ドラマティックテノールの巨人Gianfranco Cecchele

 

 

Gianfranco Cecchele(ジャンフランコ チェッケレ)1938年-2018年はイタリア生まれのテノール。
昨年の12月に逝去したのだがあまりニュースにならなかった。

イタリアのドラマティックテノールと言えば、デル・モナコ、コレッリ、ジャコミーニといったところが有名だが、
チェッケレと以前記事にしたバルトリーニも全く引けを取らない実力者である。

チェッケレという歌手を巨人と呼ぶのは、若い頃から60歳を過ぎても同じような声を維持し、
生涯に渡ってドラマティックな役柄を歌い続けたことである。

 

 

1969年(31歳)
プッチーニ トゥーランドット(全曲)

(Nessun dorma 1:27:15)
弱冠31歳でニルソン演じるトゥーランドットを相手にカラフを歌っている。
ニルソン相手にカラフと言えば、オペラファンならコレッリとのハイCバトルが有名な逸話として残っているが、
個人的にはチェッケレの方がコレッリより実力は上だと思っている。

 

こちらがコレッリとニルソンの謎掛けの場

 

チェッケレの何と楽に強い声を出すことか!
全ての母音が無駄なく抜けていくのがわかる。
一方、コレッリは力一杯歌っているのが声から伝わってくる。
”a”母音で高音に上がる時なんかはズリ上げるまではいかないまでも、自然に抜けるのとは違うし、
許容範囲内とは言え揺れているのもわかる。
チェッケレのように真っすぐな声では決してない。

この人のNessun dormaを聴けば、
現代の歌手の大半がいかにパワーだけでレガートで歌えていないかがわかる。

 

 

 

1983年(45歳)
ヴェルディ オテッロ(全曲)

恐るべき全盛期の声
決して重くないのに、太さと強さがある。
デズデーモナ役はモンセラート・カバリエだが、
カバリエよりも高いポジションで響くという、ちょっと信じられない次元。
重い声で、発音が籠る誤ったドラマティックテノールが世の中には蔓延っているが、
本物は、ドラマティックテノールだろうが明るく明確な発音でなければならないのが良くわかるだろう。

これが重い役だろうと軽く歌わなければならない。
と言うことだ。

現代の大半のテノールはこうなる

デカい声で叫ぶのがドラマではない。
整った響きの中で理性的に響きを管理できてこそ聴衆に届くドラマが生まれる。

 

 

 

 

1997年(59歳)
ヴェルディ トロヴァトーレ Di quella pira(見よ 恐ろしい炎を)

60歳手前でこの声である。
この人ほど過小評価されてるテノールもそういないのではないかと思うが、
間違えなく同年代の〇大テノールが束になっても敵わないことだけは確かだ。

 

 

 

 

2006年(68歳)
レオンカヴァッロ 道化師 Vesti la giubba

少し声が揺れてきているとは言え、70歳手前でこの声である。
ここまでくると笑うしかない。
カルロ・ベルゴンツィが一応80歳くらいまで歌ったが、お世辞にも上手い演奏とは言えない状況だったのに対し、
チェッケレは現在活躍してる大半のテノールより68歳でこの役ならトップクラスだろう。

 

 

ホセ クーラ(52歳)

今では死語に近いポスト3大テノールとか言われた時期もあったのだが、
本来この役をやるには年齢として最も良い時期で、68歳のチェッケレの足元にも及ばない
これが現実である。
ヨナス・カウフマンが売れていることについて、
イケメンなだけの二流テノールだと主張する人もいるが、
少なくともホセ・クーラよりよっぽど歌は上手い。

 

 

 

2012年(74歳)

もう一人のテノールと明らかに響きのポジションが違うのがわかる。
息で響かせるチェッケレと、声で歌うもう一方
最後にBを二人で伸ばしているが、完全に片方が半音近く低く聴こえる
ユニゾンは怖い。
なぜなら、響きのポジションが同じ歌手同士でないとピッタリ揃わないからだ。

 

 

70歳を過ぎてもこの声を維持していたチェッケレは間違えなくドラマティックテノールの巨人である。
そして、この声を維持できた理由は、それだけ声を消耗しない歌い方をしていたからであろう。
もちろん強靭な喉を持っていたのもあるかもしれないが、
それだけではこれ程長い間、衰えずに声を保つことはできない。

これだけ素晴らしい演奏を残してくれたチェッケレというテノールに改めて感謝すると共に
ご冥福をお祈り申し上げたい。

きっと天国でも素晴らしい歌声を響かせていることだろう。

最後に死の前年の録音から、ワーグナーのリエンツィのアリアをイタリア語で歌ったものを紹介しよう

2017年(79歳)
ワーグナー リエンツィAllmacht’ger Vater(全能の父よ イタリア語歌唱)

 

<このアリアの日本語訳>

全能の父よ、どうかご覧になってください。
塵にまみれた私の祈りをお聞きください。
あなたの奇跡がもたらしたあの力を
どうか私から奪わないでください。
あなたは私を力づけ、偉大なる力を与え、
崇高な使命を任せてくださいました。
絶望する者に光を与え、
汚されたものをふさわしい価値に引き上げるために。
あなたは民衆の恥辱を高貴なものへ、
栄光へ、素晴らしい王国へと変えられました。
ああ、神よ、どうか価値を高めるべく築かれたこの偉業を
壊さないでください。
ああ、この深い夜を解き放ってください、
人々の心を未だ深く覆い尽くすこの夜を!
永遠に続くあなたのお力の、ほんのわずかな一かけらでも
我々にお授けください!
神にして父よ、どうか眼差しを向けてください!
高みからこちらをご覧ください!
あなたの奇跡がもたらしたあの力を
どうか私から奪わないでください。
全能の父よ、どうかご覧になってください。
塵にまみれた私の祈りをお聞きください。
私に偉大なる力をお授けになった神よ、
この心の底からの願いをお聞き届けください!

 

 

 

最晩年に、これだけ力のあったテノールが歌ったというのが、歌詞とリンクして涙を誘う。
イタリア語歌唱とは言え、無駄なポルタメントもせず、ブレスの長さもあり、
言葉の整え方も含め、ワーグナーの様式感を全くわからずに歌ってる演奏ではない。
もちろん80歳手前でこの声が出ること自体奇跡みたいなものだが、
ワーグナーのアリアとしての様式感を保っていることが一番驚く。
こういう演奏からも作品に対して敬意を持って取り組んでいたことが伺える。

 

 

 

CD

 

本当にCDなどのメディアが少ない歌手である。
こういう部分からも、
CDが沢山出てる歌手=優れた歌手

という構図は全く成立しないことがわかる良い例と言える。

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