Olga Borodina (オルガ ボロディナ)は1963年ロシア生まれのメゾソプラノ
圧倒的な声を持ち、近代最高のダリラ(サンサーンスのサムソンとダリラ)歌いという声もある程。
その美声はメトロポリタン歌劇場に初めて出た時、劇場スタッフの間で話題になったという逸話もあるとか。
しかし、彼女の歌い方は、ロシア系の歌手によくあるように、
技術というよりは、持ち声で押すタイプだった。
それがどうも、50歳を過ぎてから彼女の歌唱に変化がみられるようになってきたので、
その変化を検証していきたい。
1990年(27歳)
ボロディン イーゴリ公
本当に素晴らしい声である。
20代でこれだけ中低音が美しく鳴る人はそういない。
1995年(32歳)
ヴェルディ アイーダ4幕
テノール ヴラディミール ガルージン
パワーで押すと言っても、低音でドスの効いた声を出すような歌い方はしないので、
それこそラダメスを歌ってるガルージンのように、音圧で一方的に押してるという訳ではない。
だが、声が籠り君で、発音のポジションが全体的に奥過ぎる。
恐らく彼女の持って生まれた楽器の特徴でもあるのだろうが、それだけではなく、
必要以上の息の量で歌っているために、子音のスピードが全て失速してしまっているような感じ。
ここまで子音を飲み込んでしまう歌手も中々いないかもしれないが、それでもこの品質で歌える。
というのがボロディナの持っている声の凄さ。
並の歌手でこの発音だったら聴いていられない。
2003年(40歳)
ベルリオーズ クレオパトラの死
この辺りから、声は全盛期を迎える。
言葉の滑舌もかなり良くなり、高音も抜けるようになった。
だが、その分逆に、息の流れではなく、音圧で声を出していることがはっきり表れてくる。
許容範囲内とは言え、伸ばしてる音で揺れ始めており、この歌い方だと50歳まで持つかな?
という懸念はこの地点であった。
2008年(45歳)
ドリーブ ラクメ 花の二重唱
ソプラノ スミ ジョー
普段のレパートリーにない曲を歌っていて、楽譜がん見のボロディナがちょっと面白い。
平昌オリンピックの関連イベントだったようだが、
ここまで下の声が目立つ花の二重唱もそうはないのではなかろうか。
普段とは逆に、これだけ軽く歌った方がボロディナの良さは出る気がするのだが・・・
圧力で鳴らしにいかなくても、十分軽い息で鳴る楽器を持っている。
2012年(49歳)
サンサーンス サムソンとダリラ printemps qui commence(春は目覚めて)
軽く歌おうという意識はあるのだろうが、やっぱり圧力で出しているピアノである。
なので、広がるような音質ではなく、直線的で硬い音になったり、
低音と高音で声の質が変わってしまったりする。
それでも、若い頃とは随分と声の出し方に変化がみられる。
2018年(55歳)
リサイタルなど
前半の1時間くらいはサムソンとダリラの抜粋
2:28:00~、リサイタルでのサムソンとダリラの有名なアリア
(mon coeur s’ouvre a ta voix あなたの声に心は開く)
が見られるので、是非この演奏を聴いて欲しい。
2017年の同曲の演奏
こちらが2013年
そしてこちらが2002年
2013年、2002年の演奏はピアノ伴奏とオーケストラ伴奏の違いはあるが、
2018年の演奏は素晴らし過ぎて感涙もの。
一番驚くのは2017年の演奏から1年で驚くべき進化を遂げたこと。
2017年地点では、まだ響きのポジションは安定していなかったが、1年でほぼ完璧に修正して見せた。
最後の音をあえて上げないで歌っているので、一瞬戸惑うが、
2017年の演奏では高音を最後に出しており、
唐突な高音が逆に音楽にとっては流れを阻害しているものでもあるのかもしれない。
と気づかされた。
それにしても、今までの発声は何だったのか?
と思いたくなるほどの変貌。
全ての言葉が、どんな音量を落としても明確に顔の前面で響き、
レガートも完璧にできている。
素晴らしい発声技術を身に着けたボロディナはもはや鬼に金棒。
こんな軽く息を流すだけで、とんでもない広がりをもった響きが会場を満たす様子が聴衆の熱狂でも伝わる。
低音も太いながらも自然に響く。
ボロディナは55歳を過ぎて、完全に生まれ変わった。
もはや音圧で無理やり喉を鳴らしに行く歌い方は微塵もなく、
そこには立派な声ではなく、素晴らしい歌がある。
多くの成功を手にした歌手が、50歳を過ぎてから発声を見直すなんてことは普通できない。
詳しい状況はわからないが、スカラ座あたりで問題を起こして以来、
ほぼロシア国内でしか歌っていないようなので、
もしかしたら、そういうことも歌が大きく変わったことに影響しているのかもしれない。
動機は何にしても、
発声は50歳になってからでも修正できるものなのだということをボロディナは示した。
この変化を多くの現役歌手達が知ってくれれば、大きな励みとなるんだろうが・・・。
浦沢直樹 の作品に「yawara」という有名な柔道漫画があり、
その中で、「柔は剛を制す」という言葉が出てくるのだが、
まさに歌も、柔軟な声が強い声を制するのである。
ゲルギエフ指揮、ミュンヘンフィルのマーラー復活
ソリストも良く、価格もお手頃。
一応、ドミンゴと歌った一番有名な映像
これが2002年の演奏
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