモールのルチア Il dolce suono” (Lucia

 

 

 

Spargi d´amaro

 

こちらは2016年の演奏。
響きの質がかなり変わりました。
2013年は前歯~眉間にかけての顔の前面しか響いておらず、
口も横に開いて歌っていたのですが、

2016年は上の奥歯~前歯まで響いています。
特に低音域の改善は著しく、息遣いと声が見事に連動して、低い音域で見事にドラマを表現できています。
ピアノの表現や、中音域で時々鼻声になる時がありますが、それでも2013年のジルダとは全く別物。
ここまで違うと別の歌手なんじゃないか?と思えるほどの上達ぶりです。
まだ完璧に安定したポジションで歌えている訳ではありませんが、これだけ響きの深さと、声の明るさと、発音の明瞭さがしっかり連動した歌唱ができていれば十分素晴らしいのではないかと思います。

 

 

 

 

ビゼー カルメン Je dis que rien ne m’épouvante

これは2017年の演奏です。
もはやレッジェーロだった頃の面影は全くなく、素晴らしいリリコになりました。
バカノワの2013~2017年の演奏を聴けば、「軽い声」と「浅い声」が全く違う意味であることがわかると思います。

つまり、「深い響き」とは「重い声」とは全く別物なので、何を言ってるかわからないくぐもった声や響きが落ちている重たい声と、響きの深さも当然無関係です。

個々にそれぞれ声の太さや強さに違いがあっても、響きの質には軽さが求められます。

 

 

 

 

 

モーツァルト ドン・ジョヴァンニ Crudele! – Non mi dir, bell’idol mio

2018年のドンナ アンナ役は更に響きの質が安定し、
もはや顔の前面だけでなく、もっと上の歯から頬骨などがしっかり共振しているような響きになっています。
口のフォームを見ても、唇に無駄な力みが殆ど見られなくなり、レガートの質が一段と上がりました。
この進化の過程を綿密に分析することは、多くの音大生のソプラノにとって有益なんではないかと思えてならないのですが、どうも学生の時って一流歌手以外、知らない人の歌に興味のない人が多くて勿体ない。

面白いことに、プロとして活動するようになると、急速に他人の歌に対する興味や、盗めるものは全て盗んでやろう、というような姿勢が出てくるのを目にしたりするのですが、経験上、上手い人は他人の演奏をよく分析してるので、そういう作業は絶対必要だと確信しています。

 

 

 

 

ヴェルディ 椿姫 Invitato a quí seguirmi… Alfredo, Alfredo(2幕フィナーレ)
テノール Luis Gomes

 

 

 

3幕

 

なるほど、確かにヴィオレッタは合っていますね。
気品のある歌い回しで、芯に力強さもありながら、どこか儚さがあって憂いを誘う声。
明るい響きでありながら、どこか影があるる。
これなら1幕~3幕まで統一された声で歌われても説得力がありそうです。

ヴィオレッタは各幕ごとに違った性質の声が求められる。
と書かれていた著書を目にしたことがあり、確かにそういう性格の音楽ではあるかもしれませんが、やっぱり根っこは繋がってないといけないので、根本的に歌い方を変えたり、それこそ軽い声の歌手が胸声を頻繁に駆使して劇的表現に走るのはしっくりこないと感じていました。

3幕は明るく振舞えばこそ涙を誘う。
自ら悲劇のヒロインになり切ってしまったら白ける(のは私だけ?)
その辺が実にバカノワの歌唱表現は絶妙ですね。

3幕の冒頭、オケが咳き込むヴィオレッタの体調の悪さを表現しているので、そういう表現をオケに任せてバカノワは極めて明るく振舞おうとする。
ここで澄んだ響きで歌われると効果は絶大だなぁと改めて感じました。

「Addio, del passato」を歌っている時も、どこか希望を捨ててない感じが本当に良いです。
アルフレードを歌ってるテノールのLuis Gomesがただ能天気に歌ってるのとは対照的で、
二重唱の「Parigi, o cara」なんかはいちいち声が揺れるゴメスとバカノワの真っすぐでありながら、言葉によって音色が見事に表現されている声ではハモらないのは仕方がない。
声で歌ってるゴメスと、息の流れに言葉を乗せて歌うバカノワの歌唱では決定的な違いがあることが伝わるだろうか。

それにしても、このトラヴィアータは、ジェルモンが残念で、アンニーナが中々良いだけに男声陣の弱さだけが傷だ。
でもバカノワ無双は聴く価値があるのではないかと・・・それ位最近の歌手としては存在感のあるヴィオレッタを歌っていると思います。

 

まだ40手前ということで、ここ数年の飛躍的な成長を見ると、まだまだ伸びるのではないか?
と期待したくなる歌手であることが、2013年から順に年を追って聴いていくとすさまじい成長が伝わるのではないかと思います。

よって、ガリフリナよりロシアの注目すべきソプラノはバカノワである!
と、この場で主張しておきたいと思います。

皆様はガリフリナとバカノワ、どちらが魅力的でしょうか?

 

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