2019/11/11 新国立劇場 ドン・パスクワーレ (評論)



2019年11月11日(月)

新国立劇場 ドン・パスクワーレ (評論)

 

 

【スタッフ】

指揮 コッラード・ロヴァーリス
演出 ステファノ・ヴィツィオーリ
美術 スザンナ・ロッシ・ヨスト
衣裳 ロベルタ・グイディ・ディ・バーニョ
照明 フランコ・マッリ
演出助手 ロレンツォ・ネンチーニ

 

【キャスト】

ドン・パスクワーレ ロベルト・スカンディウッツィ
マラテスタ ビアジオ・ピッツーティ
エルネスト マキシム・ミロノフ
ノリーナ ハスミック・トロシャン
公証人 千葉裕一

 

 

今年の新国の演目で個人的に一番キャストが素晴らしいと思ったのがこのドン・パスクワーレでした。
なので期待値も相当高かったのですが、結論から言えば期待を裏切らない演奏だったのではないかと思います。

この演目はドニゼッティの有名なブッファ、愛の妙薬、連隊の娘と比較するとアリアが地味な上に最後の盛り上がりに欠けるので、そこまで特別この作品が好きな人は少ないかもしれません。
しかもタイトルロールにアリアがないなんてオペラはドニゼッティには珍しいですよね。

しかし、重唱がその分どれもよくできていて退屈なものが一つもない。
そんな訳で私個人としては、このオペラでは特にアリアの出来で歌手の良し悪しをそこまで判断するつもりはない。ということは最初に申し上げておこうと思います。

公証人は歌うところが殆どないに等しいので、主要4人の評論を書いていきます。

 

 

 

歌手別評論

 

 

◆マラテスタ役 Piagio Pizzuti (ビアジオ・ピッツーティ)

 

ドン・パスクワーレ 二重唱Cheti, cheti immantinente
バリトン Francesco Vultaggio

ちょうどマラテスタ役をやっている時の映像がありました。
こちらを聴いてもわかると思いますが、明るく芯のあるマラテスタ役を歌うには最適の歌声です。
ただこちらの映像は、なぜかパスクワーレ役をバスではなくバリトンが歌っているので、あまり声質に差がなくバランスとしてはあまり良くありませんが、今回の新国の演奏では立派なバスがパスクワーレ役を演じたということもあり、この重唱の声のバランスは理想的だったと思います。

ピッツーティは高音がやや詰まる傾向にあり、セビリャのフィガロやヴェルディのバリトン役だとちょっとどうかな?と思ったかもしれませんが、中低音は安定して前で明るく響くので、出だしのアリアで聴かせる高音以外は特に気になりませんでした。
しかもこの役はあまり繊細な声の表現は必要ないので、多少押し気味の声でも、演技でなんとかなってしまう部分があって、そこはイタリア語が母国語の歌手にとって最高のアドバンテージではないかと思います。

 

 

Bella siccome un angelo

 

冒頭で、ドン・パスクワーレではアリアの出来はあまり評価には加味しないと書いたのは、
このマラテスタのアリアも、ノリーナのアリアも登場してすぐ歌うので、そこまで声がちゃんと出ていなくても後で挽回できれば別に大した問題ではないかな?と考えているのが理由としてあります。
しかもマラテスタのアリアは、上で紹介したパスクワーレとの重唱や、ノリーナとの重唱と比較して全然面白くないですからね。

ピッツーティは良い声の歌手ではありますが、やや押しの一手といった感じの歌唱で、
歌唱技術という面ではそこまで突出したものは感じませんでしたが、今回の演目ではガツガツ歌う歌手がいなかった分、一人くらいはこういう歌手がいた方が盛り上がるというのはあったかもしれません。
全体のキャストのバランスとしてはとてもよかったと思います。

 

 

 

ビゼー カルメン Votre Toast

こういう曲を聴けば、押しの一手という意味が分かるのではないでしょうか。
ピアノの表現では響きが乗らず、高音がつまり気味で全体的に押した声ということ。
ただ演技やイタリア語での早口の掛け合い、レチタティーヴォセッコではこういったマイナスの要素がほぼ目立たなくなるので、今回の役では満足している。
というのが今回の私の評価です。

 

 

 

 

◆エルネスト役 Maxim Mironov  (マキシム・ミロノフ)

 

ドン・パスクワーレ(全曲)

