ドビュッシーと親交のあったソプラノNinon Vallin

 

Ninon Vallin(ニノン ヴァラン)1886年~1961年はフランスのソプラノ歌手
ドビュッシーと親交があり、聖セバスチャンの殉教の初演に参加したことでも知られる。

文字にするなら、独特のヴィブラートと浅い響き、
という一見マイナス要素しかなさそうな声なのだが不思議な魅力のある歌声を持っている。

 

 

 

ドビュッシー  L’ENFANT PRODIGUE, CANTATA  (カンタータ 放蕩息子)

この作品自体はドビュッシーが22歳の時に作曲したということで、
本人の前でヴァランが歌ったのかは定かではないが、
ドビュッシーだけでなく、勿論フォーレも存命だった時を生き、
その時代を代表するフランスのソプラノ歌手として歴史に名前を残した。
という事実から、この人の歌唱がフランスの印象派歌曲を歌う上で参考になることは確かだ。

器楽の世界では、オリジナル楽器での演奏、当時の演奏法の研究が盛んに行われ、
専門家集団に限らず、アマチュアでもそのような楽器や演奏方法を楽しむことは珍しくなくなったが、
一方、声楽では一時期カストラートが映画の影響もあって注目を浴びたことがあったのを除けば、
その時代ごとの歌唱法の研究と再現を試みる運動が見られないのは不思議だ。
声楽は一度フォームを崩すと戻せないというのはあるにしても、
軽い声でやたら重く歌うことに比べれば害は少ないと思うのだが・・・。

 

 

 

フォーレ En sourdine (ひそやかに)

 

 

現在の歌手との比較、

ジョイス デョドナート

この曲を歌ってい有名所のソプラノがいなかったので、
スコアが分かることもあってディドナートの演奏を挙げたが、
個人的に感じるのは、フォーレのような繊細な音楽は響きだけで柔らかく歌うイメージだったが、
当時は特にそんなこともなく、かなりしっかりした声、発音で歌っていたことがヴァランの演奏からわかる。

印象派という言葉からも、はっきりした輪郭をぼかすことが美徳のようなイメージがあるのだが、
そもそも本当にそれが正しい解釈なのか?ということにも疑問が湧いてくる。

 

 

 

 

 

シューベルト Ständchen(フランス語歌唱)

フランス語で歌ってはいるが、個人的には良い演奏だと思う。
ドイツ語以外で歌われるのを聴くと、シューベルトらしい演奏というのは、
必ずしもドイツ語で歌うことによって定義づけられるものではないのかもしれないと感じてしまう。

 

 

例えば、戦前のドイツで名ソプラノと言われているレーマンの演奏と比較してみよう

ロッテ レーマン

ヴァランに比べると、レーマンの演奏はやたら鼻息が荒く、どこがセレナーデなんだ?
と突っ込みたくなる。
そして、ヴァランが素晴らしいの低音の安定感。
レーマンが明らかに高音と低音で響きの質が変わっているのに対して、
ヴァランは何と自然なことか!

必ずしも立派な声が良い歌を作る訳ではなく、
逆に立派な声が必要な場面というのは意外と少ないということに気付く。

勿論シューベルトの歌曲を歌う上でドイツ語のリズムは大切な要素なのだが、
あえてフランス語で歌われたシューベルトから、
シューベルトらしさ、シューベルトの様式感とは何か?
ということを考えさせられるのは私だけだろうか。

 

 

 

50歳の時のテレビでの演奏映像

https://www.youtube.com/watch?v=DQN7i2Sf0RI

※うまくリンクが機能しないので、お手数ですが、上記のURLからご覧ください

歌っている姿勢や口のフォームを見ているだけで、現代の歌唱とは全く違うことがわかる。
下半身からの強い支えを使わず、口のフォームも横。
ただ硬口蓋から鼻にかけて息を吹くだけ、といった感じの発声だろう。

歌曲の名手として知られるロットの演奏と比較しても、明らかにロット方が不自然に強い声に聴こえてしまう

フェリシティ ロット

間違った発声というのは存在するが、正しい発声というのは個々によって異なる。
これが歌で一番難しい部分ではないかと思う。
ここで散々発声について書いてはいるが、
最終的には自分の楽器が一番効率よく鳴る方法が良い発声と言えるのかもしれない。

そういう意味でこのサイトでは、間違っていることについては徹底して書くが、
コレが正しい。という書き方は避けているのである。

ただ、ヴァランの発声は日本人女性の骨格を考えれば、
こういう方法が合う歌手も絶対いると思うのだが・・・。
広いホールを満たす声を追い求めることだけが正しい道ではない。

 

 

 

CD

 

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