アリアは49:45~
この人は第一声を聴いた時はちょっとがっかりしました。
と言うのも全体的にYOUTUBEに聴くより、生で聴いた方が鼻声なのが目立つ。
そして、以外と声が飛ばない。

アリアでは、カバレッタの繰り返しはなしでしたが最後はハイDesに上げてました。
でもなんか上半身だけの芯のない鼻声には大きな拍手を送る気にもなれず・・・といった感じでした。

ですが、ミロノフの良さは後半で分かりました。
特に終幕のセレナータ(Com’è gentil la notte a mezzo april)と、それに続くノリーナとの二重唱( Tornami a dir che m’ami )
この二曲は本当に上手かった。
アリア(povero Ernesto—–cercherò lontana terra )はオケのテンポがやたら速かったのもあってミロノフの良さが出なかったのですが、最後の方はオケも抑え気味で、音量的にも繊細な声の表現が舞台の隅々まで届くシチュエーションなので彼の歌唱を堪能することができました。

エルネストという役は、このオペラで一人ドラマから浮いた感じで実際一番存在感が薄いのですが、
歌う方はかなりの難役だったりします。

どこが難しいかって、何と言ってもテッシトゥーラが高い!
五線の上のEs~Gis(ミ♭~ソ♯)辺りでずっと歌う。

これでもかってくらいこの辺りの音域で歌わされるので必然的に軽い声のテノールが歌うことになり、ロッシーニテノールが受け持つ役となっています。

ただ、アリアは比較的劇的に書かれている上に、トランペットのオブリガートがまた哀愁を醸し出すので、それなりに深い表現を要求される訳でして、
オペラブッファで、ただでさへちゃらい兄ちゃんの役のはずなのに、f moll(ヘ短調)で書かれたカヴァティーナ カバレッタ様式の大きなアリアを歌うって結構特殊なことだと私は思うのですけど、その分求められる表現がここだけ違う気がして仕方ないのですね。
そういうこともあって、アリアの出来栄えでミロノフの上手い下手を判断するのはあまり賢明ではないかなと思っています。

ミロノフの声は確かに軽くて声そのものにはあまり存在感がないのですが、
アンサンブルが重要なこのオペラではむしろ主張し過ぎない彼の声はよかったのかもしれないと、全曲聴いてみると思えてきます。

特に前述のように、ノリーナとの二重唱は格別で、夜の庭に溶けていくような柔らかく透き通った響きは、ドタバタ喜劇の中でも唯一と言って良いほどロマンティックな愛の二重唱をより引き立て、この場面だけ違う時間が流れているような感覚を覚えました。
重唱は個人の能力に依存するものではないので、相手役の実力や声質にも演奏の出来が左右されることは言うまでもありませんが、今回はノリーナ役のトロシャンも軽くて明るい声質な上に、2人共に大変丁寧に歌う歌手だったことで本当に良いバランスだったと思います。

このように、ソロで聴くと圧倒されるような歌手ではありませんが、オペラという大きなチームプレイの中で考えると、高音を苦にせず、低音が全く出ない訳でもなく、技術があって他の共演者の声を邪魔しない、それでいて歌い回しに癖もないので、本当に使い勝手の良い歌手だと思います。
動画だけ見ていると超絶技巧が売りのロッシーニテノールだという印象を受けましたが、実演を聴くと全然違う印象を受ける歌手でした。

 

 

 

 

 

◆ノリーナ役 Hasmik Torosyan(ハスミック・トロシャン)

 

Komitas(Soghomon Soghomonian(ソゴモン・ソゴモニアン))作曲  Oror (Lullaby) 

今回の舞台で個人的に一番未知数だったのがこのトロシャンでした。
アルメリア生まれで、2004年にMelikyan Musical College を卒業しているということで、年齢は30代半ばでしょうか。

とりあえず、人気だけが先行していて歌にはあまり期待できなかったダニエル・ドゥニース(失礼ですが事実だから仕方ない)からの代役ということで、どんな歌唱を聴かせてくれるのかには関心がありました。

実際の演奏は、上で紹介した歌唱そのままの印象です。
つまり、透明感のある癖のない声で、全体を通して非常に丁寧な歌唱をする歌手で、高音のピアノの表現(あまりノリーナでは使いませんが)も安定している。
それでいてレチタティーヴォセッコでも高さを失わない響きでしっかり喋ることができる。
ノリーナ役をやるにはピッタリの歌手だったのではないでしょうか。

 

歌唱についてもう少し詳しく書くと
まず最初のアリアは正直今一つでした。
と言うのも、トロシャンの最大の欠点は全体を通して鼻声になり勝ちなことで、
最初は高音も今一つ伸びず、特にフォルテで高音を出すと抜けきらずややハスキーになってしまう傾向がありました。

この公演に向けてのインタビューで地声を聴けるのですが、英語をあまり喉の奥で発音せず、日常的に喋っている時からやや鼻よりのポジションで、雑味の無い響きなのが印象的です。

 

 

 

 

ノリーナ役にはコロコロ変わる多彩な表情が必要な訳ですが、
トロシャンにはその辺りがちょっと物足りませんでした。

具体的には、セリフとして直接話しかける部分と、心の中のセリフとして相手に聴こえないように話す部分がありますが、その辺りの変化がどうも感じられなかったのがちょっともったいなかったかな。

前述の通り、どの部分も歌い崩すことなく大変丁寧に歌うのは立派なことなのですが、
コロがるにしても、全部同じような意味がある訳ではないはずです。
パスクワーレに平手打ちをかます二重唱と、フィナーレでは、同じコロがるのでも感情はやっぱり全然違うので、技術としてコロがるのではなくて、何かしらの感情が高まった結果としてそこに至るプロセスが表現として見えるともっと良くなるのではないかと思います。
登場のアリアで気になった鼻声も、幕が進むにつれて随分と改善され、後半は本当に素晴らしい演奏だったと思います。

 

 

 

 

◆ドン・パスクワーレ Roberto Scandiuzzi(ロベルト・スカンディウッツィ)

この人はダルカンジェロと並んで現代最高のイタリア人バスだと思っているので、
素晴らしいことは最初から想定していたのですが、一つ関心があったのはブッファ役をどう演じるかでした。

ヴェルディをはじめ、ロシア歌曲なんかも見事に歌える深さと明るさと強さを備えた声と、それを完璧にコントロールできる知性を持ったスカンディウッツィですが、あまり喜劇をやっているイメージがなく、今回どのようにパスクワーレを演じるのだろう?と思っていました。

結果として滑稽には演じない、
無駄な動きがない、
それでいてちょっとした仕草や、間の取り方が絶妙で、言葉の一言一言の扱いに意味がちゃんとある。
こちらもインタビューで喋り声が聴けるのですが、もう地声からそこらへんの歌手では太刀打ちできない素晴らしい声をしていらっしゃる。

 

 

 

いくらノリーナに華があっても、やっぱりこのオペラの主役はパスクワーレ老です。
喜怒哀楽を極端に出して、時々奇声をあげるような役作りも散見されるのですが、
スカンディウッツィは、本当に真剣にパスクワーレとして生きている。

聴衆を笑わせようという意図の動作や表現を廃して、誠実な演奏をした結果、この役が持っている憎めない感じや、どことなく漂う哀愁が見事に凝縮された演奏となったと思います。
勿論こんな演奏は、彼のような深くて暖かい本物のイタリアオペラを歌うためのバスの声を持っていればこそ!
本当に素晴らしい演奏でした。

 

 



 

 

 

全体を通しての感想

今回は良くも悪くもオケのテンポが全体的に速く、
部分的に音量を出し過ぎて、あまり歌が立たなかったのは勿体ないと感じました。

例えばマラテスタとノリーナの二重唱で、ノリーナがどんな演技をしてパスクワーレに取り入るかを相談する場面。
あまりにテンポが速すぎてノリーナの演技が付いて行かなかった。
私はトロシャンよりオケのテンポに問題があったと思っています。

後はパスクワーレとマラテスタの二重唱。
この曲の間全くテンポ感に変化がなく、淡々と歌って終わりという感じだった。
確かにリズム感良く前に前に進む演奏は悪くないのですが、終幕のエルネストのアリアとエルネストとノリーナの二重唱以外はあまり緩急を感じることができませんでした。

そんな訳で、結局レチタティーヴォセッコの歌い回しで上手く緩急を付けられるかどうかが一つのポイントになっていたように感じました。
そして、スカンディウッツィが完全にそこを支配していた。
私はそう感じました。

流れる音楽に身を任せて良い声で歌うだけでなく、自ら流れを作れるというのが本当に一流の歌手。
自分の「間」を持っているというのはとても凄いことで、簡単にできることではありませんが、
上手い歌を歌う為には絶対に避けて通れない部分です。
スカンシウッツィの歌唱はそういう意味でも大変良い勉強になりました。

